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脳を刺激するアンビエント・ミュージック/ニュー・エイジ・ミュージック/IDM
  - エレクトロニック・ダンス・ミュージック入門 (13)
  - ブライアン・イーノ/エニグマ/エイフェックス・ツイン/オーテカ/レイディオヘッド | MUSIC & PARTIES #039
2024/07/15 #039

脳を刺激するアンビエント・ミュージック/ニュー・エイジ・ミュージック/IDM
- エレクトロニック・ダンス・ミュージック入門 (13)
- ブライアン・イーノ/エニグマ/エイフェックス・ツイン/オーテカ/レイディオヘッド

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SUNDAY
英語教師 / 写真家 / DJ

目次


1.プロローグ

2000年代以降、DAWソフトの発達と普及により、ノートパソコンさえあれば、誰でもどこでもエレクトロニック・ダンス・ミュージックをデジタルで制作できるようになりました。それまではアーティストがスタジオに引きこもり、とてつもない時間と労力をかけてアナログの電子楽器を使って制作するのが普通でした。80年代と90年代に使われていたアナログの電子楽器は、大きく分けてシンセサイザー、ドラム・マシンやサンプラーなど録音された音を再生する“シーケンサー"、そしてターンテイブルやCDJなとの“プレイヤー"に分けることができます。特にシンセサイザーは70年代以降、エレクトロニック・ミュージックの枠を超えてロックやポップ、R&Bやジャズなど幅広い音楽ジャンルでも活用されるようになりました。また、シンセサイザーは、エレクトロニック・ミュージックの中でも、踊るための“ダンス・ミュージック"以外に、聴くための“アンビエント・ミュージック"でも大活躍することとなりました。

シンセサイザーを積極的に取り入れたエレクトロニック・ミュージックの先駆者といえば、これまでもこのシリーズで何度も取り上げたクラフトワークやYMOがまず思い浮かびますが、日本のシンセサイザー奏者であった冨田勲もこうしたジャンルにおいてとても重要なパイオニアでした。冨田氏は50年代後半からテレヴィや映画音楽の作曲家としてキャリアをスタートさせ、65年には手塚治虫の『ジャングル大帝レオ』のテレヴィ・アニメのテーマ曲を制作しました。60年代末頃にモーグ・シンセサイザーに興味を持ち始め、エレクトロニック・ミュージックに路線をシフトすることにしました。1974年にドビュッシーのクラシカル音楽の作品をシンセサイザーでアレンジした『月の光』が、アメリカのビルボードの「クラシカル・チャート」で2位、全英アルバム・チャートで17位を記録する世界的なヒットとなり、グラミー賞の4部門にもノミネイトされました。富田氏はその後もテレヴィ/映画音楽の作曲家として活動する一方で、クラシカル音楽とSF的な世界観を融合したシンセサイザーの作品を発表し続けました。因みに70年代前半に冨田勲の弟子として活動していた松武秀樹は、78年に坂本龍一のアルバム『千のナイフ』のレコーディングに参加したことをきっかけに、YMOの多くの作品や世界ツアーに“マニピュレイター"として参加し、“4人目のYMO"と呼ばれていました。

冨田勲もそうであるように、シンセサイザーはインストゥルメンタルを中心としたテレヴィや映画音楽にもとても向いており、70年代以降シンセをベイスにしたサウンドトラックの制作が多くなりました。その代表例が、ヤン・ハマーが作曲した『特捜刑事マイアミ・バイスのテーマ』(1985年)や、ハロルド・フォルターメイヤーが作曲した映画『ビバリーヒルズ・コップ』のテーマ曲『Axel F』(1985年)などです。

シンセサイザーの独特なサウンドは宇宙をイメージさせることから、特にSF映画のサントラで使われることも多くなりました。その歴史的な作品が、ヴァンゲリスが制作した映画『ブレード・ランナー』のサントラです。近未来のディストピア的な都会の風景や人間の孤独などの感情を見事に捉えたシンセのサウンドは、その後のエレクトロニック・ミュージックに大きな影響を与えました。こういった音楽はポップ・ミュージックとは違って、テレヴィや映画の世界観を作り上げるための“環境音楽"、つまり“アンビエント・ミュージック"の一種といえます。

