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トリップ・ホップ/ジャングル/ドラムン・ベイス/ガラージ/2ステップ
  - 英国発の“オルタナティヴ"なダンス・ミュージック
  - エレクトロニック・ダンス・ミュージック入門 (5) | MUSIC & PARTIES #031
2022/04/11 #031

トリップ・ホップ/ジャングル/ドラムン・ベイス/ガラージ/2ステップ
- 英国発の“オルタナティヴ"なダンス・ミュージック
- エレクトロニック・ダンス・ミュージック入門 (5)

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Mickey K.
風景写真家(公益社団法人・日本写真家協会所属)

目次


1.プロローグ

英国では1960年代から“パイレット・レイディオ"が人気を集めるようになりました。英国民の間でアメリカから輸入されていたポップとロック音楽の需要が増える中、こういった米国のポピュラー・ミュージックを対象としていなかった国営放送のBBCのレイディオ局に代わるものとして、アントレプレナー(起業家)や音楽好きが個人的にレイディオ・ステイションを立ち上げるようになりました。当初は、沖合の船や廃止となった要塞を拠点とする文字通りの“海賊放送"が多く、国際水域から放送されていたことから厳密には違法ではありませんでした。これに対してBBCレイディオは67年に再構築されることになりました。その際にはこうした“パイレット・レイディオ"局から雇われるディスク・ジョッキーもいました。また、その後、英国政府は国際水域の“抜け穴"を塞ぐ法律を施行しました。

“パイレット・レイディオ"は80年代後半、アシッド・ハウスなどアンダーグラウンドの音楽シーンの人気がでることで第二の最盛期を迎えることとなります。ロンドン市内にも四六時中ダンス・ミュージックをかける“レイヴ・ステイション"も生まれました。この流れは90年代に入ってどんどん勢いをつけ、ポケベルや携帯の普及によってオーディエンスもこうした放送に対してより積極的に参加するようになりました。

パイレット・レイディオはレイヴ・シーン以外にも、メインストリームのレイディオに相手にされていなかった英国の黒人コミュニティからも重宝されるようになりました。こうしたレイディオ局によってロンドンにはブラック・ミュージックや文化放送などの視聴者電話参加番組が普及しました。

90年代半ばになると、「ジャングル」や「ドラムンベイス」などといったよりハードなレイヴ・ミュージックや、「UKガラージ」や「2ステップ」などのオルタナティヴなエレクトロニック・ダンス・ミュージックを専門とするパイレット・レイディオ局が続々と生まれました。

今回はアメリカとカリブ海のブラック・ミュージックにルーツを持ち、いわゆる“四つ打ち"とは一味違う、英国発祥のエレクトロニック・ダンス・ミュージックを取り上げます。


2.アメリカのヒップホップ文化を英国のアンダーグラウンド・シーンを通して解釈されたトリップ・ホップ

前回このシリーズではヒップホップに由来するブレイクビーツのサンプルを基盤としたビッグ・ビートというジャンルを紹介しました。ブレイクビーツのサンプルの速度を落とすことでサイケデリックな雰囲気を醸し出したのが“トリップ・ホップ"という音楽ジャンルです。トリップ・ホップは英国西部のブリストル(英国西部に位置する湾岸都市)で生まれました。ブリストルには70年代ごろからジャマイカからの移民が多く、80年代ごろには若者たちの間でレゲエやダブなどのジャンマイカの音楽が慣れ親しまれていました。そこに米国のヒップホップの影響が加わり、ファンク、ソウル、ジャズ、サイケデリック、R&Bやハウスなどのブラック・ミュージックなどの要素を多く取り入れたのがトリップ・ホップです。ゆったりとしたテンポが特徴であることから“ダウンテンポ"や “チルアウト"とも呼ばれます。

