1.プロローグ
前回MUSIC & PARTIES #033では、90年代のドイツから生まれたエレクトロニック・ダンス・ミュージックを紹介しました。
ヨーロッパ大陸には80年代にアメリカのデトロイト・テクノやアシッド・ハウス、英国のレイヴ・カルチャーが輸入され、ドイツにおいてスヴェン・ヴァスなどのテクノDJによってアンダーグラウンドのクラブ・シーンが育まれ、91年のベルリンの壁の崩壊を受けてベルリンを中心に“ジャーマン・テクノ"の大きなムーヴメントが湧き出ました。クラブ・ミュージックのルーツを辿ると、70年代のアメリカのディスコ・ブーム、ヨーロッパのユーロ・ディスコの存在があります。
ドイツではこういったエレクトロニック・ダンス・ミュージックが早くから根付いたのに対して、フランスではテクノやアシッド・ハウスといったよりハードコアなダンス・ミュージックが人気を持つのには、時間がかかります。90年代初頭になって、ようやく根付くようになります。90年代のフランスではユーロ・ディスコから80年代に発達した“スペース・ディスコ"というスタイルがまだ流行っていたからです。
ディスコの影響が強かった社会で育ったフランスの若い世代のミュージシャンやDJたちは、ハウスやテクノにディスコの要素を再び注入し、加えてフランスならではの“オシャレな感覚"を取り入れていきます。そのサウンドは “フレンチ・ハウス"と呼ばれるようになります。
2000年代に入ると、親たちの世代に流行したディスコ・サウンドに反発するかのように、パンク・ロックやインディ・ロックの精神を持ったアーティストたちがエレクトロ・ハウスというジャンルを確立していくこととなります。 今回は、フレンチ・スタイルのハウスとエレクトロ・ハウスを取り上げます。
2.“フレンチ・タッチ"とダフト・パンク
90年代初頭、フランスにおいて、アシッド・ハウスやデトロイト・テクノといったジャンルのクラブ・ミュージックがフランスの若者たちの間で注目を集めると、こうしたスタイルを真似た音楽制作に取り掛かるミュージシャンやDJが現れていきます。ハウス・ミュージックをベイスにディスコやファンク、ソウル・ミュージックのサンプルを多用し、更にフランス人ならではの“タッチ"(すなわち、オシャレ感覚)を加えたスタイルが生まれました。“フレンチ・ハウス"と呼ばれ、フランス国内では“フレンチ・タッチ"と呼ばれるようになりました。アナログ・シンセサイザーのフィルターやフェイザーを用いて、音色が滑らかに変化する“スウィープ感"を強調したサウンドを目指したことから、このフレンチ・ハウスは「フィルター・ハウス」とも呼ばれました。いってみればフレンチ・ハウスのアーティストたちはディスコやハウスといった本来は“踊る音楽"を聴くための“オシャレな音楽"へと変えていったのです。
96年ごろにパリのゲイ・クラブ「クイーン」において、フランス産のハウスにスポットライトを当てた「Respect」というクラブ・イヴェントがスタートしました。第1回目を含め、このパーティーに合計6回出演したのがダフト・パンクというデュオでした。当時のダフト・パンクは、ダウンテンポなエレクトロニック・ミュージックを作っていたやはり2人組のエールとともに、英国のヴァージン・レコードと契約を結んだばかりでした。ダフト・パンクとエールは、フランスだけでなく英国や米国でも人気が出始め、フレンチ・タッチのシーンに世界から注目が集まるようになります。フレンチ・タッチのプロデューサーたちはディスコやファンク・サウンドにより磨きをかけるようになります。1998年にはこのシーンから国境を越えて世界的にヒットした2曲が出ます。カシアスというデュオの『1999』(プリンスの『1999』とは全く別の曲)とスターダストの『Music Sounds Better With You』という曲です。前者はヴァージン・レコードがリリースしました。後者はダフト・パンクのメンバーの1人であるトーマ・バンガルテルが手がけていたレイベル「ルール」からリリースされ、アメリカのビルボード・シングルズ・チャートで69位を獲得します。『Music Sounds Better With You』のミュージック・ヴィデオはフランスの映像作家/映画監督のミシェル・ゴンドリーが手がけました。
