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日本のアニメを世界的に“クール"にした大友克洋と『AKIRA』
  – 世界的に評価されている日本人のアニメイション制作者 (5) | CINEMA & THEATRE #043
Photo: ©RendezVous
2023/05/29 #043

日本のアニメを世界的に“クール"にした大友克洋と『AKIRA』
– 世界的に評価されている日本人のアニメイション制作者 (5)

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SUNDAY
英語教師 / 写真家 / DJ

目次


1.プロローグ

2020年の春に、世界中で新型コロナウイルスの感染が広がり続ける中、イタリア、フランス、ドイツ、スペイン、アメリカなど世界中の国々はドミノ倒し的に地域レヴェルでのロックダウンあるいは国レヴェルでのロックダウンを導入し始めました。日本では政府が学校閉鎖を要請し、非常事態宣言が下される可能性についてささやかれ始めていました。東京都民と国民の最大の関心ごとは、2020年東京オリンピック・パラリンピックの行方でした。

そんな中、アニメの不朽の名作『AKIRA』がツイッター上で話題となりました。『AKIRA』は、1988年に“新型爆弾"が炸裂して東京が崩壊し、それを引き金に第三次世界大戦が勃発したという設定から始まり、2019年の新首都“ネオ東京"を舞台にしたSF物語です。映画の中では、偶然にも2020年のオリンピックが復興の象徴として“ネオ東京"で開催される予定となっており、ある場面で「東京オリンピック開催迄あと147日」という看板が映り、その下に「中止だ中止」というグラフィティが落書きされている場面があります。これに気づいた『AKIRA』のファンたちは、東京五輪が当初開幕する予定であった7月24日からちょうど147日前となる3月28日に、「とうとうこの日が来てしまった」と言った内容の投稿を行い、それが拡散していました。

『AKIRA』が公開された1988年ごろにおいて、欧米人にとって日本のアニメの認知度はまだまだ低く、マイナーなものでありました。確かに60年代にテレヴィに放送された手塚治虫の『鉄腕アトム』やタツノコプロの『マッハGoGoGo』といった作品は“懐かしい思い出"として残っていましたが、それはあくまで“子供のためのエンタメ"という位置付けであり、もっというと彼らの多くの中では日本の“アニメ"ではなくアメリカの“カートゥーン"という風に認識されている程度のものでした。

日本においては、手塚治虫が『ブラック・ジャック』などの作品で“大人向け"の漫画・アニメという分野を切り開いていきましたが、欧米において日本のアニメの可能性を解き放ったのが大友克洋の『AKIRA』という作品でした。

今回は、大友克洋と『AKIRA』を取り上げ、それがその後の日本やハリウッドに与えた影響について考えます。


2.“動き"のある作風で新しい漫画の美意識を生み出した大友克洋

1954年に宮城県で生まれた大友克洋は、手塚治虫の『鉄腕アトム』や『ジャングル大帝』、横山光輝の『鉄人28号』などの漫画を読みながら育ちました。小学生の頃はお気に入りの漫画を書き写していたりし、中学時代には漫画家を志すことにします。

一方で高校生の頃は映画にハマり、一時期漫画とは距離をおいていたそうです。ハリウッドの黄金期の作品や70年代のいわゆる“アメリカン・ニュー・シネマ"の作品をよく観ていたと言われています。特に好きだったのが、アーサー・ペン監督の『逃亡地帯』や『俺たちに明日はない』だったそうです。

アメリカ映画から得た感性は、後に大友の絵のスタイルに大きく影響します。漫画評論家の米澤嘉博は漫画の表現史を「大友以前、大友以後」と分ける見方を提示し、手塚氏は「コマ」やデフォルメを意識した“漫画的"な作風が特徴だったのに対して、大友氏のスタイルは「漫画の絵から説明的な意味を取り除き、人物や風景を写実的に描き、映画のような“カメラワーク"を彷彿させる画面の連続で作品を構成している、言ってみれば最初っから“アニメイション向き"の作風で漫画界に革命をもたらした」と指摘しています。

