1.プロローグ
ロックという音楽とヒッピー・ムーヴメントは密接な関係にあります。
そしてヒッピー・ムーヴメントとカリフォルニアという土地にも深い関係があります。
1960年代後半にアメリカから起こった世界的なヒッピー・ムーヴメントとは、一体何であったのか。そこから生まれたロックという音楽は、どのように発展したのかについて述べていきたいと思います。
2.“ヒップ"なビートニクという運動
ヒッピー・ムーヴメントは、1960年代後半にそれまでの欧米の伝統文化や社会システムに対して“反抗"したカウンターカルチャーのことです。
ヒッピー・ムーヴメントは様々な思想や社会状況の影響によって成立したものなのですが、その中でも50年代のアメリカに起こった“ビートニク"の影響がとても強いと考えられています。
“ビートニク"とは“ビート・ジェネレイション"と同義で、1955年から1964年ごろに起こったアメリカ文学界のムーヴメントのことです。年代的には、1914年から1929年までの“狂騒の20年代"までに生まれた人々が中心となった文芸運動です。
特徴としては麻薬やセックスといったそれまでアメリカ社会においては“タブー"とされてきたものを文学のテーマとして扱い、旧い世代からは反社会的な存在として嫌悪されました。
そもそもヒッピーという言葉のルーツは“ビートニク"と結びついているとする説があります。“hippie"の基となっている“hip"(ヒップ)は現在では「スタイリッシュ」「今の流行りを抑えた」「イケてる」という意味ですが、1930~1940年代のアフリカ系アメリカ人のコミュニティから発生した、当初は「粋な」「洗練された」という意味でジャズ・ミュージシャンを指す言葉として使われていたようです。それが50年代になると、ジャック・ケルアックやアレン・ギンズバーグなど、サン・フランシスコやロス・アンジェレスを拠点にボヘミアンな生活を送るいわゆる“ビートニク"のアーティストたちを説明するために用いられるようになりました。
3.ビートニク(ビート・ジェネレイション)の代表的な作家と作品
●ジャック・ケルアック
ジャック・ケルアック(1922年~1969年)は、マサチューセッツ州出身の小説家・詩人です。自らの経験を基に思いつくままに書き連ね、推敲しないという、即興的なジャズの演奏スタイルに影響されたと言われる執筆スタイルで知られています。
『路上』
ケルアックの代表作であり、“ビート・ジェネレイション"(そして後にヒッピーたちの)のバイブルともされる『路上』は、アメリカ大陸を自由に放浪した自らの体験を元に書き上げられた自伝的小説です。作品の中に“ビートニク"仲間のアレン・ギンズバーグやウィリアム・バロウズをモデルとした人物も登場します。
●アレン・ギンズバーグ
アレン・ギンズバーグ(1926年~1997年)はニュージャージー州出身の詩人です。軍国主義、物質主義、性的抑圧などに反対する活動家としても知られます。
『麻薬書簡』
1963年に出版された本書は、ウィリアム・バロウズとアレン・ギンズバーグによる書簡を収録した著作です。題名にあるここでの“麻薬"は、アマゾン熱帯雨林に自生し、神秘的な幻覚性を持つと言われる「ヤヘ」(アヤワスカ)のことです。本作はバロウズとギンズバーグがそれぞれヤヘを使用した時の体験記が中心となっています。
●ウィリアム・バロウズ
ウィリアム・バロウズ(1914年~1997年)はミズーリ州出身の小説家です。ヘロイン依存者としての自身の経験に基づいた作品で知られます。
『裸のランチ』
1959年に出版された本作は、ウィリアム・バロウズの長編小説です。明確なプロットはなく、警察から逃げながらドラッグを探し求めるジャンキーの冒険がノンリニアーに綴られた作品です。バロウズの実体験をもとにしている本書には、ドラッグの使用、同性愛、暴力など、50年代のアメリカのタブーを敢えて汚く、下品に、そしてエロティックに書き上げています。