同時期にアメリカで人気を集めていたギャングスター・ラップは、過激で黒人の生活に根ざした歌詞が中心であったのに対して、トリップ・ホップはインストゥルメンタルを通してメローでメランコリックな雰囲気を特徴としています。ヴォーカルがある曲でも男性のラッパーより女性のヴォーカルが多い点では、古きR&Bに通ずるところもあります。一方で、このシーンにはDJのみならずMC、Bボーイ、グラフィティ・アーティストといった要素も加わっていることから、アメリカから強い影響を受けていながらも英国独自のストリート・カルチャーとして90年代に進化していきました。

トリップ・ホップをメインストリームにブレイクさせたのがマッシヴ・アタックでした。2人のDJとグラフィティ・アーティスト兼ラッパーの3人からなったマッシヴ・アタックは91年に最初のトリップ・ホップ・アルバムとして知られる『ブルー・ラインズ』を発表しました。ヒップ・ホップ、レゲエ、ソウルを融合させてたゆったりとしたサウンドは激しいダンス・ミュージックとは少し違う方向性を示しました。彼らの最高傑作とされるのが3枚目のオリジナル・アルバム『メザニーン』(1998年)です。ニュー・ウェーヴやロックの要素も取り入れた本作は英国、オーストラリア、アイルランド、ニュージーランドの音楽チャートの首位に立ち、マッシヴ・アタックにとって、最も商業的に成功したアルバムとなりました。中でもシングルの『ティアドロップ』はトリップ・ホップの代表曲となりました。

1994年にはポーティスヘッドというトリオが『ダミー』というアルバムでデビューし、マーキュリー賞を受賞するほど人気を集めました。ポーティスヘッドは、ジャズ音楽のサンプルと60年代~70年代の映画音楽の影響を組み合わせたサウンドが特徴です。『ローリング・ストーン』誌はノワールなどんよりした雰囲気の彼らのサウンドを「ゴシック・ヒップ・ホップ」と評しました。同誌は「歴代500アルバム」のラインキングで『ダミー』を第419位に選んでいます。

ジャメイカ系英国人のラッパーで初期のマッシヴ・アタックのメンバーでもあったトリッキーは、より広い活躍の場を求めてソロに転向し、1995年に『Maxinquaye』をリリースしました。自分の意識の流れをそのまま囁くように口にするトリッキーのラップのスタイルは、威張ることが主たる目的のアメリカのギャングスター・ラップとは対照的なものです。ドラッグ・カルチャーや社会崩壊などシリアスな問題をテーマにしており、英国社会のにおいて黒人として大人になることの難しさを歌っています。

トリップ・ホップは英国内に止まらず、海外のミュージシャンにも強い影響を与えました。その代表例がアイスランドのシンガー・ソングライターのビョークです。彼女の1枚目のアルバム『デビュー』はマッシヴ・アタックの前身グループのメンバーがプロデュースし、英国でヒットしたことを受けて、ビョークは活動の拠点をロンドンに移しました。2枚目の『ポスト』ではトリッキーも参加しており、2人はその後、一時期交際をしていたことがメディアで話題となりました。このころのビョークのミュージック・ヴィデオを手がけていたのが、ファットボーイ・スリムやケミカル・ブラザーズでもミュージック・ヴィデオでも高い評価を得ていたミッシェル・ゴンドリーやスパイク・ジョーンズです。

オススメのトリップ・ホップの作品


3.男臭いジャングルとドラムンベース、女性受けしたUKガラージと2ステップ

トリップ・ホップがブレイクビーツの速度を落としたサウンドであったのに対して、ブレイクビーツの速度を早めたのが「ジャングル」や「ドラムンベイス」と呼ばれる音楽です。ロンドンで生まれたこれらのジャンルは、下層階級の黒人コミュニティー(ジャマイカ系英国人など)の若者が息苦しい生活の中で編み出しました。サッチャー政権の時代を経た90年代初頭ごろになると、様々な人種問題や社会問題が突出してきました。彼らはアメリカのヒップホップに倣ってそういった弊害をぶち壊そうとしていました。彼らはハッピーでエクスタシー状態になるレイヴ・ミュージックとは違って、基本的に暗くてムーディーなサウンドを好みました。この分岐点を象徴する1曲が、ザ・プロディジーが1992年に発表し、ドラムンベイスの先駆けとなった『エクスペリエンス』というアルバムです。