今回はアンビエント・ミュージックをはじめとする“踊るため以外"のエレクトロニック・ミュージックを取り上げます。


2.アンビエント・ミュージックとアンビエント・ハウス

そもそも“アンビエント・ミュージック"の名付けの親は、英国人のブライアン・イーノと言われています。大学で絵画と実験的な音楽を勉強したイーノは、71年にアート・ロック・バンドのロキシー・ミュージックのシンセサイザー奏者としてプロ・デビューを果たします。しかしイーノはロック・スターのライフスタイルにすぐに飽きてしまい、1973年にロキシー・ミュージックを脱退します。

イーノはすぐソロ活動を始め、実験的なレコーディングの手法を用いた前衛的なポップ・アルバムを何枚かリリースします。75年に、道路を渡る際にタクシーとぶつかるという事故に遭い、数週間自宅で寝たきりに近い状態で過ごすこととなりました。療養中のある日、ガールフレンドが古いハープ音楽のレコードを届けてくれたそうです。彼女は帰る際にそのレコードを再生し始めて去りますが、イーノはアンプのボリュームが低すぎてちゃんと聴こえないことに気づきます。立ち上がって調整するだけのエネルギーがなかった彼は、ハープの音が外の雨の音と重ね合ってかすかに聴き取れるという不思議な体験をします。この体験をきっかけに新しい音楽の“聴き方"に気付いたそうです。

イーノは同75年に『Discreet Music』(目立たない音楽)、78年に『アンビエント1/ミュージック・フォー・エアポーツ』というアルバムをリリースしました。文字通り空港でかかるために作曲した後者のアルバムで、初めて「アンビエント・ミュージック」という表現を使いました。ミニマル・ミュージックとも表現できる本作は、シンセサイザーを中心とした4曲のインストゥルメンタルから構成されており、各曲には題名がなく、番号のみが振られています。アルバムのライナー・ノーツでは “アンビエント・ミュージック"とは“as ignorable as it is interesting"(いかにも聞き流せると同時に、いかにも興味を引くような音楽)であり、“designed to induce calm and space to think"(聴き手を落ち着かせ、考える余裕を与えることを目的としている)と定義しました。

イーノは、その後もアートの展覧会や映画のサントラ用のアンビエント・ミュージックの制作を続けてきました。同時に、デヴィッド・ボウイの『ロウ』や『ヒーローズ』、U2の『ヨシュア・トゥリー』や『アクトン・ベイビー』、コールドプレイの『美しき生命』など、名だたるポップ/ロック・ミュージシャンの名作といわれるアルバムのプロデュースも手掛けたことでも知られています。2014年にはアンダーワールドのカール・ハイドと共同名義でリリースした『サムデイ・ワールド』と『ハイ・ライフ』も話題を呼びました。

ブライアン・イーノのようにロックからアンビエントへシフトしたアーティストもいれば、ダンス・ミュージックからアンビエントへシフトしたアーティストもいます。後者の例が「The KLF」と「The Orb」という、どちらも英国出身のデュオです。MUSIC & PARTIES #035で「The KLF」は1988年に『What Time is Love (Pure Trance 1)』というトラックでトランス・ミュージックの誕生を予見したことを紹介しましたが、この2人は“アンビエント・ハウス"というジャンルの創始者としても知られます。

