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ヨーロッパが生み出した感情的な“エピック・トランス"
  - エレクトロニック・ダンス・ミュージック入門 (9)
  - ティエスト/フェリー・コーステン/ポール・ヴァン・ダイク/アーミン・ヴァン・ビューレン | MUSIC & PARTIES #035
Photo: ©RendezVous
2023/11/13 #035

ヨーロッパが生み出した感情的な“エピック・トランス"
- エレクトロニック・ダンス・ミュージック入門 (9)
- ティエスト/フェリー・コーステン/ポール・ヴァン・ダイク/アーミン・ヴァン・ビューレン

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Mickey K.
風景写真家(公益社団法人・日本写真家協会所属)

目次


1.プロローグ

これまでこのシリーズでディスコ、ハウス、テクノ、プログレッシヴ・ハウスなど様々なエレクトロニック・ダンス・ミュージックを取り上げてきました。“EDM"という音楽ジャンルが2010年代にメインストリームでブレイクするまで、“エレクトロニック・ダンス・ミュージック"は概してアンダーグラウンドなものでありましたが、それぞれのシーンには根強いフォロワーが国際的なコミュニティーを形成していました。90年代半ばから2000年代の間、世界で最も人気があり、商業的にも成功したのが、“トランス・ミュージック"というジャンルです。アメリカは例外として、大陸ヨーロッパ、英国、アジアではこのスタイルの音楽が幅広く認識され、多くの“レイヴ"という形式のイヴェントが開催されました。

トランス・ミュージックとはどのような音楽のことなのでしょうか。簡単にいうと、(四つ打ちと呼ばれる)反復されるリズムと美しいメロディーによって脳内の感覚を幻覚や催眠とよく似た“トランス状態"にさせる音楽のことです。それまでのハウス・ミュージックやテクノは“体で感じる音楽"であり、踊ることによって高揚感や多幸感が生み出されるのに対して、トランスは直に“脳で感じる音楽"です。感情が音楽と薬物によって刺激されることで高揚感や多幸感が生み出されるのです。また、トランスはドラッグ・カルチャーとも切っても切れない関係であることも事実です。60年代後半のサイケデリック・ミュージックがLSDを使用した時の気持ち良さを表現した音楽であったように、トランス・ミュージックはエクスタシー(MDMA)という幻覚剤を使用した時に気持ちよく感じるための音楽なのです。若者たちはこういった“トリップ"感覚を“レイヴ"という非日常的な空間で楽しみました。

トランスというジャンルには大きく分けて2つの大きな系譜があります。ヨーロッパから生まれ、クラシック音楽の影響が強い “エピック・トランス"と、インドから生まれ、インドの民族音楽の影響が強い“サイケデリック・トランス“です。この2つはおよそ同時期の80年代後半に発達します。2つの流れ以外にも細かいサブジャンルが数多く存在するのもトランスの特徴といえます。90年代に入り、英国のポール・オーケンフォールドらのDJの活動によってこれらのジャンルは世界的に普及し、また、相互的に影響し合いました。その影響は日本にも及び、独自のトランス・シーンとレイヴ・シーンが作り上げられました。

今回から3回に渡ってトランス・ミュージックとレイヴ・カルチャーを取り上げます。まず、今回のコラムで、ヨーロッパ発の“エピック・トランス"について言及します。


2.トランスの黎明期

MUSIC & PARTIES #033では、90年代後半ジャーマン・テクノのパイオニアとしてスヴェン・ヴァスを取り上げましたが、90年代の前半には “トランス"に近いサウンドの音楽も制作していました。1枚目のアルバム『Accident in Paradise』はアンビエント・ミュージックやトランス・ミュージックに分類されるサウンドが特徴です。

