1.プロローグ
「東京のジャズ・ライフ その2」では、ジャズの音源が入手できる東京のCDショップやレコード・ショップや、ジャズ・ミュージシャンが訪れる東京の楽器店を紹介します。最後に老舗ジャズ・クラブの「新宿ピットイン」と姉妹店「六本木ピットイン」の歴史と、オススメのジャズ・フュージョン音源も紹介します。
2.CD / レコードショップ
●タワーレコード渋谷 / タワーレコード新宿


ジャズに限らず、CD / レコードを入手するには、タワーレコード渋谷店と新宿駅南口に隣接しているフラッグス内にある新宿店を、まずチェックすべきです。
音楽ファンであれば、各々の店舗に1日中いても楽しめることでしょう。
両店の各フロアのスタッフは、とても知識が豊富で大抵の音源は、この2つの店で購入できるはずです。
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タワーレコード 新宿店
●ディスクユニオン 渋谷ジャズ / レアグルーヴ館・新宿ジャズ館・御茶ノ水JAZZ TOKYO


タワーレコードで満足できない、コアなジャズ・ファンには、渋谷ジャズ / レアグルーヴ館、新宿ジャズ館、御茶ノ水JAZZ TOKYOの3つのディスクユニオンがオススメです。
この3店舗を回れば、たいていのマニアもきっと納得がいくことでしょう。
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ディスクユニオン 渋谷ジャズ・レアグルーヴ館

ディスクユニオン 新宿ジャズ館

ディスクユニオン 御茶ノ水 JAZZ TOKYO
3.楽器店
東京には、世界で一番多く、楽器が集まっています。
ジャズだけではなく、ロックのミュージシャンも来日した際には、東京で楽器を購入するケースが多いそうです。
実際、渋谷の楽器店で有名なミュージシャンが試奏しているのを僕も、何度も見かけたことがあります。
エリアとしては、渋谷、新宿、御茶ノ水にお店が集中しています。
楽器は、“生き物"なので同じメーカーの同じモデルでさえ、1本、1本全く違う音がします。保存状態が悪いと反っていたり、断線していたりすることがあるので、必ず試奏してから、購入をしてください。
因みに、僕がよくチェックしに行くのは、渋谷にある『イケベ楽器のベース・コレクション』と『新大久保のクロサワ楽器ベースセンター』というお店です。
『フェンダー』の「ジャズ・ベース」と『ハートキー』の「ベース・アンプ」を近々入手したいと思っています。
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石橋楽器 渋谷店

ミュージックランドKEY 渋谷店

クロサワ楽器 G-クラブ 渋谷

山野楽器 ロックイン新宿
4.エピローグ
1977年に「新宿ピットイン」の姉妹店として「六本木ピットイン」がオープンしたことは、ギター小僧だったBigBrother達の学校の仲間には、大きな事件だったとのこと。
当時のギター小僧たちは、ツェッペリ、ディープ・パープルなどのハード・ロック系かピンク・フロイドやキング・クリムゾンなどのプログレッシブ・ロック系かで派閥ができていたらしいのです。そこへ、1975年ごろからクロスオーバー/フュージョンという新しい流行がアメリカの西海岸で沸き起こってきたそうです。
リー・リトナーとラリー・カールトンという2大アイドルがギター小僧の心を捉え、「フェンダー」の『ストラト』か「ギブソン」の『レスポール』かという選択肢にギブソンの『ES-335』という選択肢が加わることとなったそうです。
そういう時代の中、77年に六本木ピットインは、オープンしました。新宿ピットインが“スイング・ジャーナル"だとすれば、六本木ピットインは、“アドリブ"という感じで、あのリー・リトナーも出演したことで、ギター小僧の注目は、より上がったとのこと。
翌78年には、渡辺貞夫の「カリフォルニア・シャワー」が資生堂のCMで使用され、大ヒットし、クロスオーバー/フュージョンの大ブームが一般の人々にも到来します。
六本木ピットインでは、渡辺貞夫を始め多くのクロスオーバー/フュージョンの有力プレイヤーが次々と出演しました。
中でもギター小僧のBigBrotherは、渡辺香津美、高中正義、山岸潤史などのギタリストや野呂一生のカシオペア、和田アキラのプリズムなどのライブに足繁く通ったそうです。
当時の六本木ピットインは、様々なミュージシャンが様々な組み合わせでライブを行っていました。
その中心人物の一人があの坂本龍一“教授"でした。坂本龍一は、ギタリストの渡辺香津美とは“KYLYN"というバンドを組み、当時は、無名CMソングのコンポーザーに過ぎなかったあの山下達郎のバックバンドのメンバーとしてもキーボードを弾いていました。そして、細野晴臣と高橋幸宏とYMOを結成するのです。
日本のジャズの名盤として名高い『KYLYN LIVE』も山下達郎の名ライブ・アルバム『IT’S A POPPIN’ TIME』も六本木ピットインでライブ録音されたものです。
YMOの78年の初のコンサート・ツアーのラストも“六本木ピットイン"だったのです。
その後も六本木ピットインは、2004年にビルの建て替えによる閉館まで、“クロスオーバー/フュージョン"の殿堂として数々のミュージシャンが熱い熱い演奏を提供してきました。
BigBrotherは、毎週どころか、毎日のように六本木ピットインに通っているうちにアルバイトとして働くことになったそうです。
当時、オープン前やライブ終了後には、様々なミュージシャンが“ジャム・セッション"を行っていたそうです。
売れる前の長身のギタリストや帽子をいつも被っているロック・ギタリストなども、夜な夜な自分が音楽を楽しむために、ノーギャラでプレイをしており、それがとても刺激的だったとBig Brotherは語っています。
彼らの演奏を聴いて、才能の豊かさに打ちのめされ、BigBrotherはプロのギタリストになることを断念したそうです。