メイン・コンテンツ
検索フォーム
映画の黎明期と“ハリウッド"が誕生するまで (後編)
  – 世界の映画史 (1) – D・W・グリフィス/F・W・ムルナウ/バスターキートン/フリッツ・ラング/チャーリー・チャップリン | CINEMA & THEATRE #051
Photo: ©RendezVous
2023/10/23 #051

映画の黎明期と“ハリウッド"が誕生するまで (後編)
– 世界の映画史 (1) – D・W・グリフィス/F・W・ムルナウ/バスターキートン/フリッツ・ラング/チャーリー・チャップリン

columnist image
Mickey K.
風景写真家(公益社団法人・日本写真家協会所属)

目次


5.代表的なサイレント映画

一般的にサイレント映画の時代は、映写機が発明された1894年ごろから映像と音声が同期されるようになった“トーキー"への移行が始まった1920年代後半までとされます。30年代に入ってからはトーキーが映画の主流となりましたが、サイレント映画への執着も強く、一部で映画会社で従来のタイプの映画の製作も続けられていました。ここでは、サイレント映画の時代の代表作を紹介したいと思います。主にアメリカ製の作品ですが、それ以外の国々の作品の中からもいくつかの歴史的作品を取り上げていきます。

『月世界旅行』(1902年/フランス) 監督:ジョルジュ・メリエス

ジュール・ヴェルヌの『月世界旅行』を原作として月面着陸を面白おかしく描いた『月世界旅行』は、SF映画の始まりだけなく、劇映画そのものの最初の傑作とされます。ワンショット/ワンシーンからなる数分程度の映画が主流であった時代において、30のシーンで構成された14分の本作は画期的なものでした。メリエスは多くのトリック撮影の技法を用いており、その後の多くの映画監督がそのSFX(特殊効果)を真似ることとなりました。

『大列車強盗』 (1903年/アメリカ) 監督:エドウィン・S・ポーター

トーマス・エディソンのエディソン社が製作した12分の本作は、ウェスタン映画の元祖とも称されています。アメリカ映画では初めて本格的なプロットを持った作品とされ、屋外のロケイションでの撮影、“パニング・ショット"などのカメラワークも話題となりました。強盗のリーダーがカメラに向かって銃を撃ち込むエンディングのバスト・ショットは、007のあの有名なオープニングに影響を与えたのではないかと推測する映画評論家もいます。

『國民の創生』 (1915年/アメリカ) 監督:D・W・グリフィス

1914年ごろにバイオグラフ社が長編映画の商業性に疑問を抱くようになり、消極的になると、D・W・グリフィスは同社から独立し、自身の映画ストゥディオを立ち上げました。1915年に発表した『國民の創生』は興行的にも大成功し、サイレント映画時代の最も重要な作品の1つとされています。同時に、KKKを白人中心の社会秩序を守るヒーローとして描き、白人俳優が顔を黒く塗って黒人を愚か者として演じた差別的な描写は当時から物議を醸し、上映禁止運動も起こるほどでした。クロース・アップやフェード・アウトといったカメラのテクニック、何百人ものエキストラによって撮影された大掛かりな戦闘シーン、オーケストラで生演奏されることを前提としたオリジナルのスコア(楽譜)など、本作はその後の映画表現に計り知れない影響を与えたとされます。しかし描かれている内容は、KKKを始めとする白人至上主義者を正当化した内容となっており、黒人は暴力的で野蛮な人種であるというステレオタイプをアメリカ国民の間に植えつけたとされています。そのため、現在のアメリカ社会を揺るがしているBlack Lives Matter運動にも直結する、アメリカ映画史の最大の問題作でもあります。今回の事態を打開するためにも、こういった作品の存在を再考する必要があるのではないでしょうか。

『奇傑ゾロ』 (1920年/アメリカ) 監督:フレッド・ニブロ

サイレント映画時代を代表する俳優のダグラス・フェアバンクスが主役を演じる本作は、アクション・アドベンチャー映画の元祖とされます。フェアバンクスはそれまではコメディ俳優として知られていましたが、本作を機に剣戟俳優のイメージが強まることとなりました。大富豪の息子でぐうたらな性格のドン・ディエゴが、紳士的で力強い仮面の剣士ゾロとして悪党と戦うストーリーは、アメコミを原作とした現代のスーパーヒーロー映画の原点の1つといえます。