ダフト・パンクのギ=マニュエル・ド・オメン=クリストとトーマ・バンガルテルは、高校の時に出会い、92年にパンク・ロックのバンド「ダーリン」を結成しました。ダーリンは何曲かをリリースし、いくつかのライヴ演奏を経て解散しますが、英国の音楽雑誌『メロディー・メイカー』は、彼らのサウンドを“a daft punky thrash"(間抜けなパンク気取りのうるさいロック)と酷評しました。これを受けて、オメン=クリストとバンガルテルは「ダフト・パンク」というデュオを組むことにしました。
ダフト・パンクは1995年にシングル『Da Funk』をリリースします。ヒップホップやビッグ・ビートの要素を取り入れたこの曲は、ケミカル・ブラザーがDJセットに取り入れたことにより注目を浴びるようになります。ミュージック・ヴィデオはスパイク・ジョーンズが手がけています。この頃からダフト・パンクは、ヨーロッパやアメリカのライヴ・ハウスでライヴ演奏、クラブではDJセットをプレイするようになります。この時2人は後にトレイドマークとなるロボットのヘルメットをまだ被ってはいませんでした。
1997年のデビュー・アルバム『ホームワーク』で、ダフト・パンクはいきなりブレイクします。ディスコ・サウンドとビッグ・ビードのノリノリ感を融合させた本作は、フレンチ・ハウスの世界的な人気の火付け役ともなりました。特にミシェル・ゴンドリーが監督した『Around the World』のミュージック・ヴィデオは、様々な楽器とシンクロしたダンスが秀逸です。ギター・サウンドや、ヴォーコーダーを使って生み出された“ロボット・ヴォイス"は、ダフト・パンクのトレイドマークとなりました
ダフト・パンク2枚目のオリジナル・アルバムとなった『ディスカバリー』(2001年)は、前作のギター・サウンドをメインとしたスタイルから一転、より70年代や80年代のシンセ・ポップを意識したサウンドに仕上がっています。特にシングル『One More Time』はクラブのみならずメインストリームでもヘヴィー・ローテーションとなり、世界的な大ヒットとなりました。また、本作のミュージック・ヴィデオでは『宇宙戦艦ヤマト』や『銀河鉄道999』で知られる松本零士とコラボレイションしたことで日本でも大変話題となりました。そのヴィデオは2003年に『インターステラ5555』という長編の“アニメイション・オペラ"としてもリリースされました。
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3.エレクトロ・ハウスの誕生
ダフト・パンクが世界的にブレイクしたことによって、フレンチ・ハウスというジャンル自体にも注目が集まるようになっていきました。2000年代以降、DIY精神やパンク的なアティテュードを持ったアーティストが次々と現れ、フレンチ・ハウスはよりエッジの効いた“エレクトロ・ハウス"というジャンルに進化していくこととなります。
2002年には、フランス人のジルダ・ロアエックは、日本人の黒木理也とロンドンを拠点としたグラフィック・デザイン会社「アバケ」と組み、パリを拠点に「Kitsuné」というインディペンデント・レコード・レイベル兼ファッション・ブランドを立ち上げました。ジルダ・ロアエックは、初期のダフト・パンクのアート・ディレクターを務め、トーマ・バンガルテルのレイベル「ルール」のマネイジャーを務めた経験があったことから、フレンチ・ハウス・シーンと深いかかわりを持ちます。
Kitsunéはドイツの2人組「デジタリズム」や英国の2人組「オートクラッツ」といった若手アーティストと契約を結び、「シミアン・モバイル・ディスコ」や「ボイズ・ノイズ」といったアーティストたちのシングルも次々とリリースしてます。彼らはダフト・パンクのフレンチ・ハウスのサウンドに強い影響を受けながら、テクノ・ポップやヒップホップの要素を更に強めることによって、エレクトロ・ハウスという新しいジャンルを確立していきました。現在もKitsunéはレイベルの主なリリースを収録したコンピレイション・アルバムを毎年発表しております。
1996年から2008年までダフト・パンクのマネージャーを務めていたペドロ・ウィンターは、2003年に「エド・バンガー・レコーズ」というレイベルを立ち上げました。ウィンターは若い頃からヘヴィ・メタルやヒップホップまで幅広い音楽を聴いていたことから、レイベルにもその趣味が色濃く現れています。ロックの世界観の影響を取り入れた新しいフレンチ・ハウスのサウンドも、エレクトロ・ハウスの一種として認められるようになります。
