1.プロローグ
僕が大学を卒業して、東京で初めて暮らし始めたのは、演劇の街、下北沢です。
下北沢は、当時も今も若者にとても人気のある街です。下北沢には、古着屋、安い居酒屋、ライブ・ハウス、そして小劇場が小さなエリアに詰まっています。
東京だけでなく、全国から、時にはカルフォルニアから、夢を求めて若者が集まってくる街なのです。
僕が住んでいた2階建のアパートの部屋は、アメリカ人にとってはとても小さく、決して居心地のいいものではありませんでした。
なので、僕はできるだけ遅くまで外で仕事をして、寝るだけのために帰ってきていました。
隣の部屋との壁も薄く、隣人の生活音が聞こてきていました。そんな環境なので、隣人の住人がどんな人なのか察しがつくようになりました。
隣には、脚本家志望の男性と女優志望の女性が同棲していました。
二人はよく喧嘩をしており、夜中に大騒ぎを起こして、警察が来ることもありました。
翌日、二人はチラシとチケットを持って僕のところに謝りに来ました。少しだけ、脚本家志望の男性と話をし、後日彼らの芝居を観に行きました。
芝居の内容よりも、彼ら二人の人生のことばかりが気になっていたことを覚えています。
この文章を書くために、当時もらったチラシを探して、二人の名前をインターネットで調べてみましたが、現在は二人とも演劇の活動はしていないようです。
2.本多劇場
下北沢の演劇界の中心、いや東京の演劇界の中心は、間違いなく本多劇場グループと言っていいでしょう。まずは、グループの中心的存在の本多劇場について説明します。
元々は、俳優志望で「新東宝ニューフェイス」だった本多一夫氏が映画俳優をやめた後、舞台演劇用の小劇場を作ったのがザ・スズナリ(1981年)と本多劇場(1982年)です。
本多劇場のこけら落としは、唐十郎作の「秘密の花園」でした。その後、80年代の「第三世代」の「小劇場運動」のブームの頃には、野田秀樹の「夢の遊眠社」、鴻上尚史の「第三舞台」、柄本明の「東京乾電池」、佐藤B作の「東京ヴォードヴィルショー」、三宅裕司の「スーパーエキセントリックシアター」、松尾スズキの「大人計画」などもこの舞台で活躍しました。
ケラリーノ・サンドロヴィッチの「ナイロン100℃」、「ラーメンズ」、「劇団、本谷有希子」なども本多劇場で多くの公演を行なっています。
<THEATRE INFO>
3.ザ・スズナリ
ザ・スズナリは、1981年に本多劇場グループの本多一夫が、自身の主宰する俳優養成所の稽古場として立ち上げました。
劇場の1階部分は「スズナリ横丁」という飲食店街となっています。
下北沢駅周辺の再開発計画によって移転される可能性があるとのこと。
<THEATRE INFO>
4.その他の本多劇場系列の小劇場
本多劇場グループは、下北沢駅周辺に様々なタイプの小劇場を持っており、様々なスタイルの劇団の様々な公演が行われています。1990年から「下北沢演劇祭」というイベントも同グループが中心になって開催されています。
<THEATRE INFO>
駅前劇場
OFF OFF シアター
小劇場 「楽園」
小劇場B1
5.東演パラータ
下北沢駅周辺には、本多劇場グループの他にもいくつもの小劇場があります。この東演パラータは、下北沢最古の小劇場で、天井まで5mの高さがあり、料金設定もリーズナブルなため、学生や若手の劇団などの活動の拠点となっています。
<THEATRE INFO>
6.こまばアゴラ劇場
下北沢ではありませんが、是非紹介しておきたい小劇場です。この劇場は、劇団青年団の主宰をしている平田オリザが支配人兼、芸術監督を務めています。
この劇場は、独自の運営システムをとって、若手の劇団を支援しています。とても素晴らしい理念ですので、ホームページより抜粋させていただきます。
こまばアゴラ劇場は、平田オリザが『芸術立国論』(集英社新書)で展開する「劇場を通じての若手劇団を支援する」システムを採用しております。