『吸血鬼ノスフェラトゥ』 (1922年/ドイツ) 監督:F・W・ムルナウ

『吸血鬼ノスフェラトゥ』はヴァンパイアをテーマにしたホラー映画の元祖とされています。ドイツの表現主義映画を代表する監督であるムルナウは、当初ブラム・ストーカーの小説『吸血鬼ドラキュラ』を原作に映画を製作する予定でしたが、ストーカーの未亡人から映像化の権利を得られず、登場人物の名称やストーリーの筋を微妙に変えて製作しました。それでもストーカーの未亡人は著作権侵害をドイツの裁判所に訴え、配給停止の判決が下されると本作のネガとプリントを全て破棄することが命じられました。しかしその時点で、本作のプリントは既に世界各地に配給されていたため、フィルムは残ることとなり、カルト的な人気を誇るようになりました。

『戦艦ポチョムキン』(1925年/ソビエト連邦) 監督:セルゲイ・エイゼンシュテイン

1905年に起きたロシアの戦艦ポチョムキンの反乱を描いた本作は、ロシア第一革命の20周年を記念するために製作された歴史映画です。本作で最も知られる「オデッサの階段」という約6分間のシーンでは、ロシア皇帝の軍隊が港湾都市のオデッサの市民を虐殺する様子が描かれていますが、これは史実とは異なる描写だそうです。それでもこのシーンが多くの観客に衝撃を与え、後の映画表現に大きな影響を与えました。その裏には監督が用いた“モンタージュ理論"という編集方法があります。監督は階段の全体像、逃げる市民、進行する兵隊、殺される市民などを捉えたカットをリズム良く交互につなぎ合わせることで、観客に感情移入させ、シーンの緊張感と恐怖を強調することに成功しています。

『キートンの大列車追跡』 (1926年/アメリカ) 監督:クライド・ブラックマン、バスター・キートン

アメリカの南北戦争を背景に、北軍のスパイ一行が「The General」(「将軍」号)という機関車を乗っ取り、南部の大動脈であった線路を麻痺させようとした実話に基づいた作品です。無表情で体を張ったコメディで知られる喜劇俳優のバスター・キートンは、南部軍を悪役として描くのでは、観客に受け入れられないと思い、物語を南部側の視点から描き、コメディとラヴ・ストーリーの要素を取り入れた脚本にしました。大掛かりな演出で製作費は膨大に膨らみ、クライマックスの列車の大破シーンはサイレント映画史で最もお金のかかったショットといわれています。作品は映画評論家に酷評を受け、興行収入もいまいちでしたが、後に再評価され、現在ではサイレント映画の傑作とされています。

『つばさ』(1927年/アメリカ) 監督:ウィリアム・A・ウェルマン

第一次世界大戦を舞台とした無声の戦争映画です。第一次世界大戦において航空機が大活躍をしたことをきっかけに国民の間で航空に対する興味が高まります。1920年代中頃から本作のような航空機を扱った映画人気を集めるようになりました。戦時中に空軍で活躍した経歴を持っていた監督は、空中シーンに迫力を持たせるために様々な工夫を凝らし、その映像は今観ても刺激的なものとなっています。結果的に作品は記録的な興行成績を挙げることとなりました。1929年に開催された第1回アカデミー賞において、本作は初の(そしてサイレント映画としては唯一の)最優秀作品賞と技術効果賞を受賞しました。

『サンライズ』(1927年/アメリカ) 監督:F・W・ムルナウ

ドイツ出身のムルナウのハリウッドでのデビュー作となった本作は、サイレント映画時代の後期を代表するロマンチック・ドラマです。興行的にはヒットとならなかったものの、おとぎ話を彷彿とさせるセット、光と影を使った映像、トラッキング・ショットによるカメラワークは評論家から高く評価されました。本作は第1回アカデミー賞において、芸術作品賞と撮影賞などを受賞しました。“芸術作品賞"(Unique and Artistic Picture)は、当初“作品賞"(当時はOutstanding Picture、現在ではBest Picture)と同等の主要部門とされていましたが、第2回からは一本化されることとなりました。