そのことを最も象徴するのが、フランス出身の「ジャスティス」という2人組です。ジャスティスは2000年代半ばに英国のロック・バンド「シミアン」の曲をリミックスした『We Are Your Friends』という曲でネット上で注目されるようになり、その後エド・バンガーと契約を結びました。この曲のミュージック・ヴィデオは、2006年のMTVヨーロッパ・ミュージック・アウォードで「最優秀ヴィデオ賞」を受賞しました。彼らはブリットニー・スピアーズやN.E.R.Dからファットボーイ・スリムやダフト・パンクなど、ポップ・アーティストからダンス・ミュージックの大物まで幅広い作品のリミックスで世界的にも注目を集めるようになりました。
ジャスティスは、2007年にリリースされたデビュー・アルバム『クロス』で世界的に大ブレイクしました。「オペラ・ディスコ」をコンセプトとした本作は、ロック、ヘヴィ・メタル、ヒップホップ、ポップなどジャンルを超えた数百もの音源から通常のサンプルよりも短かく刻まれた“マイクロサンプル"を用いて制作されています。洗練されたフレンチ・ハウスに敢えてロックの破壊力を取り入れた彼らのサウンドは、エレクトロ・ハウスを代表するものとなりました。マイケル・ジャクソンへのオマージュである『D.A.N.C.E.』やシンセサイザーとストリングズが壮大な雰囲気を醸し出す『Phantom Pt. II』など、本作の収録曲は英国を始めヨーロッパのレイディオでヘヴィー・ローテイションで流されました。 黒い背景に十字架が描かれた特徴的なジャケットは、ダンス・アルバムというよりむしろヘヴィ・メタルを連想させるデザインであることも彼らの音楽の方向性を示しています。
ジャスティスは、2008年に『クロス』の曲を中心としたライヴ・アルバム『ア・クロス・ザ・ユニヴァース』をリリースしました。アンコールの最後にはヘヴィ・メタル・バンド「メタリカ」の代表曲『マスター・オヴ・パペッツ』をサンプリングしたトラックを用いるところに、フランス人ならではの大胆不敵さを感じます。
●オススメのエレクトロ・ハウスの作品
4.ヨーロッパや日本のその他の2人組
ダフト・パンクやKitsunéやエド・バンガーといったフランスのレイベルが生んだエレクトロ・ハウスというジャンルは、ヨーロッパ各地のダンス・ミュージック・アーティストにも強い影響を与えます。それは日本にも及んできます。
ベルギー出身の2人組「ソウルワックス」はその代表例です。ソウルワックスは当初オルタナティヴ・ロックのバンドとして90年代半ばに結成されますが、徐々にエレクトロニック・ミュージックの要素が強まり、2000年代以降はシンセ・ポップのサウンドへと方向性を転換していきます。また、2人は「2manyDJs」という別名義でDJとしても活動しており、2002年にリリースされたライヴ・アルバム『As Heard on Radio Soulwax Pt. 2』は世界で50万枚以上を売り上げる大ヒットとなりました。本作はプログレッシヴ・ロック、カントリー・ミュージック、ソウル・ミュージック、ヒップホップ、ニュー・ウェーヴなど、幅広いジャンルの有名な45曲をコラージュのように重ねた“マッシュアップ"アルバムとして有名です。
一方、日本では2006年に「80KIDZ」という2人組のエレクトロ・ユニットが結成されました。2009年にリリースされたデビュー・アルバム『THIS IS MY SHIT』はオリコン・アルバム・チャートで32位を記録しました。日本においてこうしたジャンルの音楽がチャート・インすることはとても珍しいことです。収録曲の『MISS MARS』は日本人のアーティストとして初めてKitsunéのコンピレイション・アルバムにも収録されました。2人はダフト・パンクやジャスティス、2manyDJsなどに習い、DJセットにのみならずバンド形式でライヴ演奏も行うことがあります。公式なアーティスト写真では2人は必ずと言っていいほど手などで顔を隠していますが、この演出もダフト・パンクやエレクトロ・ハウスのパンク・ロック的な精神に習ったものなのでしょう。
