1.#USOpenについて
NHK Eテレ『世界へ発信!SNS英語術』の9月6日放送分のテーマは、#USOpenでした。
“グランド・スラム"と呼ばれるテニスの世界4大大会の1つである全米テニス・オープンが開催中ということで、日本の選手の成績と健闘を振り返り、SNSを通してテニスを楽しむ方法を紹介しました。
今年の全米オープンでは、残念ながら大坂なおみ選手は4回戦で天敵のベリンダ・ベンチッチ選手に、錦織圭選手は3回戦に若手のアレックス・デミノー選手に敗れました。
錦織選手は、2018年に手首の故障から本格的に復帰を果たし、それ以降、コツコツとランキングをあげてきました。2018年末にはトップ10に返り咲き、2019年は、全豪オープンの前哨戦とされる「ブリスベン国際」で優勝し素晴らしいスタートを切りました。それ以降はまずまずの成績です。ファンとしては、2014年の全米オープンの決勝で惜しくも負けたトラウマは、今でも錦織選手に大きくのしかかっている気がしてなりません。
一方、大坂選手は、今年1月の全豪オープンで優勝しましたが、それ以降は不本意な成績が続き、バーンアウト(バーンアウトとは、「バーンアウト症候群」つまり「燃え尽き症候群」のことです。仕事などに没頭していた人が意欲を失う、鬱病の一種です。)が懸念されていました。今回の全米オープンでは、前回優勝者(そして今回は第1シード)として、「グランド・スラムのタイトルを守る」という初めての経験の中、1回戦ではフルセットにもつれながらも勝利できたことは大変立派だと思いました。最終的にタイトルを防衛できなかったのは残念ですが、その理由は、現在の女子プロ・テニス界のトップの層がとても厚いからなのです。大坂選手が負けた時点で、2019年の4大大会のチャンピオンは別々の選手となることが確定したことが、そのことを物語っています。
男子について言えば、2019年の全豪オープンはセルビアのノバク・ジョコビッチ、全仏オープンはスペインのラファエル・ナダル、全英オープンはノバク・ジョコビッチ、全米オープンでは5セットの接戦の末、ナダル選手が4回目の優勝を果たしました。未だに若手選手らが世代交代を実現できていません。
2.“自虐的"なメッセージを発信する大坂選手
今回の収録の日前の夜中に大坂選手が4回戦で敗退し、収録直前の打ち合わせでは、それをどのように扱うか様々な議論がありました。すると、ちょうどその頃に大坂選手が今大会を振り返った投稿をしていたことが分かり、急遽そのツイートを紹介することとなりました。
If there’s one thing I know it’s that I’m stubborn. Fall on my face 18million times and I’m gonna get up 18million times 🤷🏽♀️ just wanted to say I’m probably gonna fall down a couple dozen times in the future but hey, the kid is resilient 😉❤️ love you NY see you next year! pic.twitter.com/Gb2l9G7JgY
— NaomiOsaka大坂なおみ (@naomiosaka) September 3, 2019
「1つだけ確実なのは、自分は負けん気が強いこと。1,800万回転んでも、1,800万回立ち上がります。1つ言っておきたいのは、これからもきっと何十回も転ぶと思うけど、“この子"(=私)は立ち直りが早いのよ。愛しているよNY、また来年!」
“resilient"は「立ち直りが早い」という意味ですが、敗れた8時間後にSNSに投稿していることが正にそのことを物語っています。大坂選手がSNSで育ったデジタル・ネイティヴ世代であることも理由でしょう。(選手の中では、大会前には頻繁に投稿していたのに、敗北後はしばらく投稿がない選手が多いものです。)
大坂選手の試合後のインタヴューやSNSを見ると、彼女が年齢以上の謙虚さや賢さを持ち、自分の課題点と素直に向き合うタイプであることがよく分かります。彼女には人を惹きつけるチャーミングな人間性があります。100万人以上のフォロワーに自分のプライヴェートのショットを投稿するときも、セレブ的な傲慢さはなく、観客的な自己認識があることも人気の秘訣です。
また、日本の選手として闘っている大坂選手ですが、彼女の言葉にはアメリカ育ちならではのユーモアのセンスがあります。それが“sarcasm" (サーカズム)、あえて思っていることと真逆のことをいうことです。日本語でいうと一般的に「皮肉」と翻訳されますが、「人を傷つけるための意地悪」というイメージの「皮肉」以外にも、“sarcasm"は物事を面白おかしく非難するために使う表現手法でもあるのです。大坂選手の場合は、自分を面白おかしく茶化す「自虐ネタ」が多いのが特徴です。その点については、内藤先生が紹介したこのツイートに見られます:
I’ll leave this here just in case you feel like reading a book lol. pic.twitter.com/UD512lBRP1
— NaomiOsaka大坂なおみ (@naomiosaka) August 1, 2019
I’ll leave this here just in case you feel like reading a book lol.
