1.プロローグ
セレクトショップという業態は、とても日本的なシステムだと思います。アメリカにもバーニーズ・ニューヨークやロン・ハーマンといった人気のセレクトショップがあるのですが、これも例外的な存在で、日本ほど一般的なものではないと思います。
セレクトショップは、独自のコンセプトやセンスによって様々なブランドやメーカーの商品を“セレクト"して販売している業態のことで、シップス、ビームス、ユナイテッド・アローズが有名です。
どんなブランドのどんな商品を仕入れるかを“バイヤー"と呼ばれるセレクターが決めます。セレクトショップの成功は、このバイヤーのセンスに負うところが大きく、無名のデザイナーがバイヤーに認められ、セレクトショップで人気を掴み、成功するようなケースもあります。
日本には、アメリカでもヨーロッパでも例のないほど、セレクトショップが多く、どのショップもビジネス的にもかなり成功しています。価格は、ファスト・ファッションに比べて、やや高く、ラグジュアリー・ブランドよりは、安いこと、自分で服を選ぶことが下手な日本人にとっては、コーディネートがしやすい商品が揃っていることが成功の鍵だと思います。
ヨーロッパの人は、高級なブランドと安い商品をとても上手く、個性的にコーディネートできる人が多く、アメリカ人は、一つショップ/ブランドで全て買ってしまうような人が多いので、セレクトショップという業態があまりないのだと思われます。
さて今日は、数多ある日本のセレクトショップの中で、このセレクトショップという分野を開拓した3大ショップを中心に紹介したいと思います。
1970年代の中頃、日本では高度経済成長を経て、若者がファッションにお金を使えるような状況が生まれました。マガジンハウスから『ポパイ』という当時としては、珍しい男性ファッション誌というジャンルの雑誌が出版され、大人気を博します。
時を同じくし、上野のアメ横と渋谷の道元坂(当時は風俗街の中にあった)『ミウラ&サンズ』、原宿に『ビームス』という、主にアメリカ西海岸の若者のファッションを輸入するセレクトショップが東京にオープンします。
2.シップス (銀座店/渋谷店)
1975年、上野・アメ横の一坪半の区画に『三浦商品』という輸入服・雑貨店がオープンしました。その後『ミウラ』さらに『ミウラ&サンズ』と屋号を変え、そして現在の『シップス』となります。
当時のアメ横には、多くの米軍の払い下げの小物や服のほか、アメリカから直接買い付けてきた商品などを売る店がたくさんありました。
しかし、『ミウラ&サンズ』の商品のセレクト力は、他店を圧倒しており、飛び抜けた人気を誇っていました。
その後、若者の街、渋谷の道元坂にも出店し、さらに77年には、銀座に『シップス』1号店をオープンしました。
原宿の『ビームス』と競争することにより切磋琢磨し、2つのセレクトショップは、東京の“アメ・トラ"ファッションをリードしていきます。
80~90年代には、全国展開を経て、現在に至っています。メンズとしては、20~30歳代のビジネスマンをターゲットとした「SHIPS MEN」、10~30歳代のカジュアルウェアの「SHIPS JET BLUE」の2つのレーベルを持っています。
メンズだけでなく、女性向け、子供向けのブランド / レーベルも充実しており、幅広い層へのアピールを行っています。
僕が、特に注目をしているのは、渋谷店のビジネス・ウェア関連のフロアです。スーツは、10~15万円、シャツは、1~1.5万円がボリュームゾーンとしており、どれも“気品があって、仕事ができる男"のスタイルをアピールしている感じがします。
僕が最近、気になっている『LARDINI』のスーツやジャケットのオーダーも行っていて、是非一度、作ってみたいと思っています。
<SHOP INFO>
SHIPS 銀座店
SHIPS 渋谷店
3.ビームス
『ビームス』は、1976年に、現在のビームス原宿のあるビルの一角の6.5坪の小さなテナントからスタートします。このショップは、創業者の設楽洋氏と、その後ユナイテッド・アローズを創業する重松理氏によって運営されていたました。設楽洋氏は、1951年東京都新宿区生まれで、現在の筑波大学附属を経て慶応大学経済学部を卒業し、電通に入社するという経歴を持っています。
当初の正式名称は、『AMERICAN LIFE SHOP BEAMS』で、『UCLA』 の大学生の部屋をイメージし、Tシャツやジーンズ、スケートボードなど、ファッションだけではなく、ライフスタイル全般を提案することをコンセプトとしていました。(僕は、東京で50歳代のオジサンが僕の卒業したUCLAについて強い関心を持つ理由がわかりました。)
当時、リリースされたばかりのマガジンハウスの『ポパイ』の石川次郎氏、
『ブルータス』の小黒一三氏と連携することで、業績を上げていきます。
しかし、1989年重松理氏らが、アパレル大手のワールドと共同で「ユナイテッド・アローズ」を設立するために離職。この事件は、当時のアパレル・ファッション業界に大きなインパクトを与えたそうです。
しかし、この困難も克服し、国内外に店舗を展開、2017年現在、744億円の売り上げを誇っています。
