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東京のナイト・ライフ (3) 
 六本木・麻布エリアのナイトクラブ・カルチャーの光と闇
  - 六本木クラブ襲撃事件/風営法について/なぜ六本木エリアはナンパ系のクラブが多いのか | MUSIC & PARTIES #005
Photo: ©RendezVous
2021/07/19 #005

東京のナイト・ライフ (3)
六本木・麻布エリアのナイトクラブ・カルチャーの光と闇
- 六本木クラブ襲撃事件/風営法について/なぜ六本木エリアはナンパ系のクラブが多いのか

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KAZOO
翻訳家 / 通訳 / TVコメンテイター

目次


1.プロローグ: 日本のダンス・ミュージック/クラブ・ミュージックの今後について

僕がダンス・ミュージック/クラブ・ミュージック(EDM)に興味を持ったゼロ年代後半以降、ヨーロッパやアメリカはもちろんのこと、南米やアジアでも一大ブームになってきているEDMのマーケットは、日本においては、縮小化しているように感じられます。

2014年頃からは、『ULTRA JAPAN』、2017年からは『EDC JAPAN』と言ったアメリカ発のレイヴ/フェスが日本でも開催されていて、それなりの集客はあるようですが、欧米の盛り上がりに比べては、まだまだの感があります。

クラブ・シーン全体としても、人気に陰りが見えています。

ゼロ年代後半から、世界的なEDMシーンとしては、“フレンドリーにアッパーになる"イメージなのに対して、日本では、“ナンパ"と“ドラッグ"という方向性が強まったように感じられます。海外のフェスでは、友人やカップルが集まってビールやカクテルで盛り上がるオープンな場なのに対し、日本では“タチの悪い輩"の溜まり場となっているようです。
その象徴的な出来事は、2012年9月に起こった、“六本木クラブ襲撃事件"なのでしょう。

いわゆる“半グレ"らによる対立抗争に、関係のない人が巻き込まれた事件です。

僕自身も2010年頃は、渋谷のクラブに行っていましたが、六本木のクラブには全く近寄りませんでした。音楽以外の要素が中心になっていたからです。

この事件以降、六本木だけではなく、渋谷などでも次第にクラブシーンは、全体的に盛り下がっています。

2016年に“風俗営業法"が改正された後も、クラブをめぐるトラブルが後を絶ちません。

EDMファンの僕としては、音楽や踊りを純粋に楽しめるクラブがもっと東京に増えることを期待しています。


2.広義のEDM(=ダンス・ミュージック)

“EDM"は“electronic dance music"の略であり、シンセサイザーやシーケンサーを用いたビートに乗った電子音楽の総称する言葉です。日本語で言う“ダンス・ミュージック" “クラブ・ミュージック"と同じ意味になります。

この音楽の特徴は、ナイトクラブや音楽が流れるヴェニューにおいて人を踊らせること、そしてビートやモチーフの繰り返しによって幻覚状態(げんかくじょうたい)を想起(そうき)させることを目的としていることです。そのことから、ポップ・ミュージックのようないわゆる“メインストリーム"の音楽に対して、“アンダーグラウンド"なイメージがありました。

広義的に解釈したEDMの始まりは70年代のシンセ・ポップやディスコにあり、そのディスコ・ブームが去った80年代~90年代にレイヴ・カルチャーと共に確立されていきました。主にヨーロッパにおいて人気を博し、アメリカではニューヨーク、シカゴ、デトロイトなど一部の都市部でアンダーグラウンド的に育まれていきました。エレクトロ、ハウス、テクノ、トランス、サイケ、ビッグ・ビート、プログレッシヴ・ハウス、ドラムンベースなど多くのサブジャンルがあります。

2000年以降にダンス・ミュージックが再び世界中で流行りだすと、アメリカの音楽業界は、積極的に“EDM"というレッテルを売り出し、2005年にはグラミー賞においても最優秀エレクトロニック/ダンス・アルバム部門というカテゴリーまで作り出され、2010年代に入るといよいよEDMはアメリカ社会をも席巻しました。

広義のEDMの名作


3.狭義のEDM

狭義的(きょうぎてき)に解釈した“EDM"はダンス・ミュージックの中の、商業を目的とした“メインストリーム"な音楽を指す一つのジャンルとなっています。日本で大人気の “EXILE"グループでも、よく使用されているジャンルです。