90年代前半のドイツのDJ/プロデューサーたちは、アメリカのデトロイトから輸入されたテクノの乾いた機械的なサウンドに、メロディーやハーモニーなどクラシカル・ミュージックの要素を加えることで、暖かいオーガニックなサウンドを生み出します。デトロイトという都市も、ドイツという国も、工業化社会や自動車産業を象徴する場所ですが、ドイツにはクラシカル音楽の伝統があったことがこうした音作りになったのでした。それを象徴するように、スヴェンが当時運営していたトランス寄りのレイベル「Eye Q」やテクノ寄りの「Harthouse」では、生の楽器の音をベイスにした音楽制作が行われていました。しかし90年代後半にトランスが商業化されていく中で、DJは“プロデューサー"という立場から自分自身が打ち込みをして曲を制作する“音楽家"へと変わっていくことになります。(レコード・プロデューサーは本来、アーティストたちを指揮して音楽制作を行う人ですが、DJ業界では近年音楽そのものを打ち込みなどで作る人を指すようになりました。)

ドイツにはスヴェン以外にもトランスというジャンルを確立したアーティストが数多く存在します。ドイツのデュオ「Dance 2 Trance」は1990年に『We Came in Peace』というトラックをリリースしました。永遠に反復されるベイス音は、正に“トランス状態"を誘う典型的なサウンドです。

また、「Dance 2 Trance」の1人は「ジャム&スプーン」という別のデュオでも活躍しており、トランスの黎明期の歴史的なアーティストとされています。1992年にリリースされた『The Age of Love(Jam & Spoon Watch Out For Stella Mix)』の女性ヴォーカルは、教会の合唱団を連想させると同時に、ニュー・エイジ風でもあり、幾度となくリミックスされるトランスの定番の曲とされています。また、同じ1992年にリリースされた『Stella』の幻想的なシンセサイザーとスパニッシュ・ギター風のメロディーも、初期のトランスのバレアリック・サウンドの代表的な例です。

こういった流れはドイツだけでなく、ヨーロッパ各地に広がっていきます。そもそも最初のトランスの曲として挙げられることが多い曲は、英国のアシッド・ハウス・バンド「KLF」が1988年にリリースした『What Time Is Love?(Pure Trance 1)』というトラックです。インストゥルメンタルであるこのトラックは、レイヴのアンセムとなり、90年と91年には、別ヴァージョンのシングルもリリースされ、ヨーロッパでヒットしました。

1995年にイタリアのロバート・マイルズというプロデューサーが『Children』というトラックをリリースしました。クラシカル音楽の影響がはっきりと現れるピアノのストリングズは、幻想の世界へと誘ってくれます。

また、英国では1996年にシケインというプロデューサーが『Offshore』というトラックをリリースし、トランス・シーンに大きなインパクトを与えます。エモーショナルなシンセサイザー・サウンドはトランス・サウンドの真骨頂といえます。

こういった先駆者の活躍もあって、90年代後半にはエピック・トランスの大物が現れることとなります。


3.オランダ、ドイツ、英国のエピック・トランスの大物

ドイツのエピック・トランスの最初の大物とされるのが、ポール・ヴァン・ダイクです。ヴァン・ダイクは東ベルリンで育ち、地元にはレコード屋がなかったことから西ベルリンから届く音楽を聴きながら西側の音楽に慣れ親しみます。オンエア・チェックした音源を基にミックス・テープを制作して学校の友人に配っていたそうです。ベルリンの壁の崩壊後、1991年にベルリンのテクノ・シーンの有名クラブ「トレゾア」でDJデビューを果たし、瞬く間にシーンで名を上げるようになりました。1998年にリリースしたシングル『For An Angel』が英国でヒットし、トランス史に残る代表曲となります。その後自身のレイベル「Vandit」を立ち上げ、ソロ活動をすると同時にドランス・シーンを世界に広げることに努めます。 その結果、2005年と2006年には、英国のクラブ・カルチャー/ダンス・ミュージック専門誌の「DJ Magazine」が毎年開催している読者投票によるランキングで『世界No.1のDJ』に選ばれました。