1988年、アレックス・パッターソンは、所属していたロック・バンドから脱退し、The KLFのメンバーとして活動していたジミー・コーティとThe Orbというデュオを結成し、DJ活動と音楽制作を始めました。2人は納得のいくドラム・サウンドを出せなかったことから、ビートのない音楽を制作するようになります。当時ロンドンの人気ナイトクラブ「Heaven」のレジデントDJだったポール・オーケンフォールドが、2人に目をつけ、彼らに自分のクラブナイトのサブフロアの“チルアウト・ルーム"を担当させることにします。(アンビエント・ミュージックが“チルアウト・ミュージック"と呼ばれるようになったのは、Heavenのサブフロアの名前に由来すると言われています。)メインフロアのノリノリなアシッド・ハウスで踊り疲れたり、エクスタシーのハイから“クール・ダウン"するスペイスを求めていたクラバーたちの間で、The Orbのプレイは徐々に人気を集めるようになっていきました。その後、彼らの音楽は英国の音楽メディアから「アンビエント・ハウス」と呼ばれるようになりました。

1990年に2人はデビュー・アルバムの制作に取り掛かり始めますが、パッターソンはThe OrbをThe KLFのサイド・プロジェクト的な存在として扱いたがっていたコーティと意見が食い違い、2人は決別することとなります。その後コーティはThe KLFとして活動を続け、パッターソンは新メンバーを迎えてThe Orbとして活動を続けました。The Orbは1991年にようやくデビュー・アルバム『The Orb's Adventures Beyond The Ultraworld』をリリースしました。2枚のCDに渡って繰り広げられる、宇宙を舞台としたサイケデリックなトリップは、アンビエント・ハウスの傑作とされています。

一方でThe KLFはより“のどかな"アンビエント・サウンドを追求することにしました。90年前後、ロンドンでは市街地周囲を繋ぐ環状高速道路「M25 モーターウェイ」沿いの空地で違法レイヴが頻繁に行われていました。The KLFは、野外レイヴで朝まで踊り明かし、日の出がのどかな田舎風景を照らし出す頃に聴きたくなるような“クール・ダウン"するための音楽のアルバムを作りたいと思い、制作したのが1990年の『Chill Out』です。本作はスティール・ギター、シンセサイザー、鳥のさえずりなどの環境音の上に、エルヴィス・プレスリーやフリートウッド・マックなど作品のサンプルを重ねた1曲44分の作品として一気に録音されました。2人が制作時に思い浮かべたイメージは、英国ではなく、アメリカのテキサス州からルイジアナ州まで、メキシコ湾に面する南部の州を車で横切ったドライヴだったそうです。(当時の2人は一度もアメリカの南部を訪れたことはありませんでした。)イーノのアンビエント・ミュージックは環境に溶け込むようなものであるのに対して、The KLFのアンビエント・ミュージックはある風景へとリスナーを誘うような音楽でした。

アンビエントやチルアウト・ミュージックのジャンルで優れた作品をリリースした日本のミュージシャンもいます。その代表例が砂原良徳と高木正勝です。

キーボード奏者の砂原良徳は、1991年から1999年まで電気グルーヴのメンバーとして活動しましたが、95年からソロ活動も始めました。エッジのあるテクノ・サウンドが特徴の電気グルーヴに対して、砂原氏のソロ作品はオシャレなラウンジ・サウンドが特徴です。それがよく表れているのが、「空港」や「飛行機で世界を旅する」ことをコンセプトした“飛行機3部作"と呼ばれる『Crossover』『TAKE OFF AND LANDING』『THE SOUND OF ‘70s』という3枚のアルバムです。ドライブや一服したい時にも最適な、心地よいムードにさせてくれる音楽です。

京都出身の高木正勝はピアノを用いた音楽と、それに合わせた「動く絵画」のような映像を手がける作家として知られます。2001年にアメリカのインディー・レコード・レイベルからリリースされたソロ・デビュー・アルバム『pia』では、実験的なアンビエント・サウンドに子供の笑い声などを重ね、温もりのある風景が思い浮かぶ作品となっています。その後、ポップ寄りのサウンドに徐々にシフトしていきましたが、2013年の『おむすび』と2014年の『かがやき』は“哀愁漂う"、日本ならではのアンビエント・ミュージックの最高傑作と評する声も多い作品です。また、高木氏は細田守の長編アニメ作品『おおかみこどもの雨と雪』『バケモノの子』『未来のミライ』などの映画音楽を手がけたことでも知られています。

