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男臭い“ストリート系"の漫画のスタイルを確立した松本大洋と井上三太 – 世界的に評価されている日本人のアニメイション制作者(8) | CINEMA & THEATRE #046
Photo: ©RendezVous
2023/07/24 #046

男臭い“ストリート系"の漫画のスタイルを確立した松本大洋と井上三太 – 世界的に評価されている日本人のアニメイション制作者(8)

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SUNDAY
英語教師 / 写真家 / DJ

目次


1.プロローグ

ラッパーのカニエ・ウェストは、大のアニメ好きとして知られています。お気に入りのアニメ作品は大友克洋の『AKIRA』で、ライヴのステージの演出やミュージック・ヴィデオのコンセプトを考える際には必ずといっていいほど意識しているということを公言しています。

この影響が一番はっきり見受けることができるのが、カニエの代表曲『Stronger』のミュージック・ヴィデオです。近未来的な東京の風景を背景にオートバイが暴走しているシーンや、カニエが医療施設から逃走するシーンは『AKIRA』そのものです。

『Stronger』という曲はそもそもロボットのヘルメットをかぶっていることで知られているフランスのダンス・ミュージック・デュオのダフト・パンクの『Harder, Better, Faster』をサンプリングしており、元となった曲が収録されたアルバム『Discovery』用に作られた映像作品は松本零士(※5)が手がけています。アニメというものはヒップホップとの繋がりが多く、ヒップホップも意外にも“オタク・カルチャー"との接点があるのです。

カニエが登場するまで、アメリカのヒップポップ文化といえばギャングスターやマッチョな男たちのもので、ストリート・カルチャー的な危ない匂いがしていました。カニエが登場し、人気を博したことで、既存の“Bボーイ"のイメージに従うのではなく、「自分らしくある」ことがカッコいいとされるようになっていきました。それによってヒップホップ・シーンにもドレイクやフランク・オーシャンなどの“ナード"や“ギーク"が活躍する場が生まれました。カニエは他にも、アルバムのジャケットのデザインを村上隆に依頼したりもしています。

その点で挙げなければならない1人“ナード"なのが、日本を“第二の故郷"とも称しているファレル・ウィリアムズ(※8)でしょう。ウィリアムズは宇宙を意識したネーミングの「ザ・ネプチューンズ」(※9)という名義で多くのポップ/ヒップホップ・アーティストに曲を提供したり、それこそ「N.E.R.D」(※10)というヒップホップ・バンドの一員として活躍しています。また、ウィリアムズは日本におけるストリート・ファッションの火付け役となったNIGO®(※11)とも親交が深いことで知られています。ヒップホップDJとしても活動するNIGO®は、子供の頃から『スター・ウォーズ』が大好きだった、正真正銘の“オタク"でもあります。

このように、アメリカでも日本でも、90年代後半から2000年代前半にかけて、漫画/アニメというサブカルチャーはどんどんヒップホップ界に影響するようになり、同時にヒップホップやストリート・カルチャー的な要素はどんどん漫画/アニメの中に組み込まれるようになっていきました。

今回は日本において漫画やアニメに“ストリート・カルチャー"のスタイルを取り込み、アニメとヒップホップの親和性を高めたアーティストたちとその作品を取り上げます。


2.松本大洋が描く男の美学

独特なスタイルで、80年代の漫画家たちに強い影響を与えたのが大友克洋だったとしたら、90年代の漫画家たちの間で多くの模倣者を生み出したのが松本大洋です。

松本氏が漫画に興味を持つようになったのは、高校生の頃に漫画好きな母に大友克洋の作品を勧められたからです。特に『AKIRA』のたたき台となったとされる『童夢』に衝撃を受けたそうです。和光大学文学部芸術学科に進学してからは、従兄弟の井上三太の影響もあって漫画研究会に所属し、18歳の時に初めて漫画を描きました。87年に処女作の『STRAIGHT』が四季賞に準入選すると、自分が“天才"であると思い込んでいた松本はそれを機に大学を中退し、アルバイトを辞め、88年から講談社のマンガ雑誌『モーニング』で作品を連載し始めました。ところがなかなか人気が出ず、単行本2本で打ち切りとなり、およそ1年ほどの空白期間を経験することとなりました。

