1.プロローグ:楽屋オチ
この日の加藤さんの“パートナー役"は、ゴリさんとでした。毎年12月1日に開催される#WorldAIDSDay(世界エイス・デー)という、シリアスな内容でした。偶然にもゴリさんが番組に出演される回は、#NeverAgain(銃規制運動)、 #ImplicitBias(潜在的な偏見)、#IndependenceDay(アメリカの独立記念日)、#WhereWereYou(9.11の話題)、#VeteransDay(退役軍人の話題)など、社会派なテーマが多くなっています。
ゴリさんの立場としては、おかしなツイートにツッコミを入れたり、ボケながら英語に関する疑問をぶつけたりすることをしたいはずなのですが、このような難病という重いテーマだと、さすがにふざけることができず、リアクションに困っているようでした。この回の“締めのコメント"を撮る際に、解説の佐々木俊尚さんも僕自身も、なかなかコメントしづらいということに気付きました。
少し遡りますが、9月初旬、ゴリさんがプロデュースする『おきなわ新喜劇』という舞台を新宿の『ルミネtheよしもと』で拝見させていただきました。この出し物は今年で、5回目となり、公演は東京、大阪、那覇、石垣に加え、今年はなんとハワイでの公演も決定していました。劇のテーマも、沖縄の地元ネタだけではなく、ハワイの移民についてや、今の世の中の現状を反映したことも含まれていました。出演者にハーフやクォーターがいたり、キャラ設定にトランスジェンダーが組み込まれているなど、『世界へ発信!SNS英語術』の“裏"テーマでもある“ダイヴァシティ"や“インクルージョン"の影響が見られました。実際に後日ゴリさんから話を聞いたところ、番組の影響も大きかったとのこと。
ゴリさんは映画監督としても活動をされていて、来年2月から全国公開される最新作の『洗骨』では、東アジアや沖縄の離島の一部では今でも行われている、一度土葬にした死者を数年後に再び遺骸を取り出し、洗い清めて再び埋葬するという風習をテーマにしています。
そんなゴリさんは、アメリカ同時多発テロ事件を振り返った#WhereWereYouや、アメリカの退役軍人が抱える問題を紹介した#VeteransDayなど、番組で取り上げた社会派のテーマをどのように受け止めたのかが気になります。もう少し、親しくなったら、そうした“深い話"もしてみたいと思います。毎回毎回のテーマを自分なりに咀嚼してその後に生かしているゴリさんは、さすがだと思います。
2.リボンを着けたり、リツイートすることは、第一歩でしかない(偽善でしかない?)
この回では出演者全員が、HIV患者に対する理解と支援を意味する赤いリボンを身につけました。番組の中でも紹介しましたが、このリボンは “awareness ribbon"と言い、この問題に対する一般的な認知度や正しい理解を高めることを目的としています。実際に感染者の数が年々減少していることを考えると、ある一定の成果を上げているようにも見えます。
番組では、以前にSNS時代の社会運動の例として、筋萎縮性側索硬化症 (ALS) の研究への支援を呼びかけるために行われた“アイス・バケツ・チャレンジ"についても取り上げました。この運動は、SNSを通じて広く拡散され、115,000,000ドル(約130億円)の寄付金を集めたとされます。
しかし、これらの運動は、認識を広めることを主たる目的としているため、一時的には大きな話題を呼び、“成功"したかのように見えるものの、病気を抱えている患者からすると、具体的な成果には繋がっていないとする批判的な声が多いのも事実です。患者や家族たちは、このような運動は、実際に当事者のためになっておらず、自分がいい気分になれるから参加しているに過ぎないというのです。
そのため、近年では、このような運動のことを “activism"(社会運動)と“slack"(怠け)を合わせた“slacktivism"(スラクティヴィズム)とか、“activism"と“click"(クリック)を合わせた“clicktivism"(クリティヴィズム)とか呼ぶようになっています。また、こうした運動に参加する人のことを“slacktivist"、あるいは、パソコンの前でアームチェアに座って過激な表明はするものの、自ら立ち上がる気はないという意味で軽蔑的に“armchair activist"と呼ぶようになりました。こうした言葉は、リボンを着けたり、“いいね"をクリックしたり、リツイートしたり、インターネット上の嘆願に署名するなど、一瞬でできる行動はとるものの、自分にとって都合の良い範囲内でしか行動を起こさないことを批判しているのです。
SNSの普及によって様々な社会問題や社会運動の認識は、瞬く間に世界中に広まるようになり、そういった運動に参加する(もしくは参加している気になる)ことはかつてないほど簡単になりました。しかし、実際に世の中を変えることはたやすいことではなく、時間や努力、そして何かを犠牲にすることを要します。一方、皮肉なことに、悪い噂を広めたり、ある人物を引き摺り下ろすことは、いとも簡単な行為なので、実際に毎日、世界中のインターネットという“戦場"で行われています。建設的な批判を受け入れたり、世の中に良い変化をもたらすことは、インターネットの普及によって、むしろ以前より難しくなったのではないでしょうか。