『メトロポリス』 (1927年/ドイツ) 監督:フリッツ・ラング

ジョルジュ・メリエスの『月世界旅行』が短編SF映画の元祖だとしたら、『メトロポリス』は長編SF大作の最初の傑作といえるでしょう。オーストリアで生まれ、ドイツで活動していた監督のフリッツ・ラングは、様々な特殊撮影のテクニックを生み出し、その後のSF作品に多大な影響を与えました。ディストピア的な未来都市を舞台とした本作は、高層ビルの上層階に暮らす知識指導者階級と地下で過酷な環境の中で生きる労働者階級の仲介を図ろうとする主人公の女性の葛藤を描いています。言い換えると当時の資本主義と共産主義の対立を描いた作品といえますが、「脳と手の媒介者は、心でなくてはならない」というナイーヴなメッセージは当初から批判を受けました。一方、技術は人間を豊かにするのではなく、むしろ不幸にするという警告は、公開当時は人々の心には響かなかったようですが、今となっては痛いほど現実味があります。悪役が主人公にそっくりのアンドロイドを作り、労働者階級の運動を内部から崩壊させようとする作戦は、現在における“ディープフェイク"を用いた虚偽報道や悪意のあるでっち上げを予言しているのではないでしょうか。

『裁かるるジャンヌ』 (1928年/フランス) 監督:カール・テオドア・ドライヤー

本作はジャンヌ・ダルクの異端審問裁判の様子とその後の火刑までを描いたフランス製の白黒サイレント映画です。ジャンヌを英雄として美化するのではなく、実際の裁判記録や尋問調書を基に1人の人間として描かれているところが特徴です。それを映像として表現するために、女優のルネ・ファルコネッティはノー・メイクで主人公を演じ、監督のドライヤーは彼女の顔の極端なクロースアップを多用しています。また、ドライヤーは当初は本作を“トーキー"にしたいと考えていたそうですが、当時のヨーロッパ映画界は撮影ストゥディオ設備を整える負担を避けようとしていたため、サイレント映画として製作することとなりました。その余韻として、会話字幕も多用されています。

『街の灯』 (1931年/アメリカ) 監督:チャーリー・チャップリン

ハリウッドの黎明期の最大のスターともいえるチャーリー・チャップリンは、1910年代半ばから“The Little Tramp"(小さな浮浪者)という役柄で『キッド』(1921年)や『黄金狂時代』(1925年)など数々の喜劇映画で世界中の観客を魅了しました。山高帽にちょび髭が特徴で、心優しい性格でありながら権力者に対しては反骨精神を見せる“浮浪者"は、サイレント映画の最も象徴的なキャラクターとなりました。チャップリンの最高傑作とされる『街の灯』は、“浮浪者"が街角で出会った盲目の花売り娘に一目惚れをしてしまうというロマンティック・コメディ映画です。当時は“トーキー"が主流になりつつありましたが、チャップリンは頑なにサイレント映画にこだわりました。“浮浪者"はサイレント映画のアイコンであるからだけではなく、主人公はアメリカ人というキャラ設定にも関わらず、チャップリン本人は英国訛りが強かったこともサイレントにこだわった理由といわれています。


6.エピローグ

サイレント映画の代表作は古典映画としてとても重宝され、現在でも様々な研究が続けられています。しかし、名作とされた一部の作品も含むサイレント映画の大半は、故意に破棄されたり、もしくは火事などの事故により失われています。音声が同期された“トーキー"が主流となると、サイレント映画は文化的・経済的な価値の低いものとみなされるようになり、映画会社は倉庫の空きを確保するために大量に破棄しました。 また、当時記録用に使われていたニトロセルロースでできたフィルムは、引火性がとても高く、保管環境が悪いと自然発火することもあったのです。