オススメのアンビエント・ミュージック・アルバム

Brian Eno – Ambient 1: Music for Airports

Brian Eno – Thursday Afternoon

The Orb’s Adventures Beyond the Ultraworld

The Orb Featuring David Gilmour – Metallic Spheres

Sunahara Yoshinori - TAKE OFF AND LANDING

Takagi Masakatsu – かがやき


3.心を癒すニュー・エイジ・ミュージック

空間でBGMとして流れることを想定としたアンビエント・ミュージックや“クール・ダウン"をすることを目的としたチルアウト・ミュージックと多くの共通点を持つのが“ニュー・エイジ・ミュージック"です。ニュー・エイジ・ミュージックは60年代のヒッピー・ムーヴメントや自然回帰願望を持った人々を対象とした実験的な“癒しの音楽"としてスタートしました。1976年にアメリカで「ウィンダム・ヒル・レコード」という、アコースティック・インストゥルメンタルを専門としたレイベルが立ち上げられ、多くのニュー・エイジ系のアーティストを輩出したことによって、80年代に入るとこのジャンルは一気に世界的なブームとなります。このレイベルからアルバムを発表している代表的なアーティストの中には、ピアニストのジョージ・ウィンストンやヤニー、ギターのマイケル・ヘッジス、フュージョンのアール・クルーやスパイロジャイラ、ザ・リッピントンズ、ジャズ・デュオのタック&パティなどがいます。80年代のニュー・エイジ・ミュージックを象徴するのがアイルランドの歌手「エンヤ」です。彼女が商業的に成功するきっかけとなった1988年のシングル『オリノコ・フロウ』は、世界各国の音楽チャートでトップ10入りした大ヒットとなりました。

ニュー・エイジ・ミュージックは瞑想やヨガ、マッサージを受ける時などにBGMとして使用されるような音楽です。日本では“癒し系音楽"や“ヒーリング・ミュージック"という名称でも知られています。そのくくりは音楽理論に基づくものではなく、音楽の “雰囲気"や“用途"に基づくものであるため、厳密な定義がなく、幅広い音楽スタイルが含まれています。ここではシンセサイザーを用いたエレクトロニック・ミュージックの要素が強いアーティストを取り上げます。

ヒーリング・ミュージックの巨匠といえば、世界的な知名度を誇る喜多郎の名前を挙げなくてはなりません。愛知県豊橋市出身の喜多郎は、高校時代に欧米のロックンロールやR&Bのカヴァー・バンドでエレキ・ギターを担当し、高校卒業後に音楽シーンに浸るために上京しました。そこでシンセサイザーという楽器のことを初めて知ります。 70年代にはキーボード奏者として日本のプログレッシヴ・ロック・バンド「ファー・イースト・ファミリー・バンド」の一員として活動しました。レコーディングのためにヨーロッパに訪れた際に、ドイツのシンセサイザー奏者のクラウス・シュルツェと出会い、シンセの魅力を直伝してもらいました。帰国後、喜多郎は77年にソロ活動に転換し、シンセサイザーの実験的演奏を始めました。

喜多郎はそれまで自身のプログレッシヴ・ロック・サウンドのベイスとなっていた東洋音楽、フォーク・ミュージック、クラシカル・ミュージックの要素と、壮大でありながら優しい、メロディアスなシンセ・サウンドと組み合わせ、自然界からインスピレイションを受けた独自の音楽を追求していきます。80年代前半にかけて徐々に日本、アジア、そして世界で注目を集めるようになり、85~86年ごろにアメリカの大手レコード会社ゲフィン・レコードと契約を結びます。それまで日本国内で発表していた6作が欧米で再リリースされることとなりました。エレクトロニックとアコースティックの楽器を組み合わせた優しいサウンドは、欧米のレコード業界が用いていた“ニュー・エイジ・ミュージック"と最も近かったことから、喜多郎の音楽もその中に分類されました。本人は自分の音楽をそのように意識したことはないそうです。しかし、アメリカでは1987年にグラミー賞の「最優秀ニュー・エイジ・アルバム賞」ができ、喜多郎は何度かのノミネイトを経て1999年の『Thinking of You』で受賞を果たしました。因みに喜多郎の元妻は、山口組の三代目組長・田岡一雄の娘、田岡由伎です。