●AIDSをテーマにした映画
3.この日の衣裳について
「KASHIYAMA the Smart Tailor」の黒いヴェスト
秋冬の衣装として、ジャケットとヴェストの様々な組み合わせに挑戦したかったので、黒いダブル・ブレストのスーツをオーダーする際に、同じ生地でヴェストも作ってもらいました。(ダブル・ブレストのジャケットは、基本的にボタンをずっと締めて着るものなので、ダブル・ブレストのジャケットの下にヴェストを着て“スリーピース・スーツ"にすることはありません。)
僕は長身であるので、上半身をスマートに見せるために4つボタンや5つボタンではなく、6つボタンでオーダーしました。(一番下のボタンは装飾用のため、かけません。)フィット感は、今風のスタイルで、ちょっとスリムになっています。
「高島屋」のオレンジのクレリック・シャツ
生地はフランスの老舗生地メイカー「ランバン」のものです。世界中のセレブに愛されているブランドだけあって、他社の生地にはない滑らかな肌触りと豪華な発色があります。
かなり明るめのオレンジ色なので、日常生活やビジネスで着るには違和感があるかもしれないのですが、番組上の“異空間"では、少し派手めの色の方がその場に合うことを学んだので、この色を選んでみました。
番組のスタッフにも、このシャツは評判が良く、シャツの色に負けないくらい顔が火照ってしまいました。照明器具のせいもあったかもしれませんが、いつも以上にスタジオの温度が高く感じました。
「グローバルスタイル」の茶色のスーツのジャケット
生地はイタリアを代表するメイカーのであり、「アルマーニ」や「ラルフローレン」といったブランドにも生地を提供している、「カノニコ」のウールです。
生地はコスト・パフォーマンスがとても高く、手触りは柔らかく、独特の発色の良さがあります。
ジャケットは3つボタンの段返り、チェンジ・ポケット付きで作り、ヴェストはシングルの「6つボタン5つ掛け」というデザインにしました。
裏地も茶色なのですが、少し玉虫色のついたもので、とても気に入っています。
「グローバルスタイル」のカーキ色のスーツのズボン
「グローバル・スタイル」スーツを作るのは3回目でしたが、今までのローエスト・プライスのものではなく、イタリアの毛織物産地ビエッラを代表するメイカー「ドラゴ社」のウールを思い切って選びました。一流品の生地はしなやかで艶がしっかりとあり、独特な風合いがあります。
ジャケットは、これまで作ったものの中で一番お気に入りのスタイルである、3つボタンの段返り、チェンジ・ポケット付きで作りました。
「タビオ」のオレンジのソックス
「パラブーツ」のダブル・モンク・シューズ『ポー』
「ゾフ」の黒いメガネ
4.エピローグ:アームチェアが象徴するもの
“armchair"という表現は様々な場面で使われます。例えば、心理学の専門知識がないのに、まるでカウンセラーかのように精神病や感情についてアドバイスをすることを“armchair psychology"と言います。同じように、専門知識がないのに哲学を説いたりインテリぶる人のことを“armchair philosopher"と言います。つまり“armchair"には「横着」というニュアンスに加えて、「自分は苦労しない、守られている環境にいながら」「なんちゃって」「素人」という意味合いが含まれます。必ずしも、ネガティヴな意味だけで使われるわけではないのですが、ほとんどの場合、褒め言葉ではないことは確実だと言って良いでしょう。
“armchair"はアメリカ人の男性にとって、とても象徴的なアイテムです。テレヴィ・ドラマなどでも、よく観られるように、アメリカ人の家族のリヴィング・ルームには大体、ソファに加えてアームチェアが置いてあります。そのアームチェアには、一家の主以外の人が座ることは、基本的に許されません。仮に部外者が勝手にそこに座ったとしたら、その家の主に対して挑戦状を突きつけていることと同じことになります。もし主がそうした行為を許したとしたら、それは相当機嫌が良いのか、相手に対する敬意の表れか、その人の機嫌を取ろうとしているかのいずれかです。このアームチェアのことを“throne"(王座)と呼ぶ人がいるくらいこの椅子は大切な存在なのです。
アメリカの男性の理想的な週末の過ごし方といえば、その“王座"に座って1日中スポーツを観戦することです。なるべく立ち上がる必要性をなくすために、アームチェアのアームレストの下に、アイス・クーラーやミニ冷蔵庫が搭載されているモデルも存在するくらいです。僕が子供の頃は、高校時代からの友達をソファに座らせ、缶ビールを振舞い、奥さんにナチョスやバッファロー・ウィングを出させて、テレヴィで流れる試合に対して声援を送ったり、怒鳴りつけたりして、自らの“王国"であるリヴィング・ルームを支配する光景をアメリカの家庭ではよく見かけたものです。(現在は、こうした暴君は失脚しました。)
現在ではアームチェアは、テレヴィの前からパソコンの前へと移ることで、そのあり方は変わってきています。インターネットの普及によって、自分の“王国"がありとあらゆる分野やヴァーチャルな空間までへと及ぶかのように勘違いする人が、多くなっているように思えます。なんて恐ろしいことでしょう。