1.アリ・アスター監督にとって映画製作とは
これまで『世界へ発信!SNS英語術』のインタヴュー取材で、40本近くの映画の試写会に出席させていただきましたが、その中でも『ミッドサマー』の試写会は、特に混み合っていました。日本の映画関係者がいかにホラー映画好きであるかの証、であると同時に、本作のアリ・アスター監督がいかに注目されているかを肌で感じることができました。
アスター監督は2018年に『ヘレディタリー/継承』で衝撃的なデビューを果たしました。日本に先駆けて2019年にアメリカを始め海外で公開された、2作目の『ミッドサマー』は映画評論家にもホラー映画ファンにも絶賛されています。人気の理由は、ジャンルの枠に囚われないストーリー展開や作風もありますが、何より大きいのは作品が監督自身のパーソナルな体験に着想を得ていることでしょう。そのことによって、観ている観客に疑似体験をさせ、結末にはある種のカタルシスをもたらしてくれます。『ヘレディタリー/継承』は監督の家族に起こった事実を基にしており、『ミッドサマー』は、監督の失恋経験を基に構成されたストーリーとなっています。
アスター監督は『ミッドサマー』の創作の始まりについて、次のように語っています。「当時、恋人との交際が終わりを迎えようとしていました。ちょうどその当時、ホラー映画の物語の枠組みを考え出そうとしていて、恋人との別れがそれにぴったりだと気付いたのです。失恋というものは誰にとっても大きな出来事で、オペラのような劇的なものでしょう。そこで、表現主義的に失恋を描いた映画作品を作るというコンセプトを思いつきました。例えば友達が失恋して哀れな感じだとしたら、『いつまでもくよくよせずに早く吹っ切れよ』と思うものです。しかし、失恋をしたのが自分自身の場合だと、それはまるで世界の終わりのような、誰かが死んだかのようにさえ感じられます。それもそうでしょう、言ってみれば自分の関係者が死を迎えているのと同じことなのですから。」
そんなアスター監督にとって、『ミッドサマー』は辛い失恋経験を「癒すためのおとぎ話」として構想されたようです。製作プロセスそのものは監督にとって、“癒し"となったかと尋ねると、監督は次のように答えました。「脚本を書くプロセスはセラピーのようなもので、確かにカタルシス効果がありました。でも製作自体は、とてもテクニカルで精神的に疲れるプロセスなので、そうした効果はありませんでした。時間と闘いながら、不十分な