通常の貸し小屋業務(賃貸料を取って劇団に劇場を貸す日本の従来の劇場システム)をすべて停止し、劇場で行われる全公演を「こまばアゴラ劇場プロデュース」としたこの新システムは、初年度(2003年度)から日本における小劇場の在り方を革新する制度として話題を呼んで参りました。
2013年度以降、「数年単位での活動実績(主催公演)」が劇団に求められる国の助成制度に対応するため一般貸出も再開することとなりましたが、首都圏以外の地域を拠点とする団体や多地域公演(ツアー)を実施する団体を対象とした「こまばアゴラ劇場提携プログラム」など幅広いサポートを継続しております。 行政が、ある程度完成されたカンパニーを中心に公的な助成を行うのに対し、こまばアゴラ劇場では、各劇団と連携して作品を制作することにより、若手演劇人やカンパニーを支援しています。
こまばアゴラ劇場の具体的な支援方法
・官民問わず、多くの団体から公演資金を調達する。
・劇場支援会員を募り、安定した資金源とし、また優良な顧客を共有する。
・地域のカンパニーによる公演や多地域公演は劇場との提携により、劇場費の減免などを実施。
・プロデュース公演、青年団との合同公演など様々な公演形態を用意し、制作面の支援を行う。
・俳優の年齢層が限られる若手小劇団の欠点を克服するため、青年団の俳優が各劇団に客演する。
・スタッフ面の弱い劇団には、青年団、こまばアゴラ劇場のスタッフが協力する。http://www.komaba-agora.com/theater
※英語でのお問い合わせはWebサイト内「お問い合わせ」のメールフォームへ。
<THEATRE INFO>
7.エピローグ
BigBrotherが大学生の頃は、「小劇場運動の第三世代」の大ブームがあり、BigBrotherの学部には、演劇のコースがあったため、演劇を目指す友人が沢山いたそうです。
一方、世の中は、バブルの真っ只中で、就職活動も“超"売り手市場で、有望な学生は、大学2年には“内々定"が出るほどでした。
そういう状況の中、才能があり、人間的にも魅力のあった人物は、演劇の世界へ進み、勉強だけができるようなつまらない人間は、テレビ局や広告代理店やシンクタンクへ進んだようです。
テレビや雑誌で役者の友人の名前は、よく見かけるのだそうですが、前者の方々はwikipediaでも見つけられないそうです。
日本のコンテンツ産業が世界で評伝されないのは、こうしたことと関係があるのではないかとBigBrotherは常々こぼしています。
演劇に限らず、スポーツやビジネスの世界でも、才能のある若者を見つけて、それを育てるシステムが日本にはないとのこと。日本社会は、“出る杭は打たれる"、“寄らば大樹の陰"なのだそうです。
小学生時代のBigBrotherの楽しみの1つは、現在は、「ザ・プリンスパークターワー東京」(ホテルになる前は、「芝ゴルフ場」という練習場で、ここは時間帯によっては1球50円ぐらいするとんでもない料金でした)のある場所にあった、「芝ボーリングセンター」でボウリングをして、その帰りに夜遅くまで営業していた、2020年に移転するまでブルックス・ブラザーズ本店が入っていたビルの近くにあった青山ユアーズで買い物をすることだったそうです。
ある日のこと、ユアーズで買い物をしていると、このお店にもサインが飾ってあった、TVとか映画に出ている、小学生でも知っている有名な俳優さんがBigBrotherのお父様に近づいて丁寧に挨拶をしていったそうです。
当時、BigBrotherのお父様は映画会社の役員も務めておりこの時に、この“業界"では、表に出ている有名人より、裏方の方が権力を持っていることを知ったとのこと。
それ以来、テレビとか映画のクレジット/エンドロールをよく見るようになったそうです。