その後、小学館から声がかかり、移籍することになります。そこで『ビッグコミックスピリッツ』でボクシングを題材にした『ZERO』(1990年)、野球を題材にした『花男』(1991年)、卓球を題材にした『ピンポン』(1997年)など、スポーツを扱った作品で評価されるようになっていきました。松本氏は小学校から高校までサッカー少年でもあり、スポーツへの関心は、彼の中心的なテーマであり続けてきました。それも凡庸なスポーツ物語ではなく、野球バカな親と息子の関係を描いたり、天才的なボクサーの孤独を浮き彫りにしたり、当時はまだマイナーなスポーツであった卓球(ピンポン)を扱うなど、異色を放った作品は多くのファンを生み出しました。

松本氏の出世作とされるのが『鉄コン筋クリート』(1993年)です。架空の「宝町」を舞台にした本作は、ホームレス同然の暮らしをする2人の子供がヤクザ、殺し屋、町の開発プロジェクトなどの“大人の世界"と立ち向かう物語です。本作は2006年にアニメ映画化され、ベルリン国際映画祭に出品されたり、アメリカではR指定を受けながらもアカデミー長編アニメーション映画賞部門にノミネイトされるなど、海外でも人気を集めました。本作で監督としてデビューをしたマイケル・アリアスは、東京や香港、上海などアジアの代表的な都市から着想を得て「宝町」という舞台設定の生き生きとした“ストリート"を描いたことが特に評価されました。

他にも『ピンポン』が俳優の窪塚洋介主演で2002年に実写映画化され、漫画的な躍動感のある映像と石野卓球やBOOM BOOM SATELLITESの音楽と巧みに組み合わせたことが話題となり、複数の日本アカデミー賞 を受賞しました。更に2014年にはタツノコプロがアニメ版を制作しており、松本氏の漫画の独特の演出を忠実にアニメ化したことが注目を浴びました。

松本氏はどこかストリート・アートやポップ・アートを思わせる独特な作画のスタイルで知られています。白黒のメリハリが効いたイラストが目立つ『鉄コン筋クリート』の作風は、フランク・ミラーなどアメリカのグラフィック・ノヴェルの影響を受けているように見られます。また、構図では魚眼レンズで写したような、空間の広がりを極端に強調した歪んだアングルが多いことでも知られています。こういった画風や世界観は多くのコアなファンを生み出しました。

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3.井上三太と『TOKYO TRIBE』

松本氏の従兄弟であり、同じく90年代のストリート系漫画を代表するのが井上三太です。井上氏はフランスで生まれ、9歳までパリで育ちました。時々、日本に帰る中で、漫画に魅了され、漫画家を目指したいと思うようになりました。子供の頃の井上氏の日本語は片言だったようで、松本氏によくからかわれていたようですが、2人は10代後半くらいから仲良くなり、漫画家を目指す中でお互いを刺激し合う良きライヴァルとなっていきました。

子供の頃に日本で味わったこういった“アウトサイダー"の気持ちは、後に彼の作品に大きな影響を与えたと思われます。「いじめられっ子の復讐」をテーマにしたサイコホラー漫画の『隣人13号』(1994年)がその1つでしょう。本作は連載中に掲載誌が休刊となりましたが、井上氏が自らウェブ上で連載を続けていく中で人気を集め、代表作となっていきました。2005年には小栗旬と(『ピンポン』にも“悪役"として出演している)中村獅童のダブル出演による実写映画が製作され、現在ではハリウッドでリメイクが計画されていると言われています。

