1.プロローグ
2010年8月24日、アニメ監督の今敏は、46歳という若さで、癌のためになくなりました。監督としてキャリアのピークに達し、世界中のアニメ・ファンや映画関係者の間で注目されるようになっていただけあって、早すぎる死を悼む声が広がりました。
今氏といえば、「現実と夢」「現実と想像」という2つの世界の境界線をテーマにした作品で知られます。こうしたテーマを扱うのだけでなく、このテーマをヴィジュアル面で表す独特の映像表現を編み出したことで多くのアーティストに影響を与えたとされています。中でも世界の映画製作者と映画ファンに衝撃を与えたのが、今氏の最高傑作とされる『PERFECT BLUE』(1998年)です。
『PERFECT BLUE』があったからこそ、2000年前後から『ファイト・クラブ』や『マトリックス』など「現実と夢」「現実と想像」が入り混じった世界観のハリウッドの作品が製作されるようになったともいえます。今氏はそれまでは“難しすぎる"としてアメリカの映画観客が受け入れなかったテーマを開拓していきました。
『PERFECT BLUE』の影響が直接的に見られるのが、ダレン・アロノフスキー監督のサイコスリラー『レクイエム・フォー・ドリーム』です。
今氏は2001年、アロノフスキー氏が『レクイエム・フォー・ドリーム』の宣伝で来日していた際に対談をしており、その経験を自身のブログで振り返っています。 アロノフスキー氏の作品の中には主人公が湯船に浸かっているところを真上から映したカットや、赤いドレスがモチーフとして用いられていることなど、『PERFECT BLUE』とそっくりな場面があります。今氏が対談で「どこかで見たようなシーンが出てきて、見ていてちょっと気恥ずかしかった」というと、アロノフスキー氏は「あれはオマージュだ」と認めたことを明かしています。アロノフスキー氏は『PERFECT BLUE』の実写化権を購入するくらい気に入りの作品だったようで、2010年に公開された『ブラック・スワン』も偶然とはいえないほど『PERFECT BLUE』のストーリーに似ています。
クリストファー・ノーラン監督の名作SF作品『インセプション』(2012年)は、筒井康隆の小説を原作とした今氏の『パプリカ』(2006年)に強い影響を受けています。人の夢の中に入り込むことを可能にする装置、“夢"が鏡ガラスのように割れて崩壊する演出や、ホテルの廊下でのチェイス・シーンの途中に世界が歪み始めるシーンなど、ノーラン氏は『パプリカ』に対する多くのオマージュを取り入れています。
2000年以降のハリウッド映画において、「現実」と「非現実」の交錯を模索した映画が非常に多いのは、今氏の影響が大きいと思われます。今回は、世界が認めた今敏と、今氏が『パプリカ』を発表した2006年に、同じく筒井康隆の小説を原作とし、同じ制作会社「マッドハウス」から『時をかける少女』を発表し大ヒットさせた細田守を取り上げます。
2.ハリウッドや欧米の映画研究者が認めた今敏
今敏は、1958年に札幌で生まれました。兄は70年代~80年代の間にフュージョン・ギタリストとして活躍し、その後は井上陽水や宇多田ヒカル、福山雅治など数多くのアーティストのツアーやレコーディングに参加している今剛です。(兄弟でミュージシャンやアーティストとして活躍している例は珍しくなく、例えば漫画家のつのだじろうとドラマーのつのだ☆ひろ、作家の菊池秀行とジャズ・ミュージシャンの菊地成孔などがいます。クリストファー・ノーランとジョナサン・ノーランもその一例です。)父親の仕事の関係で、小中高の頃は札幌と釧路市で過ごす時期が長く、上京した時の生活のギャップが、今氏の作品のテーマである「現実と想像の世界の融合」に影響しているとされています。
今氏は子供の頃から『アルプスの少女ハイジ』『宇宙戦艦ヤマト』『機動戦士ガンダム』などのアニメを好み、漫画は大友克洋の『童夢』が特にお気に入りだったそうです。一方で、筒井康隆やフィリップ・K・ディックの前衛的で実験的なSF小説に強い刺激を受けていました。武蔵野美術大学の進学すると、デザインを学ぶかたわら、外国映画も多く観ていたそうです。
大学在学中に今氏は、処女作『虜 -とりこ-』で講談社の『週刊ヤングマガジン』のちばてつや賞優秀新人賞を受賞し、漫画家としてデビューしました。同時期に大友氏が同雑誌に『AKIRA』の連載をしていたこともあって、今氏は大友氏のアシスタントとして働くこととなりました。大学卒業後も大友氏と仕事を続け、91年には『老人Z』で初めてアニメ制作に携わりました。その後、押井守の『機動警察パトレイバー2 the Movie』などの制作に携わり、漫画家としての活動をストップしてアニメ制作に専念することを決意しました。
今氏は97年に竹内義和の小説『パーフェクト・ブルー―完全変態』を原作とした『PERFECT BLUE』で監督としてデビューを果たしました。その後、2002年に『千年女優』、2003年に『東京ゴッドファーザーズ』などのオリジナル作品が高い評価を受け、2006年にはかねてから映画化を望んでいた筒井康隆の『パプリカ』を発表し、最後の長編映画となりました。今氏の長編アニメは、日本では一般的にはあまり認知されていませんが、どれもが国際映画祭に出品され、様々な賞を受賞しています。1度は観る価値のある作品ばかりです。
