1.7月5日放送分のテーマ、#TakeYourDogtoWorkDayについて
7月5日の『世界へ発信!SNS英語術』で取り上げたテーマは#TakeYourDogtoWorkDay、つまり「犬を職場に連れて行く日」でした。アメリカ合州国のノース・キャロライナ州に拠点をおく「ペット・シッターズ・インターナショナル」が、「犬をペットとして飼うこと」と「収容所や動物救済団体などからの犬の引き取りを促すこと」を目的に1999年に提唱した記念日です。以来、毎年父の日の翌週の金曜日に開催され、全米各地で多くの会社がこの日を祝うようになりました。
この日の放送では、自慢の愛犬が職場のパソコンの前に座っている様子や、To-Doリストのタスクを1つ1つ処理していく様子など、職場のムードメイカーとして活躍する犬などについて投稿された多くのツイートを紹介しました。ここ10年間でSNSではペット専用のアカウントを作ることが流行っており、今や“ドッグ・インフルエンサー"と呼ばれるアイドル的人気を誇る犬も存在するくらいになりました。そういったアカウントの投稿の多くは、1人称で書かれているということも興味深かった点です。
また、アメリカでは近年、ICT系のスタートアップ期の企業を中心に、普段から職場に犬を連れてくることを認めている会社が増えてきていることも紹介しました。犬がいることで、職場全体の士気が上がるだけでなく、ストレスの軽減や仕事の効率があがる効果もあるとする研究結果も発表されています。また、犬がいる飼い主はフレンドリーな印象を周りに与えるということから、職場の人間関係の調和を図る効果もあるとする声もあります。ICT業界では人材の取り合いが激しいため、こういった福利厚生を提供することで優秀な人材を集めようとしているのです。
そもそも西洋文化、特にキリスト教的世界観の下では、人間には“心"や“知性"が神によって与えられたのに対して、動物は知能を持たない存在とされ、人間と区別されてきました。西洋的な自然観では縦の関係が強調され、人間は自然と対抗し、克服することで文明を築いてきたと考えられてきました。その中で、何千年にも渡って猟犬や番犬として飼い慣らされてきた犬は、知能を持たない動物の中でも特別扱いされてきたのです。そのことを最もよく表しているのが、英語では犬のことを“man’s best friend" (「人間の最良の友」)と表していることではないでしょうか。動物の中でも犬には忠誠心や、何か“知能"のような何かが感じられるから、重宝されてきたのでしょう。
一方、日本では、人々は古くから神道の自然観に基づいて自然を敬い、自然と協調した生き方を営んできました。西洋のように人間と動物を区別する思想はなく、人間の命と動物の命も同質のもので、同じ自然の一部であるという生命観を持っています。人間と動物の間には縦のつながりではなく、横のつながりがあるという考え方がそもそもあるので、アメリカにおける犬の立ち位置のように、犬だけを“特別扱い"する考え方が薄いのかもしれません。
2.介助犬、セラピー犬と“エモーショナル・サポート・アニマル"
番組後半では、愛玩動物として飼われるペット以外の犬についても紹介しました。
2018年2月に、フロリダ州のマージョリー・ストーンマン・ダグラス高校で起きた銃乱射事件が起きた後、悲しみを抱えた生徒たちの心を癒すために40匹のセラピー犬(therapy dog)が送り込まれました。セラピー犬とは、介護施設や病院などで高齢者や精神的な治療を必要とする患者と触れ合い、その忠誠心と深い愛情で、患者の身体と精神の回復を補助する犬のことです。セラピー犬は通常、認定試験を受ける必要がありますが、特別な訓練を受けている必要はありません。しかし、公共の場所や他人の周りでも平常心を保たなくてはいけないため、ゴールデン・レトリバーのように、“知能の高い"人懐っこい犬がセラピー犬とされることが多いのです。
