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映画レヴュー: 『ナイブズ・アウト/名探偵と刃の館の秘密』は英国的な探偵物語とアメリカン・ドリームを融合させた娯楽ミステリー映画
  - 監督: ライアン・ジョンソン/主演: ダニエル・クレイグ、クリス・エヴァンス、アナ・デ・アルマス | CINEMA & THEATRE #063
■提供: バップ、ニューセレクト、ロングライド ■配給: ロングライド
2025/01/06 #063

映画レヴュー: 『ナイブズ・アウト/名探偵と刃の館の秘密』は英国的な探偵物語とアメリカン・ドリームを融合させた娯楽ミステリー映画
- 監督: ライアン・ジョンソン/主演: ダニエル・クレイグ、クリス・エヴァンス、アナ・デ・アルマス

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KAZOO
翻訳家 / 通訳 / TVコメンテイター

目次


1.極上のミステリー映画『ナイブズ・アウト/名探偵と刃の館の秘密』

1月31日から日本全国ロードショーを迎える、ライアン・ジョンソン監督の『ナイブズ・アウト/名探偵と刃の館の秘密』は、極上のミステリー映画であると同時に、現在のアメリカ社会が抱えるテーマの本質に鋭くメスを入れた作品でもあります。

スーパーヒーローものやリメイク版ばかりが溢れる中、ジョンソン監督自身が脚本を手がけた本作は、近年あまり見なくなった100%オリジナルの作品です。超豪華キャストによって、最後まで真相がわからないプロットと、笑いありのストーリー展開は、冬の寒さが最も厳しいこの季節にぴったりなエンタメ映画となっています。

同時に、本作はお金や家族のあり方、社会階級や移民問題など、アメリカ社会が抱える様々な課題を浮き彫りにしたメッセージ性のある映画でもあります。単なるエンタメ映画でないからこそ、本作はアメリカをはじめ海外で大ヒットしているのだと考えています。

このレヴューでは、ミステリー映画というジャンルとは何かということを考えながら、『ナイブズ・アウト名/探偵と刃の館の秘密』
を読み解いて行きたいと思います。


2.アガサ・クリスティと“フーダニット"と呼ばれる英国の探偵物語

そもそも『ナイブズ・アウト/名探偵と刃の館の秘密』のような探偵物語は、英語では、“whodunit"(フーダニット)というジャンルに分類されます。

“whodunit"とは“Who (has) done it?"、または、より文法的に正しい“Who did it?"を省略した口語的な表現で、オーディエンスが「犯人探し」を楽しむストーリー構成が、特徴の探偵物語のことです。1920年代~1930年代に黄金期を迎え、特に英国の作家(特に女流作家)が著名な作品を多く残しています。日本では『本陣殺人事件』など、金田一耕助が登場する横溝正史の作品がこのジャンルに分類されます。


“whodunit"の作家の中でもジョンソン監督の作品が、最も影響を受けているのは、「ミステリーの女王」として知られる、英国のアガサ・クリスティです。クリスティは50年にも及ぶキャリアの中で、60冊以上の推理小説を発表し、その多くが世界的ベストセラーとなりました。その代表作としては『オリエント急行の殺人』『そして誰もいなくなった』などがあります。

こういった作品によってクリスティは、“whodunit"の定番となるスタイルを打ち立てます。殺人が起きた後に、警察に所属しない私立探偵や素人探偵が登場し、捜査に取っ掛かります。被害者の交際範囲にいる個性豊かな知人たちに質問をするうちに、それぞれに動機があると同時に、アリバイもあることに悩まされます。物語の後半には、予期せぬ展開によって事態は大きく進展し、解決へと向かいます。クライマックスには、探偵は関係者全員を集め、犯人を名指し、犯行手段をドラマチックに解き明かします。『ナイブズ・アウト』も正にこの構成をとりながら、ジョンソン監督ならではの“ひねり"が加えられています。

クリスティの作品のもう1つの特徴としては、基本的に英国の上流階級と上位中流階級(アッパー・ミドル)の生活や社交の場を舞台としていることです。そこに登場する人物たちは、階級意識がとても強く、クリスティは、彼らの言動を通して、慣例に従い、礼儀作法を重んじる英国人の社会意識というものを自虐的に描きました。そういった特殊な世界を、シンプルな文体で書いたことが、国境や世代を超えて愛される理由ともなりました。

アメリカの読者の多くは、クリスティの小説を通して初めて英国の社会や上流文化について学ぶこととなりました。その延長線上にあるのが、『ダウントン・アビー』など、近年の英国テレヴィ・ドラマの人気です。また、文体の読みやすさから、クリスティの作品をこれまで英語の学習に生かしてきた人も、日本のみならず世界中にいることでしょう。


3.アメリカにおける「自分の力でのし上がった人」という神話

ジョンソン監督の『ナイブズ・アウト』は、クリスティ流の“whodunit"の舞台を英国からアメリカの“ニュー・イングランド"に移し、物語の中心を英国の上流階級社会ではなく、アメリカの“WASP"の家族に置き換えています。そうすることで、アメリカの上流社会が抱えている軋轢や矛盾にスポットライトを当てています。