「本を読みたい気分の人のために投稿しておきます(笑)」
このツイートと一緒に投稿されている長文を“本"に例え、その前置きとして、「思いの外、文章が長くなってしまいましたが、もしよかったら読んでいただけたら嬉しいです」という気持ちをストレートにではなく、婉曲に表しています。こういった“照れ臭さ"は大坂選手の他の投稿から読み取ることができますので、それを念頭に読み解いて見てください。
3.哲学的なコメントを発信するツィツィパス選手
番組では、恥ずかしがり屋の大坂選手以外に、男子テニスのいわゆる“ネックス・ジェン"(“ネクスト・ジェネレーション"、特に有望とされる男子の若手選手のこと)の1人であるギリシャのステファノス・ツィツィパス選手も紹介しました。2018年暮れには「ネクストジェネレーション・ATPファイナル」で優勝し、2019年の全豪オープンではロジャー・フェデラーを下して準決勝まで勝ち進むなど、素晴らしいスタートを切りながら、芝シーズン以降は不調で、全米オープンでは1回戦で敗退しました。彼の長所は、負けた試合の後には欠点を素直に反省し、必ず以前よりパワーアップして戻ってくるタイプとして知られています。若手の中でも特に期待されている選手です。
そんなツィツィパス選手のSNSでの投稿は、とても個性的なことで知られています。例えばこちらの詩人のようなつぶやきがあります。
An ocean breeze puts a mind at ease.
— Stefanos Tsitsipas (@steftsitsipas) July 9, 2019
An ocean breeze puts a mind at ease.
海の風が、心を安らかにする。
他にも哲学的な投稿が多いことで知られています。
Less out of habit and more out of intent. @citiopen | #co19 pic.twitter.com/gDtmdqcnVq
— Stefanos Tsitsipas (@steftsitsipas) August 2, 2019
Less out of habit and more out of intent.
習慣からではなく、意図を持って。
テニス・プレイヤーは、自分を落ち着かせるための様々な「習慣」や「ルーティーン」があります。例えばサーヴ前にボールを必ず5回バウンドさせるとか、セットの合間にラケットのグリップテープを巻き直すとか。ラファエル・ナダルは自分のウォーターボトルの位置を決めており、それが少しでもずれていると神経質になります。ツィツィパス選手は、おそらくコート上のみならず普段の行動も含め、その行動理由を「習慣だから」から「なりたい自分になるために必要だから」に変えるよう、自分に言い聞かせています。
そんなツィツィパス選手は、2019年の全仏オープンで、スイスのスタン・ヴァヴリンカ選手に5セットの接戦の末に負けました。
試合後、彼は「今までの人生の中で一番辛い敗北」と振り返り、久しぶりに泣いたことを明かしました。負けることを悔しがるのを「かっこ悪い」とする若者がいる中、素直に悔しがるツィツィパス選手の姿は、多くのテニス・ファンの心を打ちました。彼は同じ日に、テニスを人生に例えた哲学的な反省文をインスタグラムに投稿しました。
I really don’t know if what I feel right now is positive or negative. [...] Today I learned something that no school, no classroom, no teacher would be able to teach. It’s called, living life!