ビームスは、シップス、ユナイテッド・アローズに比べて幅広い年齢層を、ターゲットとしており、ブランド/レーベルを数多く展開しています。
女性向けの「レイ・ビームス」や「ビームス・ボーイ」というブランド/レーベルのほか、アート色の強い「インターナショナルギャラリー・ビームス」やTシャツを中心とした「ビームスT」、レコード/レーベルを販売する「ビームス・レコード」、日本・東京をコンセプトとした「ビームス・ジャパン」、「トーキョーカルチャーbyビームス」といったショップを展開しています。
中でも、僕がよく行くのは、原宿の「ビームスf」というスーツやシャツをオーダーできる、ビームス原宿の隣にある2フロアのショップです。スーツは、10~20万円ぐらい、シャツは1~4万円ぐらいとかなり高級なラインアップですが、どの商品も、とても良く「セレクト」されていて、魅力的なショップです。
いつかは、このビームスで「ルイジ ボレッリ」や「バルバ」のシャツをオーダーしてみたいと思っています。
また、渋谷の「ピルグリム サーフ+サプライ」もお気に入りのショップです。僕の憧れの“サーフィン・ライフ"を提案してくれていて、ついつい雑貨とかを買ってしまいます。
代官山にある吉田カバンとコラボレイトした「B印ヨシダ」も代官山におけるチェックすべきショップです。今では、当たり前になったコラボ/ダブルネームの先駆的レーベルの1つです。
<SHOP INFO>
ビームス 原宿店
ビームス ジャパン
ピルグリム サーフ+サプライ
4.ユナイテッド・アローズ
「ユナイテッド・アローズ」は、1989年にビームス原宿店・店長であった重松理氏が、大手アパレルのワールドの支援を受けて独立したセレクトショップです。
当時は、ビームスからバイヤーなど30名以上を引き連れて独立したため、アパレル業界では、大きな話題となったそうです。
独立当時は、より若い層をターゲットとしたビームスとは、反対にターゲットの年齢層を上げ、ビームスより高級な路線を取りました。現在も原宿本店は、その路線を保っています。
一方、30歳代の男女をターゲットとしたカジュアル路線の「グリーンレーベルリラクシング」や20歳代の男女をターゲットとする、よりカジュアルな、ストリート系の「ビューティ&ユース ユナイテッド・アローズ」など幅広い層を取り込むことで事業を拡大してきました。
セレクトショップ運営会社としては、唯一東証一部に上場しており、全国に店舗を展開し、売上高は1,000億円以上あります。
僕がよく行くのは、原宿本店です。原宿本店に併設されているUA BARは、友人との語らいに、よく利用させてもらっています。また、原宿店の向かい側にある「クロムハーツ」にもかなり関心を持っています。
<SHOP INFO>
ユナイテッド・アローズ原宿本店
ユナイテッドアローズ 渋谷スクランブルスクエア店
グリーンレーベル リラクシング ルミネ新宿店
5.エピローグ
BigBrotherのファッションの先生は、『原宿キャシディ』の店長の八木沢さんだそうです。
ポパイなどの雑誌の影響で、アメリカン・トラッドが大きなブームとなった1970年代後半、原宿には『ビームス』、アメ横・渋谷には『ミウラ&サンズ』(現シップス)がセレクトショップとして人気を博していました。
そんな時代の中、都内の附属校の高校生や附属上がりの大学生(いわゆる坊ちゃん)に人気があったのが、『ミドリヤ』という、今でいう裏原(神宮前4丁目、表参道の北側)にあった小さなお店でした。
お金持ちの家のウォークインクローゼットぐらいしかない、本当に小さなショップでしたが、そこには、八木沢さんというオシャレの達人がいました。
BigBrotherは、ラグビー部の先輩に連れられてミドリヤを訪れました。当時は、ラグビー部やアメフト部の部員向けのような大きなサイズは、ほとんど入手できず、オジサン向けの伊勢丹のスーパーサイズのフロアで買うぐらいしかできませんでした。
しかし、ミドリヤの社長も大柄な方だったからなのか、大きなサイズの最新の流行の服も仕入れていました。
まだ、日本では正式なルートでは未発売であった「ラルフローレン」や「バラクーダ」のスイングトップなどの商品を取り扱っていました。
店長の八木沢さんは、そんなBigBrotherたちの良き兄貴として、様々なファッションのアドバイスをしてくれたそうです。
アメリカの良い製品、イギリスの良い製品が毎週のように入荷しており、練習のない日や試合の帰りには、ミドリヤに通っては、ファッションのあれこれを教えてもらっていたそうです。
その後、1981年に原宿キャシディとして、表参道の南側に店舗を移し、現在に至っています。かつて、ミドリヤのあった場所でも“キャシディ・ホームグロウン"として営業しています。
「シエラデザイン」のパーカーも、「セイント・ジェームス」のボーダーも、「チャンピオン」のTシャツも、「アイク・ベーハー」のボタンダウンも、「ジョン・スメドレー」のセーターも、「バス」のローファーも、「グローバオール」のダッフルコートも、全て初めて買ったのは、“キャシディ"だったとのこと。