1.「森山大道の東京 ongoing」
恵比寿にある東京都写真美術館では2020年9月22日(火・祝)まで「森山大道の東京 ongoing」展が開催されています。日本を代表する写真家でストリート・スナップ写真の名手として知られる森山氏は、2019年に「写真界のノーベル賞」とも呼ばれるハッセルブラッド国際写真賞を受賞しました。今回の展覧会は、受賞後、初の国内での大規模写真展となります。本展の名前にある“ongoing"とは「進行中」「進化の途中」を意味する英語です。スナップ写真を撮り始めて60年近く経った現在もなお、疾走し続ける森山氏が捉えた東京を展観することができます。森山氏といえば「アレ・ブレ・ボケ」と呼ばれる写真表現とコントラストが強い白黒写真で知られますが、本展では最近撮影されたカラー作品も紹介されています。モノクロームとカラーの作品群を対比するかのように構成された展示空間を体感することができます。

2.森山大道について
森山大道は、1938年に大阪府池田市で生まれました。工芸高校を中退した後、父親の紹介で小規模な商業デザイン会社で働き始めました。その仕事の中で写真を扱うこともあり、当時の大阪を代表する写真家の岩宮武二のストゥディオに出入るするようになります。自分はデスク・ワークに向いていないと実感した森山氏は、1960年に岩宮氏ののアシスタントとなります。しかし東京へ行きたいという願望があまりにも強く、1年半後にはアシスタントを辞めて上京します。東京では、当時若手の写真家の中でも注目を浴びていた細江英公の初代のアシスタントとなり、数年間の修行を経験した後、独立しました。
森山氏は1967年に「カメラ毎日」で発表した作品シリーズが高く評価され、日本写真批評家協会新人賞を受賞します。その後「アサヒカメラ」「朝日ジャーナル」「太陽」など多くの雑誌で写真を発表していきます。特に1968~70年の間には写真同人誌「プロヴォーク」に参加し、「アレ・ブレ・ボケ」と呼ばれる独自のスタイルを追求し、日本の写真界に強い衝撃を与えました。森山氏は独立して以来、60年近く毎日、東京の路上を歩き回り、日常の風景をスナップ写真として撮影しています。
3.オススメの作品
●『写真よさようなら』
1972年に写真評論社から出版された伝説的な写真集の復刻版です。森山氏の「アレ・ブレ・ボケ」の美学の極致ともいえる内容で、何が写っているのかが分からないような写真がランダムに構成された印象を受けます。写真の既成概念を否定するというよりも、それを破壊するともいえる“パンク"な写真集です。
●『光と影』
1982年に冬樹社から出版された名作写真集の新装版です。『写真よさようなら』の発表後、「写真とは何か」を問い続ける中で燃え尽きてしまった森山氏が、一時期のスランプを経て、目の前の“光と影"をそのまま素直に捉えばいいという、原点のスタンスに戻ったモノクロ作品です。
●『ニュー新宿』(2014年)
森山氏が2000年代前半の新宿を捉えたスナップ写真の集大成です。2003年の毎日芸術賞を受賞した『新宿』と2006年に発刊された『新宿+』の作品を再編集し、未発表作を加えた内容となっています。
●『Tokyo』(2020年)
ストリート・スナップで東京を巡ることをコンセプトとした森山氏によるガイドブックです。六本木、銀座、築地、渋谷、原宿、新宿、浅草、上野、池袋、お台場、中野など、森山氏の視点で現代の東京の町並みをモノクロで捉えています。表紙は、あの世界的に有名な観光ガイドブック・シリーズを彷彿とさせるデザインとなっています。
4.展覧会を見終えて
僕の身の周りにいる在日外国人(主に欧米人)は昔から、「東京は素晴らしい都市だが、暮らし安さで言うと大阪とか、関西の方が居心地がいいかな」というようなことを聞きます。どういうことなのかとその真相を聞いてみると、どうやら東京が不便であるとか(東京の交通機関は世界一複雑です)、物質的に何かが不足しているとか(実際には東京で手に入らないものは、ほとんどありません)、そういうことではないようなのです。関西人の方が人柄がフランクで朗らかであり、彼ら欧米人からするとそれはつまりよりフレンドリーで心を通わすことができるからなのだそうです。東京では人々の目線をついつい気にしてしまうが、関西では多少無礼なことをしてしまっても大目に見てもらえると感じているようです。
また、東京は世界の大都市の中でも清潔な街として有名ですが、ニュー・ヨークやサン・フランシスコ、ロンドンやパリなどから来た彼らからすると、少し汚いが、より“個性"のある大阪の方が“居心地の良さ"を覚えることができるのかもしれません。東京には下北沢の狭い路地、渋谷の道玄坂やのんべえ横丁、新宿のゴールデン街やしょんべん横丁(現在では「思い出横丁」)などのような場所があり、こうした“汚い"東京に外国人は惹かれるようです。関西ではそういった風景がより広範囲に広がっている印象があるのです。
森山大道のスナップ写真の中でも、渋谷、原宿、新宿、下北沢などのそういった路地の風景が撮影されています。実際、今回の展覧会『森山大道の東京 ongoing』でも、そうした街を写した作品が多く展示されていました。森山氏は東京のスナップ写真で知られていますが、東京の街の風景や日常を“関西人"の視点から撮っている印象を受けます。それは言い換えると“エイリアン"としての視点です。森山氏は上京して60年も経ちますが、「3代続かなければ江戸っ子とはいえない」と言われるように、“東京人"の視点が身に付くのには長い年月がかかるものです。“エイリアン"だからこそ見えてくる東京の姿もあることも事実でしょう。そしてだからこそ、森山氏の写真は国際的にも評価されているのではないでしょうか。こういった視点は、ページをめくらないと次の写真が見えてこない写真集を見るより、展覧会で多くの作品が一堂に並べられている様子を見た方がより伝わってきます。
東京と関西の視点や美意識の違いは、「粋」という字にも表れています。東京(江戸)の「粋(いき)」とは、「気質・態度・身なりなどがさっぱりとあかぬけしていて、しかも色気があること。また、そのさま」(goo辞書)のことだそうです。英語では“chic"(シック)とか“sophisticated"(洗練された)と翻訳されることが多いです。一方、関西(上方)の「粋(すい)」は「世情や人情に通じ、ものわかりがよく、さばけていること。特に、遊里の事情などによく通じていて、言動や姿のあかぬけていること。また、そのさま」(goo辞書)のことだそうです。英語に翻訳するとしたら“worldly"(世慣れした)とか“streetwise"(世渡り上手)が近いニュアンスでしょう。江戸風俗研究家の杉浦日向子によると、江戸の「粋」は吐くときの“息"のことで、つまり余計なものをどんどん削ぎ落とし、脱ぎ捨てていくことだといっています。一方、関西の「粋」は息を“吸う"ことに通じ、何事も受け入れて、受け止めて力強く生きていくことだそうです。近年は海外でもミニマリズムや“ときめかない"ものを処分するという“こんまりメソッド"が流行っていますが、欧米人にとっては、後者の「粋(すい)」の方がしっくりくるのかもしれません。
『森山大道の東京 ongoing』の図録の巻頭のエッセイで、森山氏は岩宮武二の写真ストゥディオを訪れた際に直感的に「なんかオレこっちの方がエエんちゃうか?」と感じたことを明かしています。都会暮らしの"人間臭い"側面や“俗っぽさ"を切り取った森山氏の写真は、“東京弁"ではなく“関西弁"で表現されているのです。