また、身体の不自由な人の手助けをする介助犬という存在もあります。(英語では“service dog"あるいは“assistance dog"といいます。)その代表例が盲導犬です。(英語では“guide dog"、アメリカ英語では口語的に“seeing eye dog"といいます。)他にも、手や足の障害のある人のために、指示された物を持ってきたり、落とした物を拾ったり、ドアを開けたり閉めたりしてくれる介助犬もいます。介助犬が一般的な飼い犬と違う一番のポイントは、障害のある人の手助けをする特別な訓練を積んでいるということです。また、1990 年の「障害をもつアメリカ人法」(Americans with Disabilities Act)によって、盲導犬や聴導犬、防護犬など、障害を補うための動物は「サービス動物」と定義され、「障害者がサービス動物を同伴して公的施設、公共交通機関を利用する権利」が保障されています。一方で、セラピー犬は「障害をもつアメリカ人法」によって定義される「サービス動物」とは区別され、公的施設、公共交通機関を利用する権利は保障されていません。
そして近年、アメリカでは“エモーショナル・サポート・アニマル" (精神的なサポートをしてくれる動物)を飼う人が増えています。“エモーショナル・サポート・アニマル"は介助犬のように特別な訓練を受けている必要がなく、セラピー犬のように認定試験を受ける必要もありません。精神科の医者に「この患者にはエモーショナル・サポート・アニマルが必要」という手紙を書いてもらうだけで、人が飼うペットであれば、鳥、亀、豚、ハムスターなど、あらゆる動物が成り得るのです。連邦法、州法によって守られており、本来ペットを飼えない場所にペット同伴で住むことが認められ、その犬を連れて飛行機に乗ることもできます。
現在アメリカ社会では、犬の賢さや癒し効果がますます認められるようになった一方で、 “エモーショナル・サポート・アニマル"については問題視されているのです。ペットはそもそも、一緒にいるだけで飼い主を癒してくれる存在です。そういう意味でも、 “ペット"と“エモーショナル・サポート・アニマル"の区別は非常に曖昧になってしまうのです。自分のペットが“エモーショナル・サポート・アニマル"だと言い張って、制度を悪用しようとしている人が多いのではないかと、疑問を抱く批判的な声も多いのが実情です。そして介助犬やセラピー犬と比べてハードルが低いため、しつけされていない“エモーショナル・サポート・アニマル"が問題を起こしたり、近所迷惑だとされるケースも少なくありません。
3.犬にまつわる様々な英語の慣用句
英語には“man’s best friend"の他にも犬に関連した慣用句が実に多くあります。
例えば、犬は愛嬌たっぷりであることから、喜びや無邪気さ、純粋であることを表す慣用句に用いられます。
●like a dog with two tails
犬は喜びを表す時に尻尾を振ります。尻尾を早く振ると尻尾が2本あるかのように見えること、あるいは2本の尻尾があるとしたらきっと2倍の喜びを表すのに違いない、ということから、「大喜びしている」という意味で使われます。
●puppy dog eyes
直訳するとうるうるした子犬のような目、つぶらな瞳、という意味です。何かを頼む時、何かを乞うような目つきや表情を指します。 “puppy dog face"とも言います。
●puppy love
幼い恋や思春期の淡い恋を指す表現です。
また、“puppy dog eyes"の延長として、犬は可哀想な、哀れな存在というイメージもあります。そこから次のような慣用句もあります。
●underdog
選挙やスポーツの試合などで勝ち目のない人やチームのことを指す表現です。“root for the underdog"で「弱いチームを応援する」、つまり、日本語で言う「判官贔屓(ほうがんびいき)」です。因みに日本語でいう「負け犬」は英語では“loser"と言います。
●work like a dog
直訳すると、「犬のように働く」です。懸命に働くというニュアンスと、奴隷のように扱われてせっせと働くという2つのニュアンスで使われます。
●sick as a dog
犬はよく嘔吐することから、ひどく気分が悪いことや、体調がとても悪いことを意味する表現です。
●die like a dog