「今自分が感じていることは、ポジティヴなのかネガティヴなのかよくわからない。今日、どんな学校、教室、教師でも教えることのできない教訓を学んだ。それは、人生を生きるということだ!」
コート上では自信に満ちていて、どんなトップ・ランカーを相手にしても健闘を見せるツィツィパス選手ですが、コートの外では、繊細なアーティスト肌のようです。
4.テニスは失敗の中で成長するスポーツ
僕はテニスの試合を観た後に、選手のインタヴューや会見を見るのがとても好きです。試合直後のインタヴューでは、選手はまだ興奮状態であるがゆえに、率直な発言や反応が出ることが多いからです。一方で、選手がある程度クール・ダウンしてから挑む試合後の会見では、より冷静になった選手が自身のテクニック(技術)とタクティックス(戦術)を分析する様子を見ることができます。
そして選手のSNSのつぶやきは、その試合結果を完全に消化した上での反省や今後のストラテジー(戦略)、もっというと人生に対するフィロソフィーが垣間見ることができます。今回紹介した大坂選手とツィツィパス選手の投稿には、このことがとてもよく現れています。
こういった現象は他のスポーツでも、ある程度は見ることができますが、選手の率直な内心的な葛藤がここまではっきりと見ることができるのはチーム・スポーツではなく、個人スポーツであるからなのではないでしょうか。(テニスにはダブルスやチーム戦もありますが。)大会で唯一負けを経験していないのはチャンピオンとなった1人だけであり、その選手以外は全員、負けを喫して大会を後にします。
そもそもテニス(厳密に言うとシングルス)はとても孤独なスポーツです。2人のグラディエイターがテニス・コートに入場し、自分の人生をかけて身体を限界にまで追い詰めて闘います。頼ることができるのは自分しかいなく、負けた場合は責めるのも自分しかいないのです。特に自分のタイミングで球を打つサーヴの出来が、その日の試合の行方を大きく左右することを考えると、テニスの試合は、究極の「自分との闘い」とも言えます。(一部、グランド・スラムを除く女子テニスの大会では選手が試合中にコーチから指導を受けられることができますが、これには賛否両論があり、現在テニス界の大きな課題の1つとされています。)
このことは、前述したスタン・ヴァヴリンカ選手のタトゥーが象徴しています。彼は左腕に次のようなタトゥーを入れています。アイルランド出身のフランスの劇作家、サミュエル・ベケットの言葉です:
Ever tried. Ever failed. No matter. Try again. Fail again. Fail better.
(一般的には次のように翻訳されます:)
やることなすこと、何もかもうまく行かなかったとしても、気にすることはない。またやって、また失敗すればいい。前より上手に失敗すればいい。
この言葉は、ベケットのとても難解な散文作品からの一文なのですが、アメリカの起業家やいわゆる“セルフヘルプ"業界に「諦めるな」というような意味で頻繁に引用されるようになりました。28歳で初めてのグランド・スラム大会に優勝した遅咲きのヴァヴリンカ選手にとっては、それまでの幾度もない“失敗"にはそれだけの意味合いがあったのでしょう。
最後に、前述の大坂選手の全米オープン4回戦後のツイートですが、実は同じ内容がより長い文章としてインスタグラムに投稿されていました。現在は非公開になっているようですが、こちらが冒頭の文章です:
So I was gonna post an inspirational quote about how today went but that would be a lie lol.
「今日の結果について感銘的な引用句を投稿しようと思ったけど、嘘になるので(笑)。」
いつも通りの恥ずかしがり屋な文章ですが、今回タイトルを防衛できなかっとことは、彼女にとっていかに悔しかったかが伺うことができます。その悔しさをバネに、今年の残りの試合を闘い抜き、来年の全豪オープンでは連続優勝を果たしてもらいたいものです。