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オルタナティヴ・ヒップ・ホップとネオ・ソウル (前編)
 型にはまらないサウンドとポジティヴなイメージを追求したヒップ・ホップ・アーティストたち
  - サイケデリック・ミュージックの真骨頂 (8)
  - ア・トライブ・コールド・クエスト/アウトキャスト/カニエ・ウエスト | MUSIC & PARTIES #023
2022/01/10 #023

オルタナティヴ・ヒップ・ホップとネオ・ソウル (前編)
型にはまらないサウンドとポジティヴなイメージを追求したヒップ・ホップ・アーティストたち
- サイケデリック・ミュージックの真骨頂 (8)
- ア・トライブ・コールド・クエスト/アウトキャスト/カニエ・ウエスト

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Mickey K.
風景写真家(公益社団法人・日本写真家協会所属)

目次


1.プロローグ

これまで「カリフォルニア生まれの音楽」シリーズでは、1960年代後半にサン・フランシスコを中心に花開いたヒッピー・ムーヴメントというカウンターカルチャーから生まれたサイケディック・ミュージックと、それがその後の音楽に与えた影響を見てきました。

前回(MUSIC & PARTIES #021 / #022)は「サイケデリック・ロックの影響を受けたソウルとファンクの黒人ミュージシャンたち」について紹介しました。今回は、60年代末のサイケデリック・ロックと70年代前半のサイケデリック・ソウルとファンクの系譜を引き継いだコンテンポラリーR&Bのミュージシャンたちを取り上げたいと思います。

80年代初頭にはディスコ・ブームの終焉を受けて、それまでアンダーグラウンドであったニューヨークを拠点としたヒップホップ・シーンはオーヴァーグラウンド化し、いわゆるオールド・スクール・ヒップホップがアフリカ系アメリカ人の間で大流行しました。彼らが作ったのは主にブロック・パーティでかけられる“パーティ・ミュージック"で、楽しく踊って遊ぶことで日々の葛藤や社会から受ける差別を忘れ去ろうとするための音楽でした。それに対して、80年代後半には攻撃性や怒りを表した歌詞が主体となったマッチョ路線のニュー・スクール・ヒップホップが主流となりました。

そんな中で、アティテュードよりもアーティスト性を重視し、ハードなサウンドではなくジャズやファンクの要素を多く取り入れた柔軟的なサウンドを追究した一部のアーティストたちがいました。彼らはよりポジティヴなメッセージ性を主張した、“オルタナティヴ"なヒップホップを確立していきました。彼らは暴力やハード・ドラッグとは無縁だったわけではありません。しかし、そういった“危ないもの"や“不健全なもの"を“黒人文化"として称えるのではなく、意識を解放し、知識を増やすことで脱出できる事態であると訴え、もっというと音楽そのものがそれに代わる非日常性を与えてくれると信じたのです。

そもそもこのシリーズでメインストリーム(いわゆる売れ線)の音楽ではなく、カウンターカルチャーの音楽に焦点を当てきたのは、そこにこそアメリカ音楽の本質とルーツたるものが現れているからです。白人を中心としたメインストリームのポピュラー・ミュージックがあることでカウンターカルチャーとしてオルタナティヴな音楽が生まれたわけでなはなく、黒人による“危ない"音楽を和らげて白人受けするようにアレンジしたものがアメリカ音楽のメインストリームとなっていったのです。

今回は80年代以降の黒人音楽の、ジェネレイションごとにおける変化を追っていきながら、サイケデリック・ミュージックの本質と、アメリカにおける黒人音楽の扱われ方について考えていきます。


2.オルタナティヴ・ヒップホップを確立したア・トライブ・コールド・クエスト

ア・トライブ・コールド・クエストは1988年に結成されたアメリカのヒップホップ・グループです。攻撃性や自己主張をテーマとしていた当時のハードコアなヒップホップとは違って、より社会性やメッセージ性の強い音楽で知られています。

ア・トライブ・コールド・クエストは、ジャズとヒップホップの融合を行なった草分け的存在であったジャングル・ブラーズとデ・ラ・ソウルと共にネイティヴ・タングズというニューヨークを拠点にしたヒップホップ集団を結成しました。彼らは「銃」「現金」「金属のネックレス」などを掲げた“マッチョ系"ヒップホップに対して、「前向き」「アフリカのルーツ」「遊び心」を掲げた“非マッチョ系"ヒップホップを追究しました。この集団はヒップホップのいわゆるゴールデン・エイジに大きな影響を与えました。

