1.プロローグ
“アメ・トラ”とはアメリカン・トラディショナル・スタイルあるいは、アメリカン・トラッドの日本式の略称です。“アメ・カジ”は、アメリカン・カジュアルの略称です。日本は、不思議な略称を作るものだなあといつも感じています。
さて、アメ・トラは、イギリス(これもポルトガル語のinglez[イングレス]が語源で、連合王国全体を指す言葉です。英国という表記は「“英”吉利」国、米国は「亜“米”利加」国の略称)のトラッドの流れをくむ、“アイビー・ファッション”のことです。このアイビーとは、アメリカの東部の私立大学8校(ハーバード大学、イェール大学、ブラウン大学、コロンビア大学、ペンシルベニア大学、プリンストン大学、ダートマス大学、コーネル大学)で構成されるカレッジ・スポーツ連盟(アイビー・リーグ)から由来しています。
金ボタン付きの紺のブレザー、オックスフォード地のボタン・ダウン、レジメンタルのネクタイ、チノパン、ローファー・シューズを基本スタイルとしています。
日本では、1960年代に石津謙介が東京・銀座に「ヴァンヂャケット」を出店して、アイビー・ルックは、大人気を博します。
2018年に創業200年を迎えた「ブルックス・ブラザーズ」が、アメリカにおけるアメ・トラの代表的なブランドです。ブルックス・ブラザーズのセールスマンから独立したラルフ・ローレン氏の率いる「ポロ・ラルフローレン」もとても人気があります。
表参道/青山地区には、ブルックス・ブラザーズとポロ・ラルフローレンのフラッグシップ・ショップがある他、「ポール・スチュアート」、「トミー・ヒルフィガー」といった“アメ・トラ”の名店の路面店もあります。
また、創業100年以上の歴史を持つ「J.プレス」も、最近までは日本のアパレル大手の「オンワード樫山」が多くの百貨店などに出店していました。しかし、近年の若者の“デパート離れ”に加え、コロナ禍の影響も重なり、オンワードホールディングスはここ1年間で約1,400店舗を閉鎖しました。
2.ブルックス・ブラザーズ
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「ブルックス・ブラザーズ」は、2018年で創業200年を迎える、“ゴールデン・フリース"と呼ばれる羊のマスコットで有名な、アメリカ・トラディショナル・ファッションの中心的なブランドです。
リンカーンやJ.F.K.がブルックス・ブラザーズのスーツを愛用していたことなど、米国大統領とブルックス・ブラザーズの長い縁は、とてもよく知られたことです。その他、歴代大統領44名のうち39人がブルックス・ブラザーズの何らかの商品を身につけたと言われています。
今では、一般化したボタン・ダウンと呼ばれるシャツのスタイルを生み出したほか、イギリス発祥のレジメンタル・タイをアメリカに定着させたことでも知られています。(正面から見て“左下がり"のイギリス式のラインの流れを、反対向きの“右下がり"に変更しました。)
ナチュラル・ショルダーの段返り三つボタンの「No.1“サック"スーツ」を流行させたのも(そして正当化させたのも)ブルックス・ブラザーズです。
まさにブルックス・ブラザーズは、アメリカのトラディショナル・ファッションの礎を作ったブランドなのです。
1年中、Tシャツと短パン、もしくは、ジーンズで過ごしているカルフォルニアンにとっては、“アメリカン・トラッド"つまりブルックス・ブラザーズなどのブランドは、東海岸の象徴であり、少し遠い存在であり、同時に憧れの対象でもありました。
ハーバード大学、ブラウン大学、コロンビア大学、プリンストン大学など東海岸の学校は、僕の育ったシリコンバレーにあるスタンフォード大学や僕が卒業したUCLAなど西海岸の学生からすると、どこか気取っていて嫌味な感じがすると同時に羨ましいと思った存在です。
一方で、NY出身の映画監督のウッデイ・アレンは、ハリウッド映画をバカにしていました。今でも東京で東部出身者に会うと、カリフォルニア訛りが明らかのようです。“カズーは、カリフォルニア語を話すんだね"といって、まるで他の国の人のことのように言われることもあります。(ここだけの話、日本に10年以上暮らしている今でも、カリフォルニア訛りが残っていることに安堵する部分もあることも事実です。)
なので、上智大学に留学で日本に来た時に、勇気をどうにか振り絞って初めて青山通りにあるブルックス・ブラザーズのフラッグシップ・ショップに入った時は、とてもドキドキしたものです。(※ブルックス・ブラザーズ青山店は2020
年8月30日に閉店し、9月4日より南青山に移転オープンしました。)
威厳のあるやや入りにくいような店構えですが、一歩入店すると、フレンドリーなスタッフが快く迎えてくれました。ありがたいことに、僕の日本語は、西海岸生まれであることについて何も物語ません。
嬉しいことに、僕のような大柄な人のサイズまで(アメリカ人としては普通ですが)、品揃えも豊富で、女性向けの商品や子供の服まで、ブルックス・ブラザーズの商品がフルラインナップで揃っています。