90年代に日本を含め世界的に有名になったニュー・エイジ・グループが、ドイツの「エニグマ」です。ルーマニア人の作曲家マイケル・クレトゥを中心としたエニグマは、90年にアルバム『サッドネス・永遠の謎(MCMXC a.D.)』でデビューし、シングルとしてリリースされた『サッドネス・パート1』はアメリカの音楽チャートでもトップ10入りを果たし、世界で500万枚以上売り上げる大ヒットとなりました。グレゴリオ聖歌(いわゆる“グレゴリアン・チャント") や民族音楽などの古典音楽のサンプルをダンス・ビートと重ねたサウンドは、新しいタイプのヒーリング・ミュージックの誕生を感じさせました。また、音源のサンプルを大胆に再解釈することが多いヒップホップやダンス・ミュージックとは違い、エニグマは長いサンプルをそのまま曲に取り入れることが多かったため、エニグマの音楽が人気を集めることによってオリジナルのグレゴリアン・チャントやアジアの民族音楽などにも新らたに注目が集まるようにもなりました。

エニグマが影響を与えたアーティストの中でも、フランスの「ディープ・フォレスト」は特筆すべきグループでしょう。彼らは打ち込みによるアンビエント・ミュージックをベイスにワールド・ミュージックや動物の声や自然音を重ねて人気を集めました。そもそもメンバーの1人であるミシェル・サンチェーズは、旅行でアフリカを訪れた際に現地の音楽や文化に刺激を受け、民族の会話や子守唄を収録した音源をフランスに持ち帰りました。それをサンプリングしてエレクトロニック・ミュージックを制作できないかという思いでキーボード奏者のエリック・ムーケとスタートしたのがディープ・フォレストです。そのサウンドを象徴するのが代表曲の『Sweet Lullaby』です。本作はヨーロッパとオーストラリアを中心にヒットしましたが、一方で、「アフリカの民族音楽を勝手にサンプリングしてエクゾチックな空気を演出しようとしている」という批判も受けました。ディープ・フォレストは1995年にアルバム『Boheme』でグラミー賞「最優秀ニュー・エイジ・アルバム賞」を受賞しました。

オススメのニュー・エイジ・ミュージックの作品

Kitaro – Best of 10 Years

Enigma – Love, Sensuality, Devotion: Greatest Hits & Remixes

Deep Forest – Boheme

The Very Best of Enya

George Winston – Autumn

Tuck & Patti – Dream


4.実験的なサウンドを追求した“IDM"

90年前後の英国では、アシッド・ハウス・シーンが絶頂期に達していました。レイヴでかかるようなダンサブルなノリノリ系の音楽に対して、The OrbやThe KLFは、アシッド・ハウスとアンビエント・ミュージックを融合させ、90~91年頃に“アンビエント・ハウス"を生み出します。その後、英国を中心に、より実験的なアンビエント・ハウスのサウンドを追求するアーティストたちが多く現れました。

こうした実験的なサウンドの人気を決定づけたのが、「Warp」というレイベルの存在です。1992年にはWarpから『Artificial Intelligence』というアンビエント・ハウス・ミュージックのコンピレイションがリリースされました。本作にはThe Orbに加え、「エイフェックス・ツイン」や「オウテカ」などのアーティストの曲が収録されていました。このコンピレイションの名前に因んで、「踊るためのダンス・ミュージック」とは一線を画した「自宅で座って聴くためのエレクトロニック・ミュージック」は“インテリジェント・ダンス・ミュージック"(略してIDM)と呼ばれるようになったと言われています。