ア・トライブ・コールド・クエストの2枚目のオリジナル・アルバム『ロー・エンド・セオリー』は、ヒップホップ史に残る名作とされます。ジャズの影響がはっきり伺える特徴的なサウンドは、90年代のオルタナティヴ・ヒップホップの方向性を定めました。「ロー・エンド」とは「低級」を意味する表現で、黒人がアメリカの社会ヒエラルキーにおいて底辺にいることを表した皮肉であると同時に、黒人音楽ではベイス音などの「低域」が強調されていることも意味しています。

『ロー・エンド・セオリー』(1991年)
ア・トライブ・コールド・クエストの2枚目のオリジナル・アルバムです。「ローリング・ストーン」誌の『歴代500のアルバム』のランキングで153位に選ばれています。

収録曲の『シナリオ』ではジミヘンの『リトル・ミス・ラヴァー』やマイルズ・デイヴィスの『ソー・ワット』など黒人の優れたミュージシャンのフレイズをサンプリングしています。当時19歳であったラッパーのバスタ・ライムズも参加しており、一般的に認知されるきっかけとなりました。

ベイス・サウンドを中心としたミニマルなサウンドが特徴的であった前作に対して、1993年にリリースされた3枚目のアルバム『ミッドナイト・マローダーズ』は、よりファンク色を強めた作品となっており、オルタナティヴ・ヒップホップのサウンドを完成させた作品とされています。グループがワールド・ツアーを行う様子を歌った『アウォード・ツアー』にはデ・ラ・ソウルの1人が参加しており、世界的ヒットとなりました。このヒットによりネイティヴ・タングズのオルタナティヴなサウンドが、ニューヨークのヒップホップのコミュニティだけのものから、アメリカを代表する音楽となったといえます。

『ミッドナイト・マローダーズ』(1993年)
ア・トライブ・コールド・クエストの3枚目のオリジナル・アルバムです。ゴールデン・エイジ・ヒップホップを代表する作品とされます。


3.明るいヒップホップのサウンドを掲げたデ・ラ・ソウル

ア・トライブ・コールド・クエストと共にネイティヴ・タングズの中心的メンバーであったデ・ラ・ソウルは、アメリカのヒップホップ・トリオです。万華鏡を連想させる独特な明るい曲調や言葉遊びで話題となり、その後のオルタナティヴ・ヒップホップやジャズ・ラップの先駆者的存在とされています。

デ・ラ・ソウルのデビュー・アルバムである『3 Feet High and Rising』は、愛や平和、調和についての歌が中心となっており、それによって新世代の“ヒッピー"というイメージが定着しました。アメリカの『ヴィレッジ・ヴォイス』紙は「ヒップホップの『サージェント・ペパーズ』」と評しました。

『3 Feet High and Rising』(1989年)
デ・ラ・ソウルのデビュー・アルバムです。その後ヒップホップのアルバムのお決まりとなった、曲と曲の間の“コント"の導入もこのアルバムが最初だとされます。

そんなヒップホップの主流派からの冷たい目に対して、グループの代表曲となった『Me, Myself and I』では、自分らしく生きることが歌われています。サウンド的にはファンカデリックの『(Not Just) Knee Deep』をサンプリングしたものであり、高校の教室を舞台にしたミュージック・ヴィデオでは、教師がデ・ラ・ソウルのメンバーに“本物"のヒップホップの振る舞いやスタイルについてレクチャーしている内容となっており、平然と皮肉を込めて歌うメンバーたちの独特のユーモアのセンスが見受けられます。

デ・ラ・ソウルのメンバーは、このアルバムのサウンドのことを“D.A.I.S.Y. Age"と説明しています (“daisy"とはヒナギクのことです)。この表現は “da inner sound, y’all" (自分の内側に響く音)の略であり、ヒッピー的な思想にも思えますが、ここでは“ソウル"(魂)のことなのです。彼らは自分たちの魂の叫びを表現したはずなのに、シーンから笑われてしまったことに対して意気消沈してしまいました。それを受けて、2枚目のアルバムは『デ・ラ・ソウル・イズ・デッド』(デ・ラ・ソウルは死んだ)と名付け、ジャケットには倒れた植木鉢にしぼんだヒナギクが描かれています。