大友氏が漫画家として仕事をし始めた70年代後半の頃、日本の漫画においては日本人のキャラクターの目を極端に大きくしたり、男性をかっこよく見せたり女性をかわいらしく描こうとするのが当たり前でした。漫画界ではさいとう・たかをの『ゴルゴ13』のような劇画が人気を集めていました。大友氏は劇画のような泥臭さや過剰さのない乾いたリアルな画風を追求します。日本人のキャラクターでもデフォルメせずに描くスタイルで注目されるようになりました。

大友氏は80年代ごろからSF的な方向に進み始め、その最高傑作とされるのが『AKIRA』の漫画と、それを自ら映画化した長編アニメです。バブル期の頂点ということもあり、『AKIRA』の予算はそれまでのアニメ映画としては最高額であった10億円以上で制作されました。手塚氏が用いていた“リミテッド・アニメイション"とは違って、思いっきり手の込んだアニメイションと映像美で世界中のアニメ・ファンを魅了しました。この作品によって“ネオ東京"という東京=近未来的な都市のイメージが生まれ、“サイバーパンク"というスタイルが作り出されました。

『AKIRA』はアメリカで1989年のクリスマスにプレミア公開され(映画のプレミアとは、「初日」「初演」「初めて行う公式の上映」のこと)、90年にかけてアメリカの主要都市やアートハウス・シネマで上映され、少しずつ話題を呼ぶようになっていきました。一方ロンドンでは91年にロンドンの現代芸術複合センターで上映されました。本作をきっかけに欧米人の多くがアニメ、ひいては東京と日本に興味を持つようになりました。

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3.『AKIRA』が海外ポップ・カルチャーに与えた影響

『AKIRA』は日本でも欧米においても、一般オーディエンスを圧巻させるだけでなく、映画製作者を始め、各分野のクリエイターたちに強い衝撃を与えました。それは息をのむほど迫力のあるヴィジュアル力です。例えば、腐敗が蔓延していながらもどこか魅力的な“ネオ東京"という場面設計や暴力的なアクション・シーンなどです。

アニメの世界においては、『AKIRA』以前の作品と『AKIRA』後の作品に分かれると言って良いでしょう。SFの実写映画に関しても同じことが言えます。それほど『AKIRA』がその後のアニメや映画に与えた影響というのは計り知れないのです。ハリウッド映画でオートバイのチェイス・シーンや近未来の都市が描かれる際には、そこには必ず『AKIRA』の世界観が影響しているのです。

同時に、『AKIRA』のストーリーを意識したハリウッド映画もその後、いくつもリリースされています。

『ミッドナイト・スペシャル』
ある父親が、自分の息子が超能力を持っていることを知ると、政府や過激な宗教信者の手から彼を守るために逃走するドラマです。

『クロニクル』
もし高校生3人がスーパーヒーロー並みの能力を手に入れたら、彼らはその能力でどんないたずらをするのか。また、その能力は彼らの人格をどのように変えていくのか。正義のために戦うスーパーヒーロー映画が溢れる中、ちょっと変わった視点からこのテーマを描いた本作は低予算でありながら話題を呼び、ヒットとなりました。高校生のうちの1人は自分の力に酔い痴れ、徐々に手に負えなくなっていきます。シアトルの都心を舞台にしたクライマックスのアクション・シーンは、思いっきり『AKIRA』を意識したものとなっています。

『ルーパー』
『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』で世界的に有名となったライアン・ジョンソン監督による本作は、近未来を舞台にしたSF映画です。監視社会の発達によって殺害が事実上不可能となった近未来において、マフィアが誰かを“始末"する際には、その人を過去にタイプスリップさせ、そこで待ち伏せているヒットマンが撃ち殺すというストーリーです。そこにすざましい超能力を持った子供が登場し、将来的には社会を支配するボスになるとされる人物を今のうちに殺すべきか、守るべきか主人公を悩ますという内容です。

『AKIRA』の影響は映画製作者の枠を超え、意外なところにもファンを輩出しています。例えばマイケル・ジャクソンとジャネット・ジャクソンがデュエットした『スクリーム』という曲のミュージック・ヴィデオの最後の方に鉄雄が映っていますのがその一例です。(このヴィデオには他にもマニアックなアニメがいくつか出ています。)