IDMの革命児とされ、その後のエレクトロニック・ミュージックに大きな影響を与えたのが、英国出身のエイフェックス・ツインです。彼は若い頃からシンセサイザーを解体したり組み立て直したりして実験的な音楽の制作を始め、80年代終盤には英国のレイヴでDJ活動も始めました。1992年にリリースしたデビュー・アルバム『Selected Ambient Works 85-92』は、エレクトロニック・ダンス・ミュージックの歴史的名盤だとされています。彼がティーネイジャーの頃から自宅でアナログ機材を使って制作していた作品を含めた本作は、ブライアン・イーノのアンビエント・ミュージックにハウス・ミュージックやテクノに由来するビートやベイスを重ねることで、宙に浮かんでいるかのような気分にさせてくます。

また、エイフェックス・ツインは1996年の『Richard D. James Album』で、静けさが特徴のアンビエント・ミュージックと激しさが特徴のジャングルを組み合わせるという画期的な実験を行い、大反響を呼びました。ジャケットに使われている“悪魔の笑い顔"のようなポートレイト写真は、彼のいたずら好きな遊び心の全てを物語っています。

英国出身のデュオである「オウテカ」もIDMの主要アーティストとして知られます。80年代のファンクやエレクトロ、アシッド・ハウスに強く影響された彼らは、“アンビエント・テクノ"という、いってみれば“踊れない"テクノ・ミュージックを作り出しました。1994年にWarpからリリースしたセカンド・アルバム『Amber』は、このジャンルの1つの傑作とされています。機械的でありながら流動的な音は、未来的な都市風景を浮かばせます。

オウテカはその後、徐々により実験的な方向に進みます。2001年にリリースしたアルバム『Confield』以降、温もりのあるアンビエント・サウンドからより前衛的なサウンドにシフトしました。それまでのシンセサイザーに基づいた音作りから、パソコンのプログラムを用いた音作りに取り組むようになり、敢えてカクカクした不自然なサウンドを目指すようになりました。そもそも「オウテカ」(Autechre)という名前は、“Au"という文字をまずパソコンに打ち込み、残りはランダムにキーボードを叩いて生まれたそうです。正にそれと同じアプローチを音楽制作にも適応させたといえます。

ドラムンベイスのアーティストとしても知られる「スクウェアプッシャー」も、IDMを代表する作品をリリースしています。90年代前半に音楽制作を始めたスクウェアプッシャーは、ウェザー・リポートやジャコ・パストリアスに代表されるジャズ・フュージョンや、アンビエント・ミュージックとブレイクビーツを組み合わせたエイフェック・ツインのサウンドに強い影響を受け、彼自身も実験的な音作りに取り組んでいました。その音楽がエイフェックス・ツイン本人の目に止まり、彼がWarpのサブレイベルとして展開していた「Rephlex」と契約を結ぶこととなります。そこからリリースしたデビュー・アルバム『Feed Me Weird Things』は“ドリル・アンド・ベイス"という、 “踊れない"ドラムンベイスのサブジャンルを確立しました。

スクウェアプッシャーはやがてサンプラーやシーケンサーを用いて計算され尽くされた音作りに飽きてしまい、生の楽器を用いた即興演奏の実験を始めます。1998年にWarpからリリースされた『Music Is Rotted One Note』は、IDMとジャズ・フュージョンを融合させたようなサウンドが特徴的で、スクウェアプッシャー本人がドラムとベイスを演奏しています。

こういったアーティストの活動も含め、2000年代以降もIDMというジャンルは存在し続けていますが、“ニュー・エイジ・ミュージック"もそうであったように、その定義は曖昧です。IDMのアーティストの多くは、より実験的なサウンドを追求するか、よりダンス・ビートを取り入れたサウンドを探るかの2つの方向に別れていきました。そもそも、IDMに分類される多くのアーティストたちは当初から“IDM"というカテゴライズを拒否、もしくは反対であることを公言しています。Warpも一時期「エレクトロニック・リスニング・ミュージック」という名称を定着させようとしたり、エイフェックス・ツインも「ブレインダンス」という名称を広めようとしましたが、どれも定着しませんでした。いずれにせよ、IDMを強いて定義するとしたら、商業的な音楽とは反対方向を行く音楽、といえるでしょう。