このジャンルの特徴としては、ポップ・ミュージックのメロディーやヒップホップの歌やラップを四つ打ちのビートと融合させ、ナイトクラブで人を躍らせるためではなく、スタジアムで人を“騒がせる"ために仕組まれたアゲアゲな音楽になっているところです。

サブジャンルとしては、ビッグ・ルーム・ハウス、エレクトロ・ハウス、トロピカル・ハウス、ブロステップなどがあります。これらのジャンルに共通しているのは、どの曲にも“ドロップ"と呼ばれる一番盛り上がる、ポップ・ミュージックでいう“サビ"の部分があることです。これによってEDMはラジオ向きともされ、ダンス・ミュージックがなかなか流行らなかったアメリカにおいても2010年以降大ブームとなっています。

狭義のEDMを代表するビートメイカーとしては、デヴィット・ゲッタ、スティーブ・アオキ、カルヴィン・ハリス、アヴィーチー、スクリレックス、アフロジャック、マーティン・ギャリックスなどがいます。ダンス・ミュージックの一つの権威であるイギリスの音楽雑誌『DJ Mag』が毎年発表する『TOP 100 DJs』のランキングでは近年、これらのDJ/プロデューサーが上位を占めるようになりました。

狭義のEDMの作品


4.六本木クラブ襲撃事件

2012年9月2日の午前3時40分ごろに東京都港区六本木にあったクラブ「フラワー」に9人ほどの目出し帽姿の男らが乱入し、VIPルームにいた来店客の男性1人を金属バットで袋叩きにされ、後に死亡させた事件です。男らは、ワゴン車2台で逃走しました。

その後、加害者の内の数名が、関東連合の元メンバーであったと判明しました。関東連合とは元々は暴走族の連合体であり、2003年に解散したものの、その後もOBが結束し様々な事件に関与したとされています。暴力団として認定されておらず、警察のマークが甘かったことを逆手に取って暴力的な犯罪を行う、いわゆる“半グレ"を象徴する集団です。

一方、被害者は31歳の飲食店の経営者で、事件現場となったクラブの常連だとされましたが、その後の調べで当事件は人違いによる襲撃であったことが判明しました。“半グレ"らによる対立抗争の中で、関東連合の対立グループの幹部と特徴が似ていたことから容疑者が勘違いして被害者を襲撃したとされています。

“半グレ"には明確な組織体制がなく、事務所など活動の拠点がないことから、取り締まりが難しいとされていました。しかし、関東連合の関与が疑われていた凶悪な事件が続発する中で起きた六本木クラブ襲撃事件の結果、2013年の3月より、警察庁は“半グレ"を「暴力団に準じる治安を脅かす新たな反社会的勢力」として位置づける新規定を設け、全国的に取り締まりを強化することとなります。


5.改正風営法

風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律(通称“風営法")は戦後長い間、客にダンスをさせるナイトクラブは、風俗営業として扱われていました。営業時間は原則午前0時までとされ、それ以降の深夜営業を行うナイトクラブは、すべて法律上では「違法」とされていました。2010年代に入り警察の取り締まりが厳しくなり、閉店を余儀なくされたナイトクラブが次々と出たことに対して、業界の方々は法改正運動を起こし、2016年には法改正が施行されました。

改正法でこれらのナイトクラブは「特定遊興飲食店」として新たに許可を取ることが義務付けられました。店内の明るさが照度10ルクスを超えていることなど、いくつか基準が定められており、繁華街など一部の地域でしか営業が認められていません。

2018年の1月末に警視庁は、東京・渋谷にあったクラブ『青山蜂』が「特定遊興飲食店」としての許可を得ないままに深夜にダンス営業をしたとして、改正風営法施行後、全国で初めて摘発され、経営者ら3人が逮捕されました。

その後、春にかけて渋谷や六本木にある約20店舗の“小バコ"に立ち入りを行うなど、取り締まりが強化される中で、「遊興」の定義の曖昧さや営業可能な地域の拡大など、様々な課題が残っています。


6.エピローグ: なぜ、六本木・麻布エリアのクラブはナンパ系が多いのか (BigBrotherへのインタヴュー)

21世紀に入り、六本木・麻布エリアの雰囲気は大きく変わりました。六本木ヒルズが2003年に竣工し、東京ミッドタウンが2007年に開業することによって、六本木は、ビジネス街、ショッピング街として認知されるようになりました。

