1.1960年代のアメリカとヒッピー・カルチャーの終焉
1960年代が始まった頃、アメリカは希望に満ちていました。1961年には若者や黒人層などのマイノリティーにとっての希望の星だったジョン・F・ケネディが大統領に就任します。人種差別の解消を目的にアフリカ系アメリカ人公民権運動は最盛期に達し、ベトナム反戦運動、反核運動、フェミニズム運動、環境保護運動など、学生デモ活動が盛んになっていました。ボヘミアンなヒッピーを始め、オルタナティブなライフスタイルを追求した様々なサブカルチャーも発生しました。それまでの「常識」に対抗したこれらの文化的な活動を総称して「カウンターカルチャー運動」と呼びます。
ところが、60年代も時代が進むに連れ、カウンターカルチャーが目指していた理想が少しずつ崩壊していくこととなります。それを象徴するのが、JFKの暗殺(1963年)とキング牧師の暗殺(1968年)です。ベトナム戦争が泥沼化する中、デモ運動に幻滅したヒッピーの若者たちの中には、政治運動や現実社会からドロップアウトしたいわゆる“ヒッピー・コミューン"で暮らすようになる者も多くなりました。
そして1969年には、このムーヴメントの終焉の前兆が現れました。「ウッドストック・フェスティバル」や「オルタモント・フリーコンサート」をきっかけに、行きすぎたヒッピーたちの振る舞いに対して保守的な“大人"にアンチ・ヒッピーの傾向が強まりました。
ウッドストック 愛と平和と音楽の3
Music From Original Soundtrack & More: Woodstock
ザ・ローリング・ストーンズ シャイン・ア・ライト
ザ・ローリング・ストーンズ - フォーティー・リックス
時ブームだったサイケデリック・ロックを代表するギタリストのジミ・ヘンドリックス、シンガーのジャニス・ジョップリン、ドアーズのヴォーカリストのジム・モリソンらが、薬物の過剰摂取で70年と71年に相次いで亡くなります。60年代の若者の理想は次第に崩壊し、ロックは、成年を迎えることとなったのです。イーグルスの名曲『ホテル・カリフォルニア』の有名な一節がまさにこのことを表しています:
We haven't had that spirit here since nineteen sixty nine
そのスピリット(=魂)は1969年から置いておりません(=失っている)
また、村上龍の1987年の長編小説『69 sixty nine』もとても興味深いです。1969年の長崎県佐世保市を舞台に、カウンターカルチャー運動に憧れた高校生たちが権力に対して抵抗し、フェスティヴァルの開催を試みます。
1963年に生まれたクエンティン・タランティーノ監督の最新作『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』は、そんな時代のハリウッド(ハリウッドという言葉は、街そのものと映画業界の両方を指します)に敬意を表した“おとぎ話"となっています。また、この作品は同時に、タランティーノ監督個人の記憶を辿った半自伝的な物語でもあり、本人が「最も個人的な作品」として位置付けている作品でもあります。複数の要素が複雑に絡み合っている本作を紐解いていきたいと思います。
2.ハリウッドとシャロン・テート殺人事件
第一次世界大戦後の1920年代から1960年代は「ハリウッドの黄金時代」として知られます。“サイレント映画"が“トーキー映画"に変わり、各大手映画会社ごとに監督・プロデューサー・俳優・脚本家・製作スタッフが結成し、作品を次々と世に送り出して競争しあっていた時代です。大量のお金が映画製作に注ぎ込まれるようになり、人気の映画俳優はアイドル的な人気を博すようになりました。
そんな中、1969年は、「ハリウッドの黄金時代」が終焉を迎えた年とされています。それを象徴する映画が『イージー・ライダー』です。2019年8月6日に他界したピーター・フォンダ、デニス・ホッパーが演じるヒッピー2人がまるで馬に乗ったカウボーイのようにオートバイにまたがり、エスタブリッシュメント(社会の既存体制、支配階級)に対抗する悲劇的ヒーローとして描かれています。こういった映画は「アメリカン・ニューシネマ」と呼ばれるようになりました。
当時の「純真さの喪失」(“loss of innocence")を象徴する事件が、シャロン・テート殺人事件でした。テキサス州生まれのシャロン・テートは美人コンテストにも優勝するような典型的な金髪美人で、映画監督ロマン・ポランスキーと結婚して妊娠しました。しかし、女優として頭角を表し始めたと思われた矢先の8月9日に、一緒にいた友人3人と共に、狂信的なカルト信者らに無残にも殺害されたのです。そのカルト集団とは、落ちこぼれたミュージシャンであったチャールズ・マンソンが指導者として率いていたヒッピー・コミューンの「マンソン・ファミリー」です。
『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』は、ハリウッド史の最大のトラウマの1つとして、現在も語り継がれるシャロン・テート殺人事件を題材にしています。タランティーノ監督はテートを、得意とするカリカチュアやキャラクターとしてではなく、監督の手にさえ負えないような超越した、周囲の人に光をもたらす太陽のような存在として描いています。良い意味で映画の登場人物っぽくなく、フィクションでありながらドキュメンタリーを観ているような錯覚に陥ります。その「生き様」以上に「死に様」で有名になってしまったシャロン・テートの、生き生きとした日常生活を描くことで、監督は自身の記憶だけでなく、ハリウッドのトラウマを塗り替えようとしています。