オススメのIDM作品

Aphex Twin - Selected Ambient Works 85-92

Aphex Twin – Richard D. James Album

Aphex Twin - Syro

Autechre - Overteps

Squarepusher – Ultravisitor

Squarepusher – Be Up A Hello


5.アンビエント・ミュージックやIDMの影響を受けたエレクトロニカ/デジタル・ロック

IDMそのものはメインストリーム化することは決してありませんでしたが、その影響はメインストリームのポップやロックにまで幅広い音楽ジャンルに及びました。

その代表例が、英国を代表するオルタナティヴ・ロック・バンドのレイディオヘッドです。レイディオヘッドは90年代前半、グランジ・ロック・サウンドで注目を集めるようになりました。しかし90年代後半以降は、電子楽器を積極的に取り入れるようになり、より実験的で前衛的な方向性にシフトします。1997年にリリースされた『OK Computer』は21世紀の社会に蔓延する憂鬱や疎外感を予見したロックの名作とされています。そしてバンドのヴォーカルを担当するトム・ヨークは次回作『Kid A』を作る際に、それまでリリースされていた「Warp」の作品を全部購入し、参考にしたそうです。『Kid A』以降、レイディオヘッドのサウンドはオルタナティヴ・ロックではなく“エレクトロニカ"や“デジタル・ロック"と称されるようになりました。

アメリカのトレント・レズナー率いるオルタナティヴ・ロック・バンド「ナイン・インチ・ネイルズ」もよくブライアン・イーノやIDM系のアーティストと比較されることがあります。このバンドは激しいサウンドが特徴のインダストリアル・ロックというサブジャンルをメインストリームにブレイクさせたことで知られます。1999年のアルバム『The Fragile』からエレクトロニック・ミュージックの要素を積極的に取り入れるようになり、 2008年にリリースされた『Ghosts I-IV』は堂々としたアンビエント・ミュージックの作品となっています。

レズナーは、このアルバムをきっかけに、2010年代はアンビエント・ミュージックを基本とした多くの映画サントラを制作していくことになります。この期間の代表作が『ソーシャル・ネットワーク』(2010年)や『ドラゴン・タトゥーの女』(2011年)のサントラです。

2007年にWarpからデビューしたフライング・ロータスも、実験的なエレクトロニック・ミュージックを語る上で忘れてはならない人物です。ジャズの偉人・ジョン・コルトレーンを大叔父に持つフライング・ロータスは、ジャズ・ラップ、ヒップホップ、IDMなどの要素を自由自在にブレンドさせたサウンドで知られます。彼の音楽的なヴィジョンが花開いた歴史的な作品が、2010年の『Cosmogramma』です。本作はエレクトロニック・ミュージックをベイスにPファンクやアレステッド・ディヴェロプメントに代表されるようなサイケデリック・ヒップホップを取り入れたことが高く評価されました。

アイスランドの前衛的なロック・バンドであるシガー・ロスも、アンビエント・ミュージックの空気感やIDMの実験的なスタンスを持つバンドです。シガー・ロスはこの世のものでないような夢見心地のサウンド、ファルセットのヴォーカル、ヴァイオリンなどを弾くために使われる弓を用いたギター演奏(かつて、レッド・ツェッペリンのジミー・ペイジも行なっていた)など、独特な世界観を作り出した音楽で知られます。そのスタイルが最も輝いているのが、彼らが世界的にブレイクするきっかけとなった1999年の『アゲイティス・ビリュン』です。

シガー・ロスの幻想的なサウンドは“シューゲイザー"とも呼ばれることがあります。シューゲイザーとは、サイケデリック・ロックを再解釈したロックのサブジャンルで、ディストーションをかけたギターに囁くように甘いヴォーカルを乗せたサウンドが特徴です。演奏者が超然とした態度で足元を見ながら演奏していたことや、ギタリストが足元にある多様のエフェクターを見ながら演奏することから「シューゲイザー」(靴を見つめる人)と称されるようになりました。このサウンドを代表するアーティストがアイルランドの「マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン」です。