このようにデ・ラ・ソウルの音楽はサンプリングを多用していることからライセンシングが困難とされ、デジタル音楽サーヴィスで聴くことはできません。2014年には結成25周年を記念して、25時間限定で、デ・ラ・ソウルの音源を全て無料でダウンロードできるようにして話題を呼びました。


4.アメリカ南部の生活リズムとアフリカのルーツを強調したアレステッド・ディヴェロプメント

アレステッド・ディベロップメントは80年代後半に流行りだしたギャングスタ・ラップに対して、よりアフリカのルーツを強調し、よりポジティヴなヴァイブを意識したオルタナティヴ・ヒップホップ・グループとして結成されました。

そんなグループの最高傑作が、1992年にリリースされたデビュー・アルバム『3 Years 5 Months & 2 Days in the Life of...』 です。今となってみれば、“アフリカ系アメリカ人の統一"、“思いやりや平等"といった前向きなメッセージ性は、90年代初頭ならではの楽観的な見方と言えるでしょう。本作でアレステッド・ディベロップメントは、グラミー賞最優秀新人賞を受賞しました。収録曲の『テネシー』はプリンスの『アルファベット・ストリート』をサンプリングしており、グラミー賞最優秀ラップ・パフォーマンス(デュオもしくはグループ)賞を受賞しました。

『3 Years 5 Months & 2 Days in the Life of...』
1992年にリリースされたアレステッド・ディベロップメントのデビュー・アルバムです。タイトルは、グループが結成からレコード会契約を取り付けることができたまでの期間に由来します。

レゲエ調の『ピープル・エヴリデイ』は、スライ&ザ・ファミリー・ストーンの名曲『エヴリデイ・ピープル』を南部独特のゆったりとした生活リズムで解釈をしていました。

アレステッド・ディベロップメントはその後、1994年に2枚目のスタジオ・アルバム『ズィンガラマドゥーニ』をリリースしますが、所属するレイベルが再編中であったことからほとんどプロモーションが行われず、評論家の間では高評価を得ながらも、商業的には失敗に終わりました。1996年には創作に関する意見の食い違いによってグループは解散しました。その後2000年に再結成するものの、アメリカにおける人気の再燃にはなりませんでした。一方で、再結成以降のリリースには日本限定のものが多く、今でも日本では高い人気を誇っています。彼らのメッセージをどれだけ日本人が理解しているかは別として。

『ズィンガラマドゥーニ』(1994年)
アレステッド・ディベロップメントの2枚目のスタジオ・アルバムです。


5.南部ヒップホップというジャンルをブレイクさせたアウトキャスト

アウトキャストは、アメリカ南部のジョージア州・アトランタの高校で同級生であったアンドレ3000とビッグ・ボーイからなるヒップホップ・デュオです。「部外者」を意味するその名前からも分かるように、当時のヒップホップ・シーンといえば2パックを初めとした「ウェスト・コースト・ヒップホップ」とノウトリアスB.I.G.を初めとした「イースト・コースト・ヒップホップ」が主流であり、南部のヒップホップはジャンルとしてメインストリームには認められていませんでした。そんな中、アウトキャストは黒人として南部で育つ葛藤について歌ったり、歌詞に南部のスラングを多く用いたりすることで南部のヒップホップというスタイルの確立に大きく貢献しました。

アウトキャストの初期の注目の作品としては、2枚目のスタジオ・アルバム『ATLiens』です。アメコミをイメージしたジャケット・デザイン、ジョージ・クリントンとPファンクを彷彿させるファンキーな宇宙的なペルソナとストーリー性、ゴスペル・ミュージックやレゲエを意識したゆったりとした雰囲気とサイケデリック・ロックやカントリー・ミュージックの要素を取り込んだ独特なサウンドが特徴的な1枚です。アルバム・タイトルは“Atlanta"と“Aliens"を掛け合わせたもので、黒人としてアメリカの南部で生きていくことは、まるで宇宙人として生きるようなものであることを意味しています。