20世紀後半(1945年以降)の六本木・麻布エリアは、戦後日本社会の暗い部分を象徴する街でありました。

現在の東京ミッドタウンの敷地は、かつては防衛庁(現在の防衛省)があった土地です。その前は、終戦後の1946年から、サンフランシスコ講和條約の発行後の1960年までの間、米軍の将校の宿舎として利用されていました。

六本木・麻布エリアに隣接する赤坂・霊南坂には、アメリカ大使館があるため、終戦後、このエリアには、数多くのアメリカ人が集まるようになりました。アメリカ大使館以外にも多くの大使館がこのエリアに置かれたため、外国人のための施設が数多く立地するようになりました。

広尾の明治屋やナショナル麻布、麻布十番の日進など、外国人向けのスーパーなどがその代表である。

世界各国の料理の飲食店も多く、バーなども海外の立ち飲みスタイルの店も多くあります。

中でも特徴的なのは、飲食店は、ホステスが接待するナイトクラブ(今でいうキャバクラ)の存在でしょう。戦後の日本は、戦勝国の欧米に比べ、生活水準がとても低く、妻や子供などの家族は、本国に残し単身で日本に赴任しているケースが多く、そうした単身赴任者や独身の外国人をターゲットとしたのが、六本木のナイトクラブ(キャバクラ)でありました。

1962年に返還された防衛庁の土地になった後も、高度経済成長期にも、夜の街としての地位は、益々高まっていました。

バブル期には、単に一緒にお酒を飲むスタイルの店から、それ以上のサービスをする店まで、数百という店が六本木には存在していました。

六本木には、テレビ朝日、隣接する赤坂には、TBSというキー局が存在しているため、六本木・麻布エリアには、芸能事務所、外タレ事務所、モデル・クラブなど、芸能・テレビ関連の企業が数多くあり、売れない女優、タレント、モデルなどがナイトクラブ(キャバクラ)のホステスとして働いていました(働かされていた)。

1990年代になり、ディスコ・クラブブームによりこうした女性が提案する、ナイトクラブではなく、ダンス・ミュージックのためのナイトクラブ(ダンス・ホール)もこのエリアには、増えていったのです。麻布十番のマハラジャ(1984~2007年)、六本木のヴェルファーレ(1994~2007年)といったディスコ、西麻布のイエロー(1991~2004年)といったクラブが六本木・麻布エリアの顔となっていきます。

ゼロ年代の不況による、テレビ・マスコミ業界の経費削減、男子の草食化、オタク化により、ナイトクラブ(キャバクラ)のニーズが減少するのに加え、六本木ヒルズ、東京ミッドタウンの建設に伴う街のクリーンナップ運動などもあり、このエリアのナイトクラブ(キャバクラ)の店舗が閉店しました。

ゼロ年代のオープンエリアでの野外レイヴの人気により、クローズドなナイトクラブ(ダンス・ホール)もしだいに人気に陰りが見え出します。

そして、2012年に起こった“半グレ集団による六本木クラブ襲撃事件"の発生により、六本木のクラブ・シーンのイメージは、最悪のものとなります。
当局による麻薬の取り締まりの強化、風営法の改正などにより、最近は、外国の観光客も多くなり、再び六本木・麻布エリアのナイトクラブ(ダンス・ホール)も人気を取り戻しつつあるようです。

しかし、ここで留意すべき点があります。六本木ヒルズに入っている「グランド・ハイアット」も東京ミッドタウンに入っている『ザ・リッツ・カールトン』もアメリカ系の資本のホテルグループであるということです。

それに加え、六本木トンネル、新国立美術館近くにある、通称“赤坂プレスセンター"と呼ばれる施設は、現在もなおアメリカ軍の基地として存在しているという事実です。

この施設のヘリポートは、米国の横田基地や厚木基地と1日数回の定期ヘリコプター便の着陸地として現在も利用されています。(代々木公園上空も低空飛行を行っています。)

米国大使館や天現寺にある「ニュー山王ホテル」に人員や物資を運ぶために使用されているのです。しかも、日本地位協定による航空法の定める最低高度規則に従う義務がないので、超低空飛行を行っているというのです。

戦後70年以上にもなるのにもかかわらず、こうした状況というのは、いかがなものなのでしょうか。

因みに、江戸時代においては、六本木ヒルズの土地の一部は、長府藩毛利家の、東京ミッドタウンは、萩藩毛利家の屋敷であったとのこと。


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