それまでの欧米のポピュラー・ミュージックは主にメロディー重視であったのに対して、ジャングルやドラムンベイスはいってみればリズムを“メロディ"と捉えていることが特徴です。そのサウンドの根幹となっているのが、ヒップホップと同じく、ソウルやファンクの音楽のドラムのパートを引用した“ループ"です。特に頻繁に使用され、象徴的なのが、いわゆる“アーメン・ブレイク"というドラムのリフです。大多数のジャングルとドラムンベイスのトラックは、このループをアレンジしたものです。

また、ユーロ・ディスコの生みの親のジョルジオ・モロダーがファンクやディスコのビートを“四つ打ち"という単純化したビートにしたのに対して、ジャングルやドラムンベイスといわれるジャンルはビートをより複雑にしました。ディスコやハウス・ミュージックが持つ“安定感"と“安心感"を破壊し、ハードコアな音楽なのです。(ハードコアとは、「強硬派」を意味する言葉で、音楽においては怒りや攻撃性、自己主張などの表現を特徴とする音楽のこと。)ダンスホール・レゲエの要素も加わります。“ジャングル・ミュージック"というと一瞬黒人に対する差別的な表現にも聞こえますが、この名義はジャマイカの首都・キングストンの地域に由来するもので、この言葉を敢えて用いることで黒人であることに対する誇りを表現しています。とはいえ、結果的に、白人のレイヴァーたちにとっては、恐れをなす“危ない"音楽となりました。

ジャングルとドラムンベイスの重鎮とされるのが、ジャマイカ系英国人のゴールディです。幼少期に養子に出されたゴールディは、若い頃からブレイクダンサーとグラフィティ・アーティストとして活動し、その関係で一時期ニューヨークとマイアミでも活動をしました。その後、英国に戻り、英国のブレイクビーツ・シーンに魅せられて音楽制作をはじめました。95年にリリースされたデビュー・アルバム『タイムレス』は英国アルバム・チャートで7位を記録し、ドラムンベイスというジャンルの音楽が一般的に知られる1つのきっかけとなりました。

ゴールディはアートや音楽活動以外にも『007 ワールド・イズ・ノット・イナフ』などの映画に出演するなど俳優としても活動しており、英国においてはセレブ的な存在です。

180というBPMを超えることの多い、激しいブレイクビーツに基づいたジャングルやドラムンベイスは、主に男性のプロデューサーが作り、主に男性のオーディエンスに支持されています。それに対して女性の支持によって人気を集めるようになったのが、「UKガラージ」というジャンルです。ニューヨークのパラダイス・ガラージから生まれたハウス・ミュージックをベイスに、ソウル、ラップ、ダンスホール・レゲエの要素が加えられた、130 BPM前後のブレイクビーツにのせた音楽です。よりソウルフルでセンシュアルなヴォーカルが特徴のUKガラージは、ジャングルのパーティーのサブフロアで生まれました。

90年代後半に一部のDJたちは、徐々にUKガラージのトラックのテンポを上げていきますが、よりメローなサウンドを求めたDJたちは、各小節の4拍にキックドラムが演奏される"四つ打ち"に対して、2拍目と4拍目のキックドラムを演奏しない“2ステップ"というサブジャンルを生み出しました。テンポとしては早いですが、キックドラムが間引かれることによって結果的により落ち着いた、横に揺れるような感じを受けるサウンドとなっています。UKガラージや2ステップは90年代後半にパイレット・レイディオを通して人気を集めるようになります。