フェリー・コーステンは、いわゆる“ダッチ・トランス"の創始者の1人とされています。 1996年に「ムーンマン」という名義でリリースしたシングル『Don’t Be Afraid』で初めてチャートインし、その後作曲家として積極的に活動するようになりました。1998年には「システムF」という名義で『Out of the Blue』というトラックをリリースし、初めての世界的なヒットを記録しました。2000年代以降は自身のソロ・アルバムをリリースする一方で、自身のレイベルを通じて若手のトランス・アーティストのサポートにも励み、トランス界の重鎮として現在も第一線で活動を続けています。コーステンのメロディアスで高揚感のあるサウンドは“アップリフティング・トランス"や“ユーフォリック・トランス"とも呼ばれます。

ディエストは「トランスの神様」や「EDMのゴッドファーザー」と呼ばれるDJ/プロデューサーです。1994年ごろから音楽制作を始め、1997年には自身のレイベル「ブラック・ホール・レコーディングズ」を立ち上げました。1998年にはフェリー・コーステンと組んで「グリエラ」というデュオとして活動し、世界的に大成功をおさめました。その後はソロ活動に集中し、2000年代初期の頃には、ヨーロッパ大陸のスタジアムで、DJとして“ソロ・コンサート"を開くほどの人気を得ました。2002年から2004年まで3年連続で「DJ Magazine」に『世界No.1のDJ』と称され、2004年のアテネ・オリンピックでは開会式で演奏した初めてのDJとなりました。ティエストは2010年代には、活動の中心を米国のラス・ヴェガスに移し、EDM寄りのサウンドをプレイするようになります。2014年にはアメリカのビジネス誌「フォーブズ」で『世界で最も稼いだDJ』ランキングのトップを飾り、長年にわたってトランス界最大の大物であると同時に、世界で最も知られるエレクトロニック・ダンス・ミュージックのアーティストの1人です。1999年よりリリースしている『In Search of Sunrise』というミックス・アルバム・シリーズは、長年トランスの定番のコンピレイションとなっています。

ティエストがトランスからEDMへシフトした現在、ダッチ・トランス最大の大物とされるのがアーミン・ヴァン・ビューレンです。フェリー・コーステンが高揚感を生み出すメロディーを好み、ティエストが大衆受けするサウンドでスーパースター的な人気を得たのに対して、アーミンは特にヴォーカル・トランスの作品で知られています。2000年よりヴォーカル・トランスのショーケースとして『A State of Trance』(「トランス状態で」)というコンピレイション・アルバム・シリーズをスタートさせます。2001年には2時間にわたってトランスの人気曲を紹介する同名のレイディオ番組の放送を始めました。現在『A State of Trance』は世界中の100以上のレイディオ局で放送されており、ポッドキャストとしてもダウンロードすることができ、世界中で毎週4000万人のリスナーに聞かれていると言われています。アーミンは「DJ Magazine」のDJランキングで2007年、2008年、2009年、2010年、2012年に『世界のNo.1DJ』を獲得しています。

また、英国でも90年代後半からエピック・トランスのシーンが成長していきました。その中心的な存在となったのが2000年に結成されたトリオ「アバヴ・アンド・ビヨンド」です。彼らはDJとしても活動しますが、3人組ということもあって、前述のDJたちに比べてソングライター(作曲家)としてのこだわりがより際立っています。様々なヴォーカリストとのコラボレイションを通じて、エピック・トランスの中でもポップ色の強いことで知られています。また、グループの代表曲を生楽器で演奏したアコースティック・アルバムや、瞑想用のアンビエント・アルバムも発表しています。彼らのエピック・トランス・サウンドを象徴する曲には『Air For Life』、ポップよりのヴォーカル・トランスの代表曲には『On a Good Day』という曲があります。

オススメのトランスの大物のアルバム

Paul Van Dyk – In Between

Volume: The Best of Paul Van Dyk

Ferry Corsten – Right of Way

Ferry Corsten – Twice in a Blue Moon

DJ Tiesto – In Search of Sunrise

DJ Tiesto – In Search of Sunrise 3: Panama

Armin Van Buuren – Balance

A State of Trance 2020

Above & Beyond – Group Therapy

Anjunabeats Volume 14


4.プログレッシヴ・トランスとテック・トランス

様々なトランス・サウンドの可能性が模索されていた90年代においては、“プログレッシヴ・トランス"というサブジャンルも人気でした。プログレッシヴ・トランスはMUSIC & PARTIES #032で取り上げたプログレッシヴ・ハウスとの境界線が非常に曖昧であり、初期のサシャやジョン・ディグウィードも“ハウス"よりむしろ“トランス"寄りのサウンドで名声を得ました。ディグウィードが自身のレイベル名でもあるベッドロック名義でリリースした『Heaven Scent』という曲がこのサブジャンルの代表曲といえます。反復が強調されるトランスに対して、プログレッシヴは徐々に盛り上がってピークに達することが特徴です。