●ティモシー・リアリー
ティモシー・リアリー(1920年~1996年)はアメリカの心理学者です。ハーバード大学の教授として、LSDなどの幻覚剤による人格変容の研究を行いました。幻覚剤を使用することで、人はそれまでの人格を“無"にし、新たな人格を「刷り込む」ことができると主張し、意識の自由を訴えました。研究の対象となっていた被験者と一緒に自らも幻覚剤を利用しました。指導していた生徒に幻覚剤を使用するように圧力をかけていたことから、1963年にはハーバード大学から解雇されました。晩年はコンピューター技術に携わり、コンピューターを90年代のLSDに見立て、それを使うことで自分の脳をプログラミングすることを提唱しました。
『チベットの死者の書 サイケデリック・バージョン』
本作はティモシー・リアリーとその研究仲間による幻覚剤の使い方に関する著書です。タイトルにある『チベットの死者の書』とは、死や再生の過程を導くために書かれたチベット仏教徒の経典のことです。本作は、幻覚剤の影響下で起きる「自我喪失体験」の様々な段階を論じ、それをどう捉え、どう対処するかについて書かれた“薬物"についての案内書です。
4.ヒッピー・ムーヴメントの形成
ビートニクの影響は、文学のみならず、音楽や映画などの分野にも広がりました。60年代後半の黒人の地位向上を求めた“公民権運動"や“ヴェトナム戦争への反戦運動"といった政治的運動とも連動し、ビートニクの流れは“ヒッピー・ムーヴメント"という形に発展していきます。
“ヒッピー"は、“Love & Peace"をモットーとしてフリー・セックスやドラッグの使用を奨励しました。また、西洋文明を否定的に捉え、タオイズムやヨガなどにも強い興味を持ちます。
ローリング・ストーンズやジョン・レノンを中心としたビートルズもこの時代のこの運動の強い影響を受けることとなります。
『ビトウィーン・ザ・バトンズ』
1967年にリリースされたローリング・ストーンズのオリジナル・アルバムです。ジャケットの撮影は、夜通しレコーディングを行った後の早朝に行われました。ドラッギーなヴィジュアルが印象的です。アメリカ版には名曲『夜をぶっとばせ』と『ルビー・チューズデイ』が収録されています。『ローリング・ストーン』誌は「歴代アルバム500」のランキングで本作を357位に選びました。
『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』
アイドル的なイメージを完全に振り切りたいと考えていたビートルズの4人は、1966年に発表した前作『リボルバー』でドラッグや東洋思想などをテーマにするようになっていました。翌年にリリースされた本作は、作曲・作詞・録音技術・ジャケットのデザインなど、ビートルズの様々な実験的な挑戦が結晶した最高傑作とされています。1968年にはグラミー賞最優秀アルバム賞を受賞し、『ローリング・ストーン』誌の「歴代アルバム500」のランキングでは1位に選ばれています。この頃からビートルズのヘアスタイルやファッションにヒッピー・ムーヴメントの影響が見られるようになりました。本作の収録曲『Lucy in the Sky with Diamonds』はLSDをテーマにした曲であることは有名な話です。
5.1967年に起こった“サマー・オヴ・ラヴ"
ヒッピー・ムーヴメントの中心的な街は、カリフォルニア州・サンフランシスコです。ここでは、67年には『ヒューマン・ビーイン』、『モントレー・ポップ・フェスティバル』といった歴史的な野外ロック・フェスティバルが開催されました。
こうした社会現象は“サマー・オヴ・ラヴ"と呼ばれました。
こうした社会状況の中、1969年8月には東海岸において伝説の「ウッドストック・フェスティヴァル」が開催されました。
このライヴでのパフォーマンスについてはジミ・ヘンドリックスのものが、あまりにも有名ですが、彼以外にも西海岸を中心に活動していた“サイケデリック・ロック"のグループの演奏にも注目すべきものが沢山あります。