ハウスやソウルのレコードをスピード・アップさせることによってヴォーカルのピッチが歪んでしまうことを避けるため、DJたちはヴォーカルが抜かれた“ダブ"ヴァージョンを好んで音楽制作するようになります。その結果、ダブに合わせるヴォーカルが必要となり、英国のR&Bのヴォーカリストたちの活躍の場も生まれました。また、パーティーのオーガナイザーたちは、ジャングルやドラムンベイスより2ステップのパーティーの方が女性客や比較的に暴力的でない客が集まることにも着目しました。

UKガラージ/2ステップの代表的なヴォーカリストといえば、カリブ海出身の父と英国系ユダヤ人の母の間に生まれたクレイグ・デイヴィッドです。デイヴィッドは2000年にデビュー・アルバム『Born to Do It』をリリースし、英国アルバム・チャート初登場1位を獲得しました。世界中で750万枚を売り上げるという、英国のR&Bのシンガーとしては異例のヒットとなりました。シングルの『7 days』はグラミー賞「最優秀男性ポップ・ヴォーカル・パフォーマンス賞」にもノミネイトされ、デイヴィッドの代表曲となりました。

UKガラージや2ステップは、2000年ごろに最盛期を迎え、その後人気が低迷しますが、そのスタイルは2000年以降、R&BではなくMCのラップを重視した「グライム」やローを更に強調した「ダブステップ」というジャンルへと発展していきます。

オススメのジャングルとドラムンベイスの作品

オススメのUKガラージ/2ステップの作品


4.エピローグ

レイヴ・シーンやブラック・ミュージックのファンを対象としたパイレット・レイディオ局が80年代後半から90年代前半にかけて多く設立されたことを受けて、90年代以降、「BBCレイディオ1」はダンス・ミュージックの放送を大幅に拡大していきます。ハウス・ミュージックを早期から英国人に紹介していたピート・トング、英国のアシッド・ハウス・シーンの中心にいたダニー・ランプリング、パイレット・レディオ局でハウスとトランスをかけていたジャッジ・ジュールズなどのクラブDJに、全国放送のレイディオ番組の枠が与えられ、彼らの活動でダンス・ミュージックのオーヴァーグラウンド化がどんどん進みました。

特にピート・トングがナヴィゲイターを務める『エッセンシャル・セレクション』は現在(2020年)も続く長寿番組となっており、トングが毎週ピックアップする「エッセンシャル・チューン」の多くは、その後ヒットするほどの影響力があります。また、93年から放送が続く『エッセンシャル・ミックス』という番組では、毎週1人のDJまたは1組のアーティストの2時間のミックスがノンストップで放送されます。(BBCはテレヴィの受信料だけで賄われているため、広告が挟まれない長時間のミックスが可能なのです。)コンセプトは自由であり、クラブを意識したダンス・ミックスを提供するDJもいれば、普段クラブではかけることのできない突飛なセットを提供するDJもいます。若手のDJがこの番組からミックスの依頼を受けることは1つの名誉とされ、キャリア・アップのきっかけともされています。

2000年以降はトリップ・ホップやドラムンベイス・シーンに焦点を当てたDJや番組も生まれています。こういったレイディオ番組は、多くの英国の若者にとって今もなお、週末の夜にパーティに向かう前の“ウォーム・アップ"となっています。

一方でアメリカでは、依然として白人向けのレイディオと黒人向けのレイディオは、別々のものとして存在します。ピート・トングは現在活動の拠点をアメリカに移し、ダンス・ミュージックの普及に努めていますが、アメリカにおける"人種の壁"と“音楽ジャンルの壁"は相当高く、活動に苦労している印象を受けます。


MUSIC & PARTIES #031

トリップ・ホップ/ジャングル/ドラムン・ベイス/ガラージ/2ステップ - 英国発の“オルタナティヴ”なダンス・ミュージック


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