文字通り、「犬死する」「惨めな死に方をする」とう意味の慣用句です。
他にも、犬関連のことわざもいろいろあります。
●every dog has its day
have its/one’s dayは「最盛期を迎える」「運が向く」と言う意味の慣用句なので、直訳すると「どんな犬にも最盛期がある」になります。つまり、どんな人にも、一生の内に成功や幸福を味わう時が必ずあるということの例えです。
●you can’t teach an old dog new tricks
直訳すると「老犬に新しい芸を教えることはできない」、つまり、日本語で言う「老い木は曲がらぬ」を意味することわざです。
●his bark is worse than his bite
直訳すると「彼の噛みつきは、彼の吠え声ほど悪くない」、つまり、口ではガミガミ言うが、実際にはそれほど怖くない人のことを表す例えです。
4.“BEWARE OF DOG"
以前『世界へ発信!SNS英語術』で述べたように、僕は、これまで一度もペットを飼ったことがなく、一度も飼いたいと思ったこともありません。小学生の頃に一度だけ、サンノゼのジャパン・タウンのお祭りで金魚すくいをして2匹ほどの金魚をとったことがあるのですが、その金魚もその後、1週間足らずで死んでしまいました。
そもそも僕の両親もペット派ではないので、それも多少の影響があったのでしょう。しかし、個人的に一番の“トラウマ"となっていたのが、アメリカの郊外で住民のフェンスによく貼られている“BEWARE OF DOG" (「猛犬注意」)というサインです。アメリカ人は自分の私有地に他人に入られるのをとても嫌うので、番犬や攻撃犬としか思えないような犬を飼っている人がいます。中には犬は飼っていないが防犯による被害を防ぐためにこのサインを貼っている人もいます。しかし、実際、子供の頃から近所を散歩する際に、よくフェンス越しにいかにも獰猛そうな大きな犬に吠えられた覚えがあります。また、散歩中の犬に噛まれて病院に運ばれた友達が何人もいたので、僕は常に犬が近くにいる時には、ある種の警戒心を持つようになりました。
幸い、日本ではこれまで“BEWARE OF DOG"というサインは一度も見かけてことがありません。ピットブルやロットワイラーなどの犬種も近所で見かけることはほとんどありません。日本語には「愛玩動物」と言う言葉があるように、ペットは可愛がるもので、可愛ければ可愛ほど良いとされます。街には、春夏はTシャツ、秋冬はニットを着た犬や、ペット・ストローラーに乗せられた犬を良く見かけます。また、日本では、飼っている犬や猫のことを“うちの子"と呼んで、自らの子供のように溺愛している“親"をよく見かけます。
一方で、欧米では、昔からペットは基本的に“it"という代名詞が用いられてきました。これは、冒頭でも述べたように、キリスト教では、知能のある人間と知能のない動物が区別されているからです。動物に対して“he"や“she"を使うことは、動物に人間的な特質を与えているかのようで、僕などは現在でもある種の違和感を感じます。ただ、現代社会においてはペットは家族同然の存在となり、動物にも雌雄はあるということから、“he"や“she"を用いる人は増えてきています。面識がない、雌雄が分からないペットあれば、“it"を用いるのが普通です。
近年、捕鯨やイルカ漁など、日本で何百年にも渡って営んでこられた伝統に反対する欧米人の活動家の運動が勢いを増してきました。日本と欧米の姿勢の食い違いの背景には、両者の自然観や宗教観の違いがあります。日本的な自然観からすると、人間と動物も同じ自然の一部であり、自然資源には上下関係はありません。欧米的な自然観の下では人間と動物が区別されますが、それはそこに上下関係が生まれることも意味しています。例えば犬は賢いがために“man’s best friend"だとされます。それと同じように、知能の高い動物だと科学的に証明されているクジラやイルカは、“知能のない動物"とは区別され流ようになりました。かつては、鯨油を取るために大量に殺戮していた欧米人が捕鯨に断固反対するのには、こういった自然観の違いがあるのです。