『ウッドストック 愛と平和と音楽の3日間』(1970年)
ウッドストック・フェスティヴァルを追った1970年のドキュメンタリーのディレクターズ・カット盤です(オリジナルに貴重なパフォーマンスが追加され、再編集されています)。本作は第43回アカデミー賞長編ドキュメンタリー映画賞を受賞し、その後の音楽コンサート映像に強い影響を与えました。のちに映画監督としてブレークしたマーティン・スコセッシが編集に関わっています。
『ライヴ・アット・ウッドストック』
ジミ・ヘンドリックスがウッドストック・フェスティヴァルに出演した時の演奏を収録した2枚組のライヴ・アルバムです。アメリカの国歌『星条旗』のパフォーマンスは圧巻です。
6.ヒッピー・ムーヴメントを感じることのできるアメリカン・ニュー・シネマ
60年代後半には、ヒッピー・ムーヴメントの潮流はハリウッドにも現れるようになります。それは、1920年代から60年代まで大手映画会社が君臨していた「ハリウッドの黄金時代」の終焉とも重なりました。新しい世代の映画製作者が頭角を現し、映画界を変え始めた時代です。日本ではこのムーヴメントのことを「アメリカン・ニュー・シネマ」と呼んでいます。
『イージー・ライダー』
1970年に製作されたアメリカン・ニュー・シネマの作品です。ピーター・フォンダとデニス・ホッパーが演じるヒッピー2人は、オートバイにまたがり、エスタブリッシュメント(社会の既存体制、支配階級)に対抗する悲劇的ヒーローとして描かれています。
『イージー・ライダー ― オリジナル・サウンドトラック』
ドライヴには欠かせない『イージー・ライダー』のサウンドトラックです。
『いちご白書』
作家ジェームズ・クネンのノンフィクションを原作とした1970年に公開された映画です。1960年代のアメリカの学生闘争をテーマにしており、カリフォルニアの架空の大学を舞台に、政治問題に関心のない学生が学生闘争に巻き込まれていく物語です。題名は、クネンが通っていたコロンビア大学の学部長が、大学の運営についての学生の意見は「学生たちが苺の味が好きだと言うのと同じくらい重要さを持たない」と発言したことに由来します。
『いちご白書をもう一度』
1975年にリリースされた、日本のフォーク・グループ「バンバン」のシングル曲です。作詞・作曲は荒井由実(ユーミン)によるもので、過ぎ去った学生時代を思い出すという内容になっています。
『俺たちに明日はない』
1967年に製作された本作は、世界恐慌時代の実在の銀行強盗「ボニーとクライド」の出会いから死に至るまでを描いた犯罪映画です。犯罪者を主役にしたこと、銃に打たれた人間が死ぬ姿を描いたこと、オーラル・セックスを示唆するシーンなど、当時の映画からすると衝撃的なものが含まれ、話題となりました。
『卒業』
1967年に製作されたダスティン・ホフマン主演の青春映画です。大学の卒業を機に帰郷した主人公が、人生の進むべき方向を探ろうとする中、年上の人妻に誘惑され不倫するが、後にその娘に恋をしてしまう物語です。映画のクライマックスでは、主人公は愛する相手の結婚式へと押しかけ、2人はドラマチックに逃亡します。しかし、そんな2人の前に不確かな未来が立ちはだかるところで映画に幕が閉じます。
『The Graduate 卒業/オリジナル・サウンド・トラック』
サイモンとガーファンクルの代表曲『サウンド・オブ・サイレンス』は、当時の世代間の意思の疎通やケネディ大統領の暗殺など、「明るい60年代」の裏側にあった陰を見事にとらえています。
7.エピローグ
今回はビート・ジェネレイションの文学に影響を受けたヒッピー・ムーヴメントと、そのヒッピー・ムーヴメントが生み出した音楽や映画を紹介しました。次回は、ヒッピー・ムーヴメントとドラッグの関係性から生まれたサイケデリック・ミュージックを取り上げたいと思います。