井上氏の代表作であり、ライフワークとも言えるのが『TOKYO TRIBE』シリーズです。漫画雑誌に連載された作品ではなく、描き下ろしである本作は、架空の街「トーキョー」を舞台に「シヴヤSARU」や「シンヂュクHANDS」といったストリート・ギャング(※38)の抗争や犯罪、若者たちの愛と友情を“派手"に描いたものです。(因みに井上氏が90年代前半から交流があり、影響も受けているNIGO®が展開するファッション・ブランドは“サル"つながりで「A BATHING APE」です。)続編『TOKYO TRIBE 2』は漫画雑誌ではなくファッション誌の『boon』に1997年から連載されました。より多くのヒップホップやR&Bの小ネタを作品中に散りばめられていることや、吉祥寺や杉並区の実際の街並みが描写されていることが注目されました。この続編は制作会社マッドハウスによって連続テレヴィ・アニメ化され、過激な暴力シーンは欧米でもネット上で話題を呼びました。

2014年に園子温監督によって『TOKYO TRIBE』の実写映画も製作されました。世界初の“ラップ・ミュージカル"として公開された本作は、新宿のロボット・レストラン(※44)や香港にかつて存在したスラム街「九龍城砦」をイメージしたゲイム・センター「ウェアハウス川崎店 電脳九龍城」(2019年末に閉館)を撮影ロケとしており、東京のナイトライフの怪しい魅力が詰め込まれた内容は、特に外国人にオススメです。一方でラップに関しては、映画作品としてこだわり過ぎたのか、頑張りすぎている感じが伝わってきて、少しイタい感じがするのも否めません。

井上氏は、漫画家以外の様々な活動でも知られています。CDジャケットのアートワークを手がけたり、音楽制作やDJとしても活動しており、ブラック・ミュージック(特にニュー・ジャック・スウィング)に対する愛が溢れ出すコンプレイション・アルバムも何枚もリリースしています。他にもストリート・ウェア・ブランド「SANTASTIC!」をプロデュースし、2002年から2017年まで渋谷に旗艦店を営業していました。井上氏は2017年から拠点をL.A.に移し、「アメリカにリアルな渋谷を伝えたい」という気持ちで活動をしているようです。漫画家一筋ではなく、こういった活動を通してある種の“三太ブランド"を作り出している様子は、正にアメリカのヒップホップ・アーティストたちに習ったテクニックと言えるのではないでしょうか。

オススメの井上三太関連の作品


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. 海外で人気を博したその他の“ストリート系"アニメ作品

他にもアメリカを中心に海外で90年代から2000年代に人気を集め、ヒップホップやストリート・カルチャーとも親和性の高いアニメをいくつか紹介します。

いろんなジャンルの要素が“ミックス"されるアニメの先駆けといえば、渡辺信一郎が監督を務めた『カウボーイ・ビバップ』(1998年)でしょう。SF、ウェスターン、ノワールなどのスタイルを融合させ、音楽には主にジャズが起用されている本作は、多くの欧米人にとってアニメへの入口となった作品です。



渡辺氏のもうひとつの代表作『サムライチャンプルー』(2004年)は、サムライ・カルチャーとヒップホップを正に“チャンプルー"(混ぜこぜ)したものです。江戸時代という舞台設定にも関わらず、作中には野球の試合やヒップホップ・シンガー、ブレイクダンス、グラフィティ・アートなどのストリート・カルチャーが多く登場し、音楽にはヒップホップの曲が多く使われています。

岡崎能士の自費出版によって1998年に出版された漫画『アフロサムライ』も特筆すべき作品でしょう。作者が大好きな時代劇とヒップ・ホップとソウルを融合させた内容は、いってみれば、アメリカ人が勝手にイメージする“歪んだ日本観"を敢えて描いた作品です。漫画自体の評価はイマイチですが、2007年に制作されたアニメ版は、声優に俳優のサミュエル・L・ジャクソンを迎え、音楽はウータン・クランのリーダーRZAが手がけ、海外でもヒットとなりました。続編として製作された『アフロサムライ:レザレクション』の美術監督を務めた池田繁美は、エミー賞にてアニメーション個人部門審査員賞を受賞するという、異例の大ヒットとなりました。