『ATLiens』(1996年)
アトランタ・ラップの代表作とされる、アウトキャストの2枚目のオリジナル・アルバムです。

また、この作品の頃からアンドレ3000は(このコラムで後に取り上げる)ネオ・ソウルのシンガー・ソングライターとして駆け出しの頃だったエリカ・バドゥと交際し始めました。その影響からか、アンドレ3000はこの頃からより奇抜なファッションを身にまとうようになり、食生活においてはヴェジテリアンになりました。

アウトキャストの最高傑作とされるのが、2000年にリリースされた4枚目のオリジナル・アルバム『スタンコニア』です。それまでのゆったりしたサウンドから一転、レイヴ・シーンを意識したハイ・エナジーなビートであったり、ラップだけではなくソウルを意識した歌を取り入れるなど、様々な実験的な試みが高い評価を受けました。本作はグラミー賞「最優秀ラップ・アルバム賞」を受賞しました。「最優秀ラップ・パフォーマンス賞デュオまたはグループ部門」を受賞した『ミセズ・ジャクソン』は、その時にはバドゥとすでに破局していたアンドレ3000がバドゥの母親のために創った曲だとされます。

『スタンコニア』
アウトキャストの4枚目のオリジナル・アルバムです。「ローリング・ストーン」誌の『歴代500アルバム』のランキングにおいて359位に選ばれています。

一般的に一番知られているアウトキャストの曲は、2003年の『ヘイ・ヤ!』でしょう。ソウル、ファンクやパンクの要素を融合させた遊び心のあるサウンドが話題となり、全米シングル・チャートで1位を獲得しました。歌詞は2000年代の恋愛のあり方に関するもので、アンドレ3000がバドゥとの破局について反省している内容とも読み取ることができます。ミュージック・ヴィデオでは8人のアンドレ3000が60年代の音楽番組を意識したセットで演奏を行うという、コテコテ感満載の作品となっています。


6.自由奔放なヒップ・ホップ・アーティスト、カニエ・ウエスト

「神がこれまで創造した中で最も偉大なアーティスト」と自称するラッパーのカニエ・ウエストは一般的にはサイケデリック・ミュージックのイメージがあまりありませんが、独創的な彼の作品にもサイケデリックな要素の影響が見受けられます。

例えば3枚目のスタジオ・アルバム『グラデュエーション』のジャケットには日本人の現代美術家の村上隆がデザインしたイラストが採用されています。村上氏はアニメやフィギュアといったいわゆるオタク文化を題材にした、カラフルでサイケデリックなポップアートで知られています。彼の最も有名なモチーフは「花」ですし、また、日本画の系譜、浮世絵の影響、オタク文化、現代美術の文法など様々なカルチャー/サブカルチャーの要素を融合させる作風にはサイケデリック・ミュージックに現れているような奇想さを感じ取ることができます。因みに村上氏は『グラデュエーション』のリリースと同年、ロサンゼルス現代美術館(MOCA)で大規模な展覧会を開催し、アメリカでも広く認識されるようになりました。

『グラデュエーション』(2007年)
カニエ・ウエストの3枚目のオリジナル・アルバムです。ギャングスタ・ラップの終焉を告げた作品とされています。

音楽的にも、ウエストはカーティス・メイフィールドやマーヴィン・ゲイなどの黒人アーティストのみならず、キング・クリムゾン、ブラック・サバス、スティーリー・ダンなど白人系ロックのアーティストの曲を積極的にサンプリングし、ヒップホップではそれまであまりサンプリングされていなかったような音楽を引用した奇抜なサウンドで知られるようになりました。

近年のウエストは、かつての“ほら吹き"のイメージから一転、メンタルヘルスやスピリチュアリティをテーマにした作品が多くなりました。2018年のスタジオ・アルバム『Ye』の収録曲『Yikes』では自身の幻覚剤を使用した経験についてや、処方薬の乱用によって亡くなったマイケル・ジャクソン(※40)とプリンスのようにならないように気をつけなければいけないことを歌っています。最後には自身の双極性障害について、それは「障害」ではなく「スーパーパワー」(超能力)だと主張します。

『Ye』(2018年)
カニエ・ウエストの8枚目のオリジナル・アルバムです。


MUSIC & PARTIES #023

オルタナティヴ・ヒップ・ホップとネオ・ソウル (前編)型にはまらないサウンドとポジティヴなイメージを追求したヒップ・ホップ・アーティストたち


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