現在も、研究者の手によって失われていると思われるサイレント映画を掘り出す作業が進められています。フィルムが残っている場合でも一部が失われているケースが多くあります。行方不明となっていたコピーが新たに見つかると、その映像は最新のデジタル技術によって修復され、再編集された形で再リリースされることが多くなってきました。例えば、2008年に『メトロポリス』のオリジナル・カットのネガがアルゼンチンの映画美術館で発掘されました。そこにはそれまで失われていたと思われていた25分にも及ぶ映像が含まれていました。2010年に“完全版"としてハリウッドのグローマンズ・チャイニーズ・シアターでプレミアが開催され、DVDとブルーレイもリリースされました。

2018年には、黒人の男女のキスを収録した最古と思われる映像が発掘され、話題となりました。白人が顔を黒塗りして黒人を差別的に表現することが普通だった時代の作品の中で、笑顔でナチュラルに振る舞う2人の様子を捉えた29秒の映像は、とても重要な記録であると映画学者たちに称されています。

こういった発掘・修復作業の他、ハリウッドにはサイレント映画時代に対するノスタルジアというものが長きに渡って存在し、1つのテーマとされてきました。例えばパロディ映画の旗手とされるメル・ブルックスは、70年代のハリウッドを舞台にサイレント映画を製作しようとするプロデューサーの葛藤を描いた『メル・ブルックスのサイレント・ムービー』(1976年)でハリウッドそのものを笑いのネタにしています。同じ1976年にアメリカン・ニュー・シネマを代表するピーター・ボグダノヴィッチ監督は、“エディソン・トラスト"がアメリカの映画業界を牛耳ろうとしていた1910年代を舞台にしたコメディ映画『ニッケルオデオン』をリリースしました。俳優のロバート・ダウニーJr.は、1992年の『チャップリン』でチャップリンを見事に演じ、多くの賞にノミネイトされました。

サイレント映画時代への憧れは2000年代以降も続いています。2000年にリリースされた『シャドウ・オブ・ヴァンパイア』は『吸血鬼ノスフェラトゥ』の製作過程を題材にしたホラー映画です。マーティン・スコセッシが2011年に発表した『ヒューゴの不思議な発明』は、ジョルジュ・メリエスに対するオマージュともいうべき、サイレント映画の時代に対する愛が溢れる作品です。同年にリリースされた『アーティスト』は、サイレント映画の時代が終わる頃のヴェテラン男優と若手女優の関係を描いたサイレント映画です。本作はアカデミー賞で「作品賞」「監督賞」「主演男優賞」など5部門を受賞しました。

ハリウッドがこれ程までにサイレント映画に憧れを抱き続けるのは、その時代の代表作には普遍的な作品が多いからなのではないでしょうか。サイレント映画は基本的に保存状態が悪く、映像が粗いことから、一般的には観るに耐えない、“プリミティヴ"なものというイメージが抱かれています。しかし、このコラムで取り上げた作品から分かるように、映画表現の基本となるテクニックの多くは、サイレント映画時代に生み出されました。そしてハリウッドは今もなお、その時代から新たな発見を掘り起こそうとしているのです。

近年はスマフォが普及し、誰もが動画を自分で録画し編集できるカメラと、それを観るための再生機を手元に持つ時代となりました。最近ではショート・ヴィデオを簡単に撮影・編集して共有できる「TikTok」などのアプリが流行し、世界中の“アマチュア"が動画作品を大量に拡散させています。新型コロナウイルスの感染拡大によって世界各国で外出自粛が続く中、こういったプラットフォームは更なる盛り上がりを見せています。ヴァイラル化している人気動画を見ると、口パク動画、ループや逆再生などの編集方法を用いた動画などが多いことに気づきます。制作している21世紀の若者たちは、今回紹介したサイレント映画やトーキーのことは全く知らないはずなのに、100年前の先人たちと同じようなことを繰り返しているのです。

次回は“トーキー"の時代と、ハリウッドの黄金期について取り上げます。


CINEMA & THEATRE #051

映画の黎明期と“ハリウッド”が誕生するまで (後編) – 世界の映画史 (1)


Page Top