他にも、1996年にリリースされたプレーステーション用のヴィデオ・ゲイム『パラッパラッパー』もアメリカで大ヒットした作品です。本作はアニメ・テイストのグラフィックにラップを題材にしたゲイムで、後の『太鼓の達人』や『ギター・ヒーロー』などのリズムゲイムの先駆けの1つとなりました。


5.エピローグ

ところで、なぜアニメとストリート・カルチャーは相性がいいのでしょうか。

最大の理由は、両方とも“サブカル" であるということでしょう。今でこそヒップホップの影響はアメリカの“売れ線"の音楽やK-POPなどあらゆるポップ・ミュージックに見られるようになりましたが、90年代においてはまだまだメインストリームに対する“オルタナティヴな音楽"でした。ストリート・ファッションもスケイトボーダーやサーファー、グラフィティ・アーティストやヒップホップ・ミュージシャンの間で生まれたサブカルチャーです。

また、サブカルチャーにもつながることですが、アニメもストリート・カルチャーも社会からはみ出したアウトサイダー的なものであります。冒頭で触れたカニエ・ウエストやファレル・ウィリアムズも正に異端児ですし、このコラムで見てきたように、松本大洋も井上三太も2人ともある種のコンンプレックスを抱えながら生きてきた人物です。松本氏は自分のことを“天才"だと思い込んでいたところ、実際にデビューしてプロとして活動するようになると周りとのギャップに気づかされました。その影響で『鉄コン筋クリート』であれ『ピンポン』であれ、彼の作品には必ず「天才と努力派」「喧嘩好きと弱虫」が登場します。一方で井上氏は幼少期をフランスで過ごした後に日本に移住しており、周りにからかわれたり、いじめられたりしたことが容易に想像できます。

そしてもう1つ、ヒップホップ/ラップ・カルチャーはどんどん“ゲイム化"してきたこともポイントといえるでしょう。そもそもブレイクダンスがニューヨークを拠点に70年代~80年代に発達したのも、ギャング抗争が繰り広げられる中、銃撃戦の代わりにダンスでバトルをしようという発想からきています。いわゆるラップ・バトルも、暴力の代わりに言葉とライムで相手をボロボロに打ち負かそうという“ゲイム"です。様々なヒップホップ・アーティストがお互いに対する挑戦状として発表するアルバムは、アニメやヴィデオ・ゲイムで言う所の“必殺技"と言えるのではないでしょうか。ダンサーやラッパーがバトルをする度にレヴェル・アップして、成り上がっていくという物語は“ゲイム"以外の何物でもないです。

こういった経緯で、日本のストリート・カルチャー(主にファッション)は一部のヒップホップ・アーティストに受け入れられ、アニメはアメリカで知られる日本のポップ・カルチャーの中では“メジャー"なものとなりました。一方で、日本のヒップホップはといえば、アメリカにおいてはマイナー中のマイナーで、世界的に見てもいってみればその座をK-POPに奪われています。それに追い打ちをかけるように、新型コロナウイルスで世界中で自粛ムードが長引く中、渋谷のヒップホップ・シーンの1つのハブとして機能してきたVUENOSなどのクラブの閉店が先日、発表されました。渋谷で再開発が目まくるしいペースで進められ、街が変貌し続ける中、こういったサブカルチャーがまた繁盛する日が来るのか、あるいはどんどん内向きになっていくのが、注目されています。

80~90年代の東京のヒップホップ・シーンを牽引してきた渋谷のマンハッタン・レコードの正面に、ゼロ年代のサブカル/オタクの象徴ともいえる「アメーバ」がどでかいビルを建てたのが、とても印象的です。


CINEMA & THEATRE #046

男臭い“ストリート系”の漫画のスタイルを確立した松本大洋と井上三太 – 世界的に評価されている日本人のアニメイション制作者(8)


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