●今敏のオススメの作品
3.次世代を担うアニメ作家として活躍する細田守
細田守は2006年の『時をかける少女』のヒットによって、宮﨑駿や押井守の世代に対して次世代を担うアニメ作家として注目を浴びるようになりました。
1967年に富山県で生まれた細田氏は、中学生の頃に『銀河鉄道999』や『カリオストロの城』を観てアニメに携わりたいと思うようになり、自主制作したアニメを学内上映するほどのめり込んでいきました。金沢美術工芸大学に進学してからは現代美術や実写映画にも興味を持つようになり、映画サークルに所属してアート寄りの実写映画を製作するようになりました。
大学卒業後は、スタジオジブリの研修生採用試験を受け、最終選考まで残りましたが、結局不採用となりました。この時、宮﨑氏から「君のような人間を入れると、かえって君の才能を削ぐと考えて、入れるのをやめた」と書かれた手紙をもらったと本人は明かしています。細田氏はジブリを諦め、東映アニメーションに就職することにしました。その数年後、東映在籍時に発表した『デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!』の国際的な成功にジブリの鈴木敏夫プロデューサーは注目し、『ハウルの動く城』の監督をやらないかという声がかかり、細田氏は念願のジブリの仕事に取り組むこととなりました。しかし、制作中にジブリ側と意見が衝突し、制作は行き詰まってしまい、最終的には事実上制作から外されることとなりました。
そもそも、宮﨑アニメは子供向けのおとぎ話であり、ヨーロッパ的な風景を舞台にしたファンタジーの世界に人間的なテーマを持ち込んだ作品が中心です。一方で、細田は現代日本の都市風景や田舎の風景、日本人の生活をベースにした作品を制作しています。また、宮﨑氏は頑なに手描きにこだわるのに対して、細田氏は手描きを中心にしながらも、CGを上手にブレンドしていることで知られる作家です。細田氏は自分が勝手に抱いていたスタジオ・ジブリの“夢"と国民的アニメの制作の"現実"のギャップに挫折してしまったのかもしれません。
細田氏はその後はフリーになり、アニメイション制作会社マッドハウスを制作基盤とするようになりました。マッドハウスは、今敏の『PERFECT BLUE』や『パプリカ』を制作した会社です。細田氏はそこに在籍している間、筒井康隆の小説を原作とした『時をかける少女』(2006年)でブレイクすることとなります。「現実空間」と「仮想空間」を舞台とした次回作『サマーウォーズ』(2009年)もロングラン・ヒットとなり、興行的にも成功しました。この作品で日本アカデミー賞最優秀アニメーション作品賞など数々の受賞をしました。
2011年には自身のアニメイション映画制作会社「スタジオ地図」を設立し、『おおかみこどもの雨と雪』(2012年)と『バケモノの子』(2015年)を発表し、国内外のアニメ・ファンを魅了しました。2018年にリリースされた最新作の『未来のミライ』はカンヌ国際映画祭の監督週間で上映され、ゴールデングローブ賞アニメ映画賞にノミネートされるという話題作となりました。
細田氏のオリジナル作品はどれもが私生活から着想を得たものが多く、『サマーウォーズ』は自分が初めて妻の親類の家族に会った時の経験に基づいています。『おおかみこどもの雨と雪』は自分の母親を強く意識したストーリーとなっています。『未来のミライ』のコンセプトは自分の子供から得たそうです。細田氏の作品はとても“想像的"であると同時に、とても“パーソナルな世界"を表現しています。
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4.今敏と細田守の共通点
今敏と細田守はそれぞれ同じ時期に、同じ制作会社から代表作となった作品を発表していますが、2人があまり比べられることはありません。今氏は“大人向け"の作品を制作していたのに対して、細田氏は“子供向け"の作品を制作しており、それぞれの作品のスタイルやジャンルが全然違うからなのかもしれません。しかし2人にはとても興味深い共通点がいくつかあります。
例えば今氏も細田氏も“ハイ・コンセプト"(=プロットやコンセプトの内容をひと言で表現できる分かりやすい企画)な映画作品を制作しています。『パプリカ』は「もし人の夢に入り込むことができる装置が開発されたとしたら」ですし、『時をかける少女』は「日本の高校生が自由にタイムスリップできる力を手に入れたらそれをどのように利用するか」というコンセプトです。一方で、対照的である宮﨑駿や高畑勲、押井守や庵野秀明は“ロー・コンセプト"(=プロットやコンセプトより登場人物や世界観に焦点をおき、ひと言では表現しにくい企画)な作品で知られています。細田氏がスタジオ・ジブリのヴィジョンとうまく噛み合わなかったのも、こういったことが原因であったのかもしれません。