僕は、カジュアル用には、「レッド・フリース」を、ビジネス用には、「ゴールド・フリース」というラインを購入しています。
ボタン・ダウンやポロ・シャツといった、定番の人気商品はもちろんのこと、パジャマとボクサー・ショーツ、それに3枚入りのパックTシャツもオススメです。
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ブルックス・ブラザーズ 表参道
3.ラルフ・ローレン
2017年に創業50周年を迎えた「ポロ・ラルフ・ローレン」は、アメリカン・ドリームを象徴するブランドです。このブランドは、単にファッション・メーカーとしてでなく、人生やライフスタイル全般を提供しています。
ラルフ・ローレンが提示するスポーツのあるライフスタイル、中でもゴルフ、テニス、馬のいるカントリーサイドでの余暇、すべてがアメリカの成功者のイメージを具体化しているのです。ラルフ・ローレンという人物の人生も、とてもアメリカ的であることも、アメリカ人にとって魅力的なのかもしれません。
ラルフ・ローレン氏は、大学を中退し、軍に入隊後、ブルックス・ブラザーズのセールスマンとして、ファッション業界に入り、ネクタイのブランドを起こして独立を果たします。
ラルフ・ローレン氏が注目を浴びたのは、フィッツジェラルドの小説を映画化した『華麗なるギャッツビー』の衣裳を担当したことと、ダイアン・キートンとウッディ・アレンが『アニー・ホール』の中でラルフ・ローレンのアイテムを何点か着たことからです。
『華麗なるギャッツビー』におけるロバート・レッドフォードが演じるジェイ・ギャッツビーは、多くの人が小説を読んで想像していた通りに描かれていました。
『アーニー・ホール』におけるウッディ・アレンとダイアン・キートンの2人のライフ・スタイルは、理想のニューヨーカーを具現化していました。
これは、ラルフ・ローレン氏の衣裳の影響があることは、多くの映画評論家も認めています。
フィッツジェラルドは、僕のお気に入りの作家の一人ですし、ウッディ・アレンも僕のお気に入りの映画監督の一人ですので、この2つの映画を通じて、ラルフ・ローレン氏の“アメリカにとても強い憧れを抱いています。
ラルフ・ローレンは、これまでも、現在も様々ならラインとレーベルを発表してきました。現在は、「ポロ・ラルフ・ローレン」を中心に、メンズでは、「パープル・レーベル」、「ダブル・RL」を、ウィイメンズでは、「ラルフ・ローレン・コレクション」と「ローレン」を展開しています。その他、子供服や寝具、時計などのラインもあります。海外では、レストラン事業なども行っています。
「CHAPS」、「POLO SPORTS」、「POLO COUNTRY」などは、印象深いライン/レーベルでしたが、現在はどれも終了しているか、ブランドの主要ラインからは外れています。
現在、EXILEのAKIRAがアンバサダー(メイン・イメージ・モデル)を務めている「パープル・レーベル」のオーダー・スーツが40歳までには、似合うような男になりたいと思っています。
2006年には、ラルフ・ローレン氏の長年の夢であった「ウィンブルドン」(テニスのグランド・スラムと呼ばれる4大大会の1つ。その中でも、最も歴史も権威もある大会。4大大会で唯一の芝のコートで開催される)のユニフォームを手がけるといった成功がある一方、ここ数年は事業を任せていた経営陣との対立し、2017年には、業績不振によりNYマンハッタンの5番街のフラッグシップ・ショップを閉店したりと、アメリカ人の大好きな波乱万丈な人生を送っています。
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ラルフ・ローレン 表参道
4.ポール・スチュアート
※「ポール・スチュアート」の表参道店は2020年11月より北青山へ移転オープンしました。
表参道には、数々の象徴的なビルが建っていますが、古そうな石垣がエントランスとなっている「ポール・スチュアート / 青山店」は、その中でも異彩を放っています。
重厚な石垣のため、エントランスが昼間でもやや暗いため、入りにくい雰囲気なのですが、店内は、広々としており、1階には女性ものもあり、2階には、オーダー専用のエリアもあります。
この石垣は、明治神宮が建てられた時に作られた“表参道"のための長い石垣の一部なのだそうです。
ポール・スチュアートは、ニューヨーク発のブランドなのですが、日本では三陽商会がハンドリングしています。三陽商会といえば、「バーバーリー」が有名でしたが、2015年「バーバーリー」とのライセンス契約が切れ、現在では「マッキントッシュ・ロンドン」などを手がけている日本の大手アパレル・メーカーです。
ポール・スチュアートは、ブルックス・ブラザーズやラルフ・ローレンに比べて、一般的な知名度はありませんが、長いファンが多いブランドです。商品は、どれも丁寧な仕上がりとなっており、一度ポール・スチュアートにはまってしまうと、長く愛用してしまうような魅力があります。