興味深いことに、2000年代初期のフレンチ・ハウス/エレクトロ・ハウス・シーンには、実に多くの2人組のデュオが活躍しています。このトレンドの背景にはアンダーワールド、ケミカル・ブラザーズやダフト・パンクといった先駆者の影響もあるのかもしれません。また、バンドとしては今ひとつ成功せず、一方でピンのDJとしてやっていけるほどのカリスマ性や技術がなかったために、その中間を選んでデュオとしてお互いを補う形を選んだのかもしれません。実際、パンク・ロックの精神を受け継いでいるとはいえ、2manyDJsのミックスにはDJテクニック的にかなり雑なところがあります。
また、ジャンルは少し異なりますが、98年にノルウェーで結成された「ロイクソップ」も注目すべきエレクトロニック・ダンス・ミュージックの2人組です。ロイクソップは、日照時間が少ない北欧出身でありながら、バブリーなダウンテンポの作品で知られています。『Happy Up Here』が彼らの代表曲です。
2001年にリリースされたデビュー・アルバム『Melody A.M.』は世界で100万枚以上売り上げ、大ヒットなります。本作はチルアウト・ミュージックの傑作とされています。ロイクソップの実験的で前衛的なミュージック・ヴィデオはMTVでもヘヴィー・ローテイションで流され、『Remind Me』という曲のヴィデオは2002年のMTVヨーロッパ・ミュージック・アウォードで「ベスト・ヴィデオ賞」を受賞しました。また、同曲は自動車の保険会社のCMで使用されたことによってアメリカでも人気がでました。
ロイクソップは、これらの曲以外にも女性ヴォーカルを迎えた曲でも知られており、スウェーデンのポップ・シンガー「ロビン」を迎えた『Do it Again』やノルウェーのシンガー・ソングライター「スザンヌ・サンドフォー」を迎えた『Never Ever』などが話題を呼びました。『Never Ever』のミュージック・ヴィデオでは、ダフト・パンクへのオマージュとしてロボットDJが登場しています。
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5.エピローグ
MUSIC & PARTIES #026 でディスコ・ミュージックは70年代末に“死んだ"と書きましたが、そのスタイルはハウス・ミュージックに脈々と受け継がれ、ダフト・パンクによって90年代後半からリヴァイヴァル期を迎えることとなりました。こうした流れはポップ界にも及び、2001年にはカイリー・ミノーグが『フィーヴァー』、2005年にはマドンナが『コンフェッションズ・オン・ア・ダンスフロア』という、フレンチ・ハウスの影響が強く現れたダンス・ポップのアルバムを発表しています。
ダフト・パンクは2013年に、8年ぶりのオリジナル・アルバムとなった『ランダム・アクセス・メモリーズ』をリリースし、ディスコの“再リヴァイヴァル"ともいうべき現象を引き起こします。70年代と80年代のディスコへ敬意を払った本作がグラミー賞「最優秀アルバム賞」「最優秀ダンス/エレクトロニカ・アルバム賞」など数多くの賞を受賞しました。これは、音楽の流行というものは循環するということを物語っているのでしょう。
また、このアルバムで、ダフト・パンクは“ユーロ・ディスコの父"であるジョルジオ・モロダーと、ディスコ・バンドのシックのギタリストのナイル・ロジャースとのコラボレイションが実現したことでも話題となりました。
このディスコの“再リヴァイヴァル"は2010年代以降のポップ・シーンにも及んでいます。ビルボード・チャートのヒット曲を見ると、ディスコやフレンチ・ハウスの影響が至る所に現れています。例えば、カナダのヒップホップ・シンガー「ザ・ウィークエンド」の2016年のアルバム『スターボーイ』にはダフト・パンクとコラボレイションした曲が2曲収録されていますし、英国の若手の歌姫「デュア・リパ」が2020年に発表した『フューチャー・ノスタルジア』は、タイトルが示唆する通りレトロなサウンドが際立っております。正にディスコの現代版といってもよいでしょう。
こういったダンス・ミュージックの系譜を見ると、ディスコ・サウンドは70年代末に死んだのではなく、むしろアメリカを除いた世界ではポピュラー・ミュージックの基盤となったともいえるのではないでしょうか。