一家の長老であるハーラン・スロンビー(クリストファー・プラマー)は、探偵小説の作家としてベストセラーを連発し、一代にして財を築いた、アメリカの典型的な“独立独行の男"です。そのお陰で恵まれた家庭の中で育ったハーランの子供や孫たちは、わがままで身勝手な大人へと成長しています。それぞれ度合いは異なるものの、ほとんど全員が自分の足で立ち上がろうとせず、何かしら父に甘えながら自分たちの既得権益を維持しようと企んでいます。

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Photo Credit: Claire Folger

ハーランの作品を管理する出版社の運営を任されている次男のウォルト(マイケル・シャノン)は、父が書いた作品のことを身勝手に“our books"(我々の作品)と呼ぶ“くせ"があります。義理の娘のジョニー(トニ・コレット)は、インスタグラムの“インフルエンサー"として活躍しながらも、実際にはハーランからもらい続けている“お小遣い"で生計をかろうじて立てています。長女のリンダ(ジェイミー・リー・カーティス)は、周囲に対して自分の不動産会社をゼロから立ち上げたと言いふらしますが、実際には父から100万ドルの融資を受けて事業を立ち上げました。

長女のリンダから連想されるのが、アメリカのドナルド・トランプ大統領でしょう。トランプ大統領は自分のことを“独立独行の男"と主張し続けてきましたが、2016年米大統領選挙中に、事業の立ち上げに際して「父から100万ドルという“少額の"融資を受けていた」ことを明かしています。その後、米「NYタイムズ」紙はその融資金額は実際には6,000万ドルに上るという調査報告を発表しています。

一般的にアメリカという国は、自力でのし上がった人たちの国というイメージがありますが、『ナイブズ・アウト』では、それはほとんどの場合神話に過ぎず、WASPたちが自分たちの富や既得権益を守るために自分に言い聞かせている嘘であるという真相を暗示しています。

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■提供:バップ、ニューセレクト、ロングライド ■配給:ロングライド

長老のハーランの死を受けて、このことは更に明らかになります。お葬式を終えた子孫たちが何より気にしているのが、遺言状であり、一家の莫大な財産がどのように相続されるかなのです。彼らは、先祖の努力と成功の恩恵を受ける権利が自分たちにあると考えているのです。長老が用意してくれたテーブルにいつまでも座り、ナイフとフォークを手にしながら、我も我もと長老が用意したご馳走を与えられるのを待っているだけなのです。正に“ナイブズ・アウト"状態なのです。


4.ニュー・イングランドのWASPの世界を訪れる南部の紳士探偵

アガサ・クリスティの作品では、場違いな探偵の登場によって、英国の階級社会や文化が、徐々に浮き彫りになっていくことも非常に興味深い点です。

その最も有名な2人が、ベルギー人の私立探偵「エルキュール・ポアロ」と老嬢の素人探偵「ミス・マープル」です。ポアロは外国人という立場を生かして英国社会を常に客観的かつ冷笑的に観察していますし、ミス・マープルは、その年齢や女性であることから、ある種の“透明人間"として英国社会を自由に行き来することができるのです。

『ナイブズ・アウト』に登場する私立探偵「ブノワ・ブラン」は、そんなクリスティ流の名探偵(特にポアロ)に対するオマージュと言えます。名前からしていかにもフランス人に思えるブランは、実はコテコテな南部訛りの英語を話す“変わり者"です。(ルイジアナ州をはじめとするアメリカの一部は、16世紀から19世紀初頭までフランスの植民地で、その影響が地名や文化などに根強く残っています。)

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Photo Credit: Claire Folger

卑怯な行いを嫌う南部紳士のブランは、ニュー・イングランドのWASPの世界を訪れ、鋭い質問でスロンビー家の面々の嘘やハッタリを見抜いていきます。一方、ブランを小馬鹿にしたニックネイムを使うことでスロンビー家の人々は、彼を明らかに見下しています。

興味深いことに、ブランを演じるのは、「007」役で知られる英国の俳優ダニエル・クレイグなのです。象徴的な英国紳士が、典型的な南部紳士を見事に演じているその姿は、本作の見どころの1つです。

ブノワ(そして彼を演じるクレイグ)は“部外者"であるからこそ、一見自殺に見えるハーラン・スロンビーの死に疑問を抱き、親族の全員に疑いの目を向けます。彼の濁りのない目を通して、アメリカの上流社会が抱える矛盾が暴かれていきます。


5.移民としてアメリカ社会で生きること

疑いの目が向けられるのは、親族だけではありません。豪邸には家政婦も務めており、ハーランには専属看護師の「マルタ」(アナ・デ・アルマス)がいます。年老いたハーランにとって、何かが欲しい時にしか会いにきてくれない子供や孫たちより、彼女らの方がむしろ身近な存在なのです。