表参道店のオーダー・フロアでは、医師か弁護士とおぼしき品の良いお金持ちがゆっくりとスーツをオーダーしているシーンを見かけました。
ジャケットやスラックスも気になるので、僕も是非一度試してみたいと思っています。
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ポール・スチュアート 青山店
5.トミー・ヒルフィガー
“アメ・トラ"ファッションの中では、「トミー・ヒルフィガー」は、創業もスタイルも“若い"ブランドと言えます。
(表参道と明治通りが交差する)神宮前の交差点の東急プラザ表参道原宿店に入っている表参道店には、日本人も海外からの観光客も、20歳代前半の層がとてもよく入っています。
トミー・ヒルフィガーは、“アメ・トラ"という流れにありますが、“アメ・カジ"(アメリカン・カジュアル)の要素も取り入れています。トミー・ヒルフィガーは、スポーツ系の商品が魅力的です。
あくまでも僕の個人的なイメージなのですが、トミー・ヒルフィガーがイメージするアスリート系の女の子というのは、アメリカ人男性の理想なのではないでしょうか。
高校生まで“チア"をやり、大学生になったら“ゴルフ部"に入るような少しだけ、お金持ちのお嬢様。
トミー・ヒルフィガーも近年、オーダー・スーツを始めたようなので、チェックしてみたのですが、僕には、スリムすぎるので諦めることにしました。
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トミー・ヒルフィガー 表参道店
6.J.プレス
「J.プレス」は、1902年にコネティカット州ニューヘイブンで創業されたアメ・トラを代表するブランドです。
日本では、かつてラルフ・ローレンも手がけていたオンワードホールディングスが百貨店を中心に販売を行ってきましたが、近年はデパートから消えつつあります。2019年10月に、東京・青山にJ.プレスの伝統を受け継ぐ「J.PRESS & SON’S AOYAMA」というコンセプト・ストアをオープンしました。
僕の個人的なイメージで言うと、J.プレスというブランドは、最も基本に“忠実"な“アメ・トラ"スタイルを保っているブランドなのではないでしょうか。
ブランド・イメージだけではなく、J.プレスを着ている人は、“忠実"な人のように感じられます。突飛なことは行わず、きちんと仕事をこなすような。
さらに、個人的な印象なのですが、アメリカで入手出来るJ・プレスの用品よりも、日本で入手出来る製品の方が、“丁寧"な作りになっている気がします。
しっかりとした家柄のお爺さまが、孫に小学校の入学式のためにJ・プレスのブレザーを買ってやり、その子供が大人になってもすっとJ・プレスでスーツを買うような、そんなブランド・イメージを持っています。が、このブランドの今後の行方は現在不透明です。
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J.PRESS & SON’S AOYAMA
7.エピローグ
BigBrotherは、“アメ・トラ"の申し子といえるかもしれません。
BigBrotherのお父様は、若い頃は“みゆき族"で“メンクラ"(雑誌『メンズ・クラブ』)の今でいう、読者モデルだったそうです。
なので、BigBrotherは子供の頃から、新宿伊勢丹の“新館"でVANのボタン・ダウンを買ってもらっていたそうです。またスーツは、銀座の「山形屋」でオーダーしていたそうです。
中・高校生の頃は、まだ日本未発売だった、ラルフ・ローレンのボタン・ダウンを海外から、入手していたそうです。
20歳の成人式の時には、ブルックス・ブラザーズのツイードのスーツで出席したそうです。
20歳代には、“イケセー"(池袋の西武百貨店)、“シブセー"(渋谷の西武百貨店)、ラルフ・ローレン原宿店(今では、「ナイキ」の隣の「プーマ」の入っている原宿クエストビル)や銀座店(銀座2丁目の美味しい餃子屋さんの通りにあった)の路面店やホノルルのアラモアナ・ショッピング・センターのショップで、それにカナダのバンクーバー(カナダは、英語とフランス語が公用語となっているので買った商品のサイズはL/Gと表示されています)で“ラルフ・ローレンの商品"を高級外車1台分ぐらい購入したそうです。
30歳代の時には、ラルフ・ローレンのパープル・レーベルのスーツとシャツそして、今はなきブラック・レーベルのシャツ、パンツ、ジャケットを愛用していたそうです。
今でも、テニスやゴルフの時には、「今日も『POLO』のポロシャツを着ています」と言って胸のロゴを指して笑っています。
そして、次にライオネル・リッチーのアルバム『ライオネル・リッチー』のジャケット写真のサマーセーターは、ラルフ・ローレンの製品なのに、あえて胸のロゴを解いて撮影したんだ"と、いつもこの同じ話をします。