また、今氏も細田氏も、それぞれジャンルやオーディエンスは違いますが、「現実と非現実」「過去と未来」「リアルとヴァーチャル」「他人と自分」「プライヴェートと公」を題材にしている点も共通しています。今氏の場合は、現実と夢の世界を区切りなく繋げた独特の編集の仕方でその境界線を取り除いています。一方で細田氏は、現実をベースにした世界に非現実的な要素を違和感なく登場させることを得意としています。今氏の作品は「非現実」「ヴァーチャル」の世界にハマりすぎる危なさに注目しているのに対して、細田氏は軽妙な作風で穏やかな作品を作っているという点では着地点が少し違います。いずれにせよ、2人とも「現実」と「非現実」は対極にあるものではなく、実はすぐ隣にあるものであるということを表しているのではないでしょうか。これは小泉八雲の『怪談』や柳田国男の『遠野物語』にも通ずる世界観です。かつての日本人にとっては「この世」と「あの世」との境が曖昧になっていて、自然の中に霊の存在を感じとっていました。今氏も細田氏も、とても日本的なアニメ監督と言えるでしょう。
また、今氏も細田氏も、“強い女性"を物語に登場させているところも注目すべき共通点です。今氏は『PERFECT BLUE』と『パプリカ』ではアイドル的な女の子(男性が望む、小悪魔的な可愛さのある女性)を初めに登場させながら、その一方で日本社会が求めるような女性像を演じ続けることにうんざりしている“もう1人の自分"が登場します。今氏は、アニメに登場する女性は大概、男性目線から美化された、フェチの塊のようなものであるという問題を真正面から取り扱っているのです。一方で細田氏の描く女性は、自分の母や妻などを意識して描かれています。「学校のマドンナ的お姉さんキャラ」「かわいい笑顔を絶やさない乙女」「亡夫に操を立てる女性」「完璧な母親」など、現代の日本人男性(=草食系男子)が抱く理想的な女性像が描かれているのです。
2人ともSF的なストーリーを扱いながらも、日本の民族的な要素を多く取り入れていることもとても興味深い共通点です。『パプリカ』に登場する“お祭り"には招き猫やカエル、信楽タヌキ、日本人形などが登場しています。一方、細田氏は地方都市を舞台にした『サマーウォーズ』では古き良き日本の原風景を描いたり、花札が重要な役割を果たしたりしていますし、他にも動物が擬人化された作品が多いことも日本的な感性なのではないでしょうか。また、画風に関しては、特別な場面を除いて、人物には影がないことは浮世絵や絵巻物などの日本絵画と同じ手法だという指摘もされています。日本の土着的な風土を感じさせるという点では、この2人のスタイルを受け継いでいるのが、『君の名は。』でブレイクした新海誠なのではないでしょうか。
5.エピローグ
今氏と細田氏の作品で、もう一つとても日本的だと感じるのは、SF的な要素を題材にしながら、そこに何か科学的な検証やロジックを持たせることにまるで興味のないところです。欧米人は「非現実的なもの」や「未来的なもの」に対してはどうしても理由や何らかの解釈をつけたくなるものなのですが、2人はそれを説明しようとはしません。
今氏は『パプリカ』という作品の中で、お互いにある装置を身につけることで相手の夢の中に入り込めるようになっています。しかし途中からその装置を身につけていない人の夢にも入り込むことができたり、最終的には人の夢が現実世界に影響し始めるという展開があり、それはどういうロジックでそうなっているかに関しては最小限の説明しかなされていません。一方で、クリストファー・ノーランの『インセプション』では、夢と現実の関係性が明確であり、夢の中のルールに関しても非常に細かく説明するシーンがあります。“夢"を建築する“アーキテクト"という役割を果たす人がいるくらいです。
細田氏の『時をかける少女』という作品はタイムリープを題材にしていますが、その能力を授ける装置はなぜか小さなクルミ型の装置ですし、主人公がなぜその能力を発動するためには助走をつけてジャンプしなくてはいけないのかなど、タイムリープのルールがほとんど説明されていません。『未来のミライ』に関しても、結局4歳の主人公が未来からやってきた妹や亡き祖父と出会うという奇妙な体験は、全て「空想」なのか、それとも映画の中では「現実世界」で起きていることなのかが曖昧のままに終わります。むしろ細田氏が言いたいことからすると、こういった疑問は的外れなのかもしれません。しかし欧米人はむしろこういうところこそが気になるものです。
細田氏の最新作『未来のミライ』には少し驚かされたところがありました。本作は妹が生まれることによって、わがままな4歳の男の子が、自分が世界の中心ではないことに気づかされ、お兄ちゃんになる(あるいはなることを強いられる)という物語です。日本人はよく「子供は子供らしくあるべき」といってわがままな態度を容認し、公共の場で騒ぐ子供に対しても「子供だから」と見過ごしたりします。その点、この作品ではわずか4歳の主人公の男の子に何らかの教訓を学ばせようとするのは、妙に欧米的な子育ての仕方に近い気がしました。