また、細部にわたる細心の注意を払うことで有名なタランティーノは、CGを使用するのではなく、ヴィンテージ車や当時をイメージした看板や標識などを使用して1969年のL.A.を蘇らせています。本作は「ハリウッドの黄金時代の晩年」への愛情たっぷりのオマージュであると同時に、「ありえないおとぎ話」ではなく、「本当にあったのかもしれない話」を描いた歴史改変映画とも言えるでしょう。
3.俳優と監督として晩年を迎えること
『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』の主役2人は、テレヴィ俳優として“中"くらいの成功を手にしながらも、映画にはうまく移行できなかった俳優と、彼と長年の付き合いのスタント・ダブルです。自分たちが時代に置いてけぼりにされていることを薄々感じながら、この先のキャリアを暗中模索しているコンビです。
レオナルド・デカプリオが演じるリック・ダルトンは、あるテレヴィのウェスタン番組に悪役として出演する際、ヒッピーのようなロン毛のカツラをかぶって欲しいと監督に頼まれます。するとダルトンは『イージー・ライダー』のデニス・ホッパーを彷彿させるような格好で登場します。また、マンソン・ファミリーに出くわすと、泥酔状態のダルトンは驚いて、「このデニス・ホッパー野郎」と暴言を吐きます。最終的にダルトンは、プライドを捨てて、イタリア製作のマカロニ・ウェスタンへ出演することで映画業界に生き残ることを選択します。
ブラッド・ピットが演じるダルトンのスタントマンであるクリフ・ブースは、第二次世界大戦での兵役経験者で、世界的な武道家にも歯が立つような武術を持ったストイックな無敵なキャラです。しかし、押し寄せてくる時代の波には勝てないことを理解しているような、ある種の諦めが漂う人物として描かれています。同時に、ダルトンの陰にひっそり暮らしていて、彼の友情と俳優としての成功に依存している感じも見受けられます。
タランティーノ監督は「10作で映画監督を引退する」ということをこれまで何度も公言してきています。9作目となる本作が、時代の転換期を舞台にしていることと、タランティーノ監督の集大成とも言える内容となっていることは、偶然ではないでしょう。彼が監督を引退後、映画業界及びエンタメ業界から完全に身を引くとは到底思えないですが、「監督」としての使命を貫き、やりたいことをやり切ったという感覚があるのではないでしょうか。
山本常朝が武士の心得を述べた『葉隠』に「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」という言葉があります。自分が思い描く“クール"を惜しみなく追求し続けてきた知日派のタランティーノは、自身の「潮時」を意識しているのでしょう。
4.流動的なものと普遍的なもの
2019年が1969年からちょうど50年であることは、とても興味深いことです。
例えば、1969年当時と同じように、現在映画業界及びエンタメ業界は大きく変化してきています。映画館のスクリーン数や入場者数は低減する一方で、逆に映画並みの予算がNetflixやHuluといったネット系の動画配信サーヴィスによるいわゆる“プレスティージ・ドラマ"(上質なテレヴィ・ドラマ)に注ぎ込まれています。知名度の高い実力派俳優が起用され、今や俳優としてのステータスは映画ではなく、テレヴィ・ドラマに出演することであるとさえ言えます。NetflixやHulu以外にもGoogleやAmazon、ディズニーもストリーミング・サーヴィスに力を入れ始めています。映画のジャンルについて言えば、ハリウッドを中心に、今やアメコミ/スーパーヒーローものの黄金期となっています。
また、スターのあり方も大きく変化してきています。大物俳優1人のネーム・バリューだけで作品をヒットさせられる時代はとっくに終わり、「ハリウッド的な大物俳優」と言う存在そのものが絶滅危惧種となっています。デカプリオやピットのような俳優が最後の大物スターなのでしょう。先日(2019年8月16日)、前述のピーター・フォンダが亡くなったのも、実に感慨深いことです。
現代のスターといえば、いわゆる“ユーチューブ・スター"やSNSの“インフルエンサー"になってきています。現在、エンタメ業界やポップカルチャーそのものが転換期に置かれているのです。
こうしたデジタルな時代の中、フィルムにこだわり続けるタランティーノ監督は映画業界の異端児として知られています。彼の作品には男臭い硬派なバイオレンス・ムーヴィーが多く、その作風は人によっては近寄りがたいものがあるのも事実です。彼には熱狂的なファンがいる一方で、大嫌いな人もいます。
昔話を彷彿させる『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』という題名は(“Once upon a time..."とは、「昔々~」という意味です。)、私たちが映画に求めているものは、斬新さ以上にノスタルジーであることを表しています。だとすると、この作品の教訓は、「ハリウッドの大物スターや有名な監督であっても、時代の変化の波には逆らえない」という悲劇なのではないでしょうか。そして、タランティーノ監督は全米を揺るがした「シャロン・テート殺人事件」のトラウマを直視することで、映画が私たちを癒し、カタルシス(精神の浄化)を起こしてくれる力を持っていることを思い出させてくれるのです。
皮肉なことに、映画界の異端児の最も個人的な作品は、最も普遍的な作品となっているのです。