90年代後半にはアメリカの「BT」というプロデューサーも、プログレッシヴ・トランスの旗手として知られるようになります。BTは子供の頃からクラシカル・ピアノや音楽理論を学び、バークリー音楽大学でジャズや実験的な音楽も勉強しました。結局、大学を中退してエレクトロニック・ミュージックに専念することを決め、友達であった「ディープ・ディッシュ」の2人(ダブファイアとシャラム)とレイベルを立ち上げ、音楽制作に取り組みました。その音楽がサシャやポール・オーケンフォールドの目に留まり、彼らの弟子となりました。オーケンフォールドのレイベルから1995年にリリースした1枚目のオリジナル・アルバム『Ima(今)』で、プログレッシヴ・トランスのサウンドをクラブ・シーンに普及させました。BTはその後もトランスというジャンルに囚われない幅広い音楽活動を続けています。

また、ドイツを中心にトランスとテクノを融合させた“テック・トランス"というサブジャンルも生まれました。ドイツやオランダのキラキラした明るいエピック・トランスに比べて、よりダークでディープなサウンドが特徴です。代表曲に「マルコV」の『シミュレイテッド』や、「サンダー・ヴァン・ドーン」の『レネゲイド』などがあります。

ドイツ出身のマルクス・シュルツというDJは、ヴォーカル・トランス、プログレッシヴ・トランス、テック・トランスのサブジャンルを跨ったサウンドで知られます。ティーネイジャーの頃にアメリカに移住し、90年代マドンナやジュエルなどのポップ・アーティストのリミックスでクラブ・シーンで注目されるようになりました。2000年代以降は自身のレイベル「コールドハーバー・レコーディングズ」を立ち上げ、キラキラしたエピック・トランスへのアンチテーゼとしてよりハードでエッジーなトランス・サウンドを追求していきます。 アメリカのDJ専門誌「DJ Times」の読者調査で2012年、2014年、2018年に『アメリカのNo.1DJ』に選ばれています。

オススメのプログレッシヴ・トランスの作品

BT - Ima

BT – These Hopeful Machines

BT – Electronic Opus

In Search of Sunrise 15

Markus Schulz – Do You Dream?

Dakota – Thoughts Become Things II


5.エピローグ

こういったトランスの歴代の名曲やDJを見渡すと、ある1つの傾向が浮かび上がってきます。トランスが進化するにつれ、アメリカから生まれたハウスやテクノのベイスにあったブラック・ミュージック (ディスコ、ソウル、ファンクなど)の要素がどんどん薄まっていき、ヨーロッパの伝統音楽である“クラシカル・ミュージック"の影響や、日本やドイツで人気が出始めたコンピューター・ミュージックの影響が増えていきます。

これは70年代前半のプログレッシヴ・ロックでも起きた現象でもあります。アメリカから輸入されたサイケデリック・ロックのベイスにはブルーズやR&Bがあったのに対して、英国を始めヨーロッパで発展したプログレッシヴ・ロックはそういったブラック・ミュージックの要素を薄め、代わりにクラシカル音楽の要素を取り入れていきました。パーティー・アニマルのスヴェン・ヴァスは、こうした傾向を嫌い、トランスよりエッジが強いテクノ路線にシフトすることにしたのでしょう。