マイ・ブラッディ・ヴァレンタインなどのシューゲイザーのアーティストに強い影響を受け、独特のアンビエント・ミュージックを制作しているのがドイツのウルリッヒ・シュナウスです。シューゲイザーの幻想的な風景とニュー・エイジ・ミュージックの浮遊感を融合させたようなサウンドは、パーティーが終わった後の“クール・ダウン"に最適な音楽です。特にオススメなのが、2003年の『A Strangely Isolated Place』と2012年の『Underrated Silence』です。

オススメのエレクトロニカ作品

Radiohead – Kid A

Thom Yorke – Anima

Nine Inch Nails – The Fragile

Nine Inch Nails – Ghosts I-IV

Trent Reznor and Atticus Ross – Girl With the Dragon Tattoo

Trent Reznor and Atticus Ross – Gone Girl

Flying Lotus – Cosmogramma

Flying Lotus – Flamagra

Sigur Ros - Agetis Byrjun

Sigur Ros – Kveikur

Ulrich Schnauss – Underrated Silence

Ulrich Schnauss - A Strangely Isolated Place


6.エピローグ

今回のコラムで取り上げた音楽は、どれもが定義が曖昧であることが1つの共通点です。ブライアン・イーノの“アンビエント・ミュージック"の背景には彼なりのフィロソフィーがあります。“空気"そのものがそうであるように“アンビエント"は掴もうともつかみきれないところがあるのです。イーノのように環境に溶け込み、そこにあるのかないのかわからないようなものもあれば、エイフェック・ツインのようにビートがはっきりとあるものもあります。アンビエント・ハウスやアンビエント・テクノの境界線もいうまでもなく曖昧です。“エレクトロニカ"という表現も、こういった音楽を総称して使われる場合もあれば、レイディオヘッドやナイン・インチ・ネイルズのようなデジタル・ロックのバンドを指すこともあります。
前述のように、中でも最も物議を醸したのが、“Intelligent Dance Music"という名称でした。エイフェックス・ツインをはじめ、IDMのアーティストたちはこの名称を「意味不明」だと拒否しました。エイフェックス・ツインらからすると、部屋やスタジオに引きこもって何時間も何時間もシンセサイザーなどの音響機材の実験に没頭することは、果たして“インテリジェント"と呼んでいいのか、といった違和感もあったのではないでしょうか。また、エレクトロニック・ミュージックを「踊るためのエレクトロニック・ミュージック」と「聴くためのエレクトロニック・ミュージック」に分類するという二者択一にも疑問があって当然です。そもそも、踊り疲れて聴くための音楽であるはずなのに“Dance"という言葉が入っている時点で“インテリジェント"でないです。

かつてプログレッシヴ・ロックやプログレッシヴ・ハウスの“プログレッシヴ"という表現が冷たい目で見られたように、“インテリジェント"という“スティグマ"を押されるのは、どこかダサいと感じるところもあったのでしょう。IDMというジャンルを生み出したアーティストたちの多くは英国人でした。プログレッシヴ・ロックがそうであったように、やはり音楽に知的な要素を何かしら取り入れたくなるのが英国人なのでしょう。

一方、ロックやポップやパーティー・ミュージックなど、アメリカのメインストリーム音楽は、気取らないところにこそアイデンティティを見出しています。MUSIC & PARTIES #038でも紹介した、ハウス・ミュージックがメインストリーム化し、“EDM"という商業的なエレクトロニック・ダンス・ミュージックが世界的に普及したことは、それを象徴しています。EDMが大衆的で集団的な音楽であるなら、IDMはその反対に、プライヴェートで内向的な音楽なのです。Ultra Music FestivalなどのEDM系のフェスを訪れる若者の目的もいわば“バカ騒ぎ"です。“EDM"の人気が爆発し、あっという間に形骸化した様子を見ると、“IDM"というネーミングがいかに適切であったかがようやく見えてきたように思います。


MUSIC & PARTIES #039

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