スロンビー家の面々とは対照的に、ヒスパニック系の移民であるマルタは、家族のためならどんな努力も惜しまないタイプです。マルタはゼロからスタートしたからこそ、仕事に一所懸命打ち込みます。ハーランに献身的に尽くすだけでなく、良き友達として相談相手になったり囲碁の対戦相手となります。そんなマルタに対してスロンビー家の人々は「あなたは家族同然だ」と繰り返し伝えます。

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Photo Credit: Claire Folger

このセリフを聞いた瞬間、私の頭の中で赤信号が点滅し始めました。これは、内心では保守的な考えを持っている白人が、自分は進歩的な考え方を持っており、移民に寛容であることを言いふらしたい時用いるような典型的なフレーズだからです。彼らはマルタを本当に家族同然だと思っているのではなく、それが現代の“PC"(ポリティカル・コレクトネス)に基づいているから言っているのに過ぎないのです。

その証拠に、彼らは「家族同然」のマルタの出身地を一向に覚えられず、「グアテマラ」「パラグアイ」「ブラジル」などと、会話ごとにコロコロ変わっていきます。エル・サルバドル出身の父親を持つ私も、アメリカで育つ中で、この手の“microaggression"(自覚なき差別)を幾度となく経験してきました。

彼らはまた、看護師であるマルタに、召使がするように使い終わった皿を下げてもらおうとするなど、何気ない行為を通してその本心を露わにします。いくら勉強して努力をしたとしても、彼らの目からすると、マルタは家事手伝いと変わらないのです。

このようにジョンソン監督は、マルタに対するスロンビー家の接し方に、アメリカ社会の中の移民の生きづらさを凝縮しています。そして不法移民の増加について憂うスロンビー家の会話からは、アメリカの上流階級の人々がいかに自分たちの手から既得権益が奪い取られるのではないかと恐れているかということも伺うことができます。


6.アメリカが直面する険しい現実

“whodunit"の古典的な作品には、「犯人探し」というエンタメの一面があると同時に、「道徳的秩序の提示」という一面もあります。犯罪が起きたことよってコミュニティの秩序は乱れますが、探偵は悪人を捕まえ、事件を解決することで再び秩序をもたらします。こういったモラルに関するメッセージは、当時の時代背景が大きく関係しているのです。

このジャンルが黄金期を迎えた第一次世界大戦と第二次世界大戦の間の時代には、ウォール街株式市場の大暴落によって引き起こされた世界大恐慌が世界を襲いました。同時期にヨーロッパでは、超国家主義やファシズム運動が勢いをつけていきました。混沌としていて、モラルが乱れていた時代において、「善が悪を倒す」というスッキリとした後味を残すこの種の探偵物語は、当時の人々が求めていた“鎮痛剤"だったのです。

世界大恐慌の発信地であり、特に深刻な影響に受けていたアメリカでは、よりニヒルな世界観が広まりました。 “whodunit"に対抗するかのように、より暴力的で反道徳的な内容が特徴のいわゆる「ハードボイルド」という探偵小説のジャンルが発展しました。

ジョンソン監督がこの時代に新たな“whodunit"を世に送り出そうと思ったのも、時代の潮流が少なからず当時と似ているからなのでしょう。私たちは現在、客観的な事実より個人の感情に対する訴えかけが影響力を持つ“post-truth"(ポスト真実)の時代に生きています。何が本当なのか何が嘘なのかが朦朧としており、社会のモラルが低下している中、ジョンソン監督は『ナイブズ・アウト』という作品を通して「嘘は必ず見抜かれる」「善は報われる」という“解毒剤"を私たちに提供しているのです。

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Photo Credit: Claire Folger

ジョンソン監督は、そこから更に一歩踏み込んだメッセージも送っています。スロンビー家に象徴されるように、時代の変化や移民の増加によって、どんどん肩身の狭い思いを強いられているアメリカの白人社会にとっては、受け入れがたい現実が待ち受けていることを、本作は示唆しているのではないでしょうか。その現実とは「白人のマイノリティ化」であり、白人であるがゆえの社会的優位性(“white entitlement")の喪失です。

アメリカ社会にはこの変化はいずれ訪れます。それまでの間は社会の軋轢や衝突はこれまで以上に激化する可能性があると、ジョンソン監督は注意を呼びかけています。窮地に立たされた者は、牙を剥き、あの手この手を使って自分の既得権益を守ろうとするからです。それこそ “ナイブズ・アウト"状態といえるのでしょう。

先日、米ヴァージニア州で「銃所持の権利」を訴えて大規模集会が行われ、日本でもテレヴィなどのニューズでも取り上げられました。その集会指定区域の外では、大勢の人々が拳銃やアサルト・ライフルを抱え、言ってみれば“ガンズ・アウト"の状態で路上に集結しました。中には、「奪ってみろ」と書かれた横断幕を抱える参加者もいました。その様子を見て、アメリカ社会にとって、この先しばらくは険しい道が続くことを確信しました。


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