英国では、アメリカとの深い歴史・言語・文化の繋がりに加え、アフリカやカリブ海からの黒人や中東などからの移民が多くいました。こういった背景から英国の労働者階級は以前からブラック・ミュージックに慣れ親しんでおり、UKヒップホップ、トリップ・ホップやドラムンベイスなど英国独自のブラック・ミュージック・シーンも発達していました。一方でドイツやオランダほどヨーロッパ大陸の内国になると、アメリカの音楽の影響もどんどん薄まり、独自のクラシカルな音楽文化があります。イタリアのジョルジオ・モロダーが70年代に作ったユーロ・ディスコもその一例です。また、移民などのマイノリティーの存在は目立たず、白人が大半を占めていることもこうした音楽スタイルになった原因といえるでしょう。エピック・トランスがドイツやオランダを中心に根付いた裏にはこういった背景があったのではないでしょうか。

エピック・トランスは日本の音楽シーンにも大きな影響を与えました。「avex」はユーロビートに続いて、今度はエピック・トランスのサウンドをベイスに“サイバートランス"というカテゴリーを作り出し、日本人の若いリスナーに認知させました。

そもそも日本においては、90年代の“小室ファミリー"をはじめとするavexのアーティストたちの活動を通じて、トランスやダンス・ミュージックをベイスとしたJ-POPサウンドが確立されました。小室哲哉は「trf」「globe」「篠原涼子」「華原朋美」「安室奈美恵」らをプロデュースし、キャッチーなユーロビート・サウンドで数々のミリオンセラーを記録しました。トランス・サウンドの人気を後押ししたのが、avexと小室氏が運営していた「ヴェルファーレ」という西麻布のナイトクラブでした。

90年代半ばごろには小室氏はavexの売り上げの大半を叩きだすようになっていました。しかし松浦氏と不仲となり、松浦氏は小室氏の成功のノウハウを取り入れながら、自ら全力でプロデュースを手がけたのが新人の浜崎あゆみでした。浜崎あゆみは90年代末から2000年代にかけてJ-POPのクイーンとなり、ファッション・アイコンとしてもギャルたちの間でカリスマ的な人気を得るようになりました。いってみれば、日本の「マドンナ」です。彼女のサウンドはトランスの影響が強いダンス・ポップです。

2000年代以降、J-POPはR&B/ヒップホップ色が強まることとなります。安室奈美恵は2000年初期ごろからダンス・ポップからR&B/ヒッポホップ路線にシフトました。同じ2000年にavex traxのサブレイベル「Rhythm Zone」からは「倖田來未」という、R&B/ヒップホップ路線の“エロかっこいい"歌姫が登場しました。2000年代初期はダンス&ヴォーカル・グループの「EXILE」もRhythm Zoneから登場しました。リーダーのHiroは、松浦氏と同じ高校を卒業しており、「ZOO」というダンス&ボーカル・グループでデビューした後、1999年にRhythm Zoneに移籍して「J Soul Brothers」を結成しました。2001年には新ヴォーカルを迎えて「EXILE」として改名しました。これらのグループはブラック・ミュージックとダンス・ミュージックの影響を強く受けています。
また、日本のユーロビート/トランス・シーンで忘れてはならないのが、“パラパラ・ダンス"です。そもそもパラパラ・ダンスはジュリアナ東京やマハラジャなどの高級ディスコにおいて、常連女性客の間で広まり、女性集客道具として定着しました。女性客の多くは、浜崎あゆみに象徴されるようないわゆる“ギャル"でした。そして90年代後半、レイヴ・シーンが拡大し、エクスタシー(MDMA)という違法薬物が世界的に大流行します。日本にも持ち込まれ、カラフルな錠剤になっていたりしたことからサプリメントやビタミンを取る感覚で、未成年や女性の間でも乱用者が増えていきました。レイヴやナイトクラブで薬物汚染が広がり、反社会性力(いわゆる“半グレ")の資金源になっていきました。こういったことから2000年代後半には警察の取り締まりが強くなっていきます。トランス・ミュージックによって日本のクラブ・シーンは最盛期を迎えたものの、その音楽に伴って日本にやってきたドラッグ・カルチャーによってクラブ・シーンは衰退することとなりました。

次回は、インドのリゾート地のゴアから生まれたゴア・トランスと、そこから発展したサイケデリック・トランスを取り上げます。


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