また、ラッパーのカニエ・ウェストの代表曲『Stronger』のミュージック・ヴィデオは『AKIRA』を強く意識したコンセプトとなっており、例えばオートバイが東京のネオン街を“暴走"していたり、「鉄雄」に見立てられたカニエが検査を受けている様子や病院から脱出する様子が描かれています。カニエは実際、『AKIRA』をお気に入りの映画の1つとして挙げています。 (また、カニエは音楽家としては“天才"というレッテルが貼られている一方で、“お騒がせセレブ"で“わがままな悪ガキ"というイメージも定着しているので、自分を鉄雄として描くということは、本人も自己を認識しているということなのでしょう。

『AKIRA』の実写版が現在、タイカ・ワイティティ監督の下でハリウッドで製作中であり、2021年にリリースされる予定でしたが、新型コロナウイルスの影響で公開の延期はほぼ確実と言ってよいでしょう。


4.エピローグ:『AKIRA』が生み出した“クール"な日本

外国人に『AKIRA』についての感想を聞くと、“cool"という意見が圧倒的に返ってきます。ネオ東京のカラフルなヴィジュアルであれ、主人公・金田のオートバイであれ、音楽であれ。当時のハリウッド映画で描写されていた近未来というのは、ディストピア的で、社会が崩壊しかけている様子を描いたものが主流でした。都市風景はどれもどす黒く、雲やスモッグがかかっていて、ある意味西部劇以前に逆戻りしたかのような無法地帯が描かれています。

日本政府が“クール・ジャパン"という戦略を打ち出したのは、そもそも根源を辿れば、『AKIRA』が欧米で高く評価されたことが最大の理由だったのではないでしょうか。

終戦以降、日本のポップ・カルチャーが海外で認められた例はあまり多くありませんでした。少年向けの『鉄腕アトム』や『マッハGoGoGo』はカッコよかったわけではなく、あくまで子供にとって“面白い"エンタメでしかありませんでした。60年代に世界的にヒットした坂本九の『上を向いて歩こう』は、日本のポップ・ミュージシャンがアメリカ音楽市場に進出するきっかけではなく、この1曲だけがあくまで例外で、ましてや英題はクールとはとても言えない “Sukiyaki"にされていた位です。『AKIRA』と同じ、88年に公開された宮﨑駿の『となりのトトロ』や高畑勲の『火垂るの墓』も、どんなに高評価されたとしてもこれらの作品に対して決して“クール"という形容詞は出てこないでしょう。そして21世紀前後には“KAWAII"路線をアピールしていますが、これは決して“クール"ではないと欧米人は思っています。言ってみれば『AKIRA』こそ、戦後の世界において初めて“クール"として認められたら日本のポップ・カルチャーだったのではないでしょうか。

当時、日本バブルの最盛期で、いわゆる“ジャパン・アズ・ナンバー・ワン"が囁かれていた時代です。日本車や日本の家電がアメリカで売れるようになり、今度は日本のポップ・カルチャーの出番となるか・・・という雰囲気になっていたのでしょう。アメリカでは夢のある未来像が描ききれていなかった中で、『AKIRA』で描かれていた未来像は少なくとも欧米人にとって面白そうに映ったのではないでしょうか。

ただ問題は、『AKIRA』の成功によって日本人が「日本のアニメは“クール"だと思われているんだ」と思い込んでしまったことです。外国人は「アニメ=クール」と思っていたわけではなく、「AKIRA=クール」と感じていたのです。95年に公開された押井守の『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』は欧米のアニメ好きの間では人気を集めたものの、より哲学的なテーマを取り扱っていた難解さもあったせいか、『AKIRA』のような人気の再来にはなりませんでした。その後にリリースされてきた(『攻殻機動隊』と同じ原作者の)『アップルシード』や今敏の『パプリカ』などのSFものは海外ではとっつきにくいという評価を得ました。こういったSFの作品が難しい方向に進む一方で、90年代以降のアメリカに輸入されているテレヴィ・アニメは『ドラゴンボール』『ポケモン』『ナルト』など少年向けのものが多くなっていきました。その結果、海外に輸出される日本のポップ・カルチャーはどんどん“子供向けなもの"や“マニアックなもの"や“極端に偏ったもの"(つまり“HENTAIなもの")が増えました。「世界は日本の変わった、エグゾチックがクールだと思っている」というのは、大きな間違いなのです。


CINEMA & THEATRE #043

日本のアニメを世界的に“クール”にした大友克洋と『AKIRA』 – 世界的に評価されている日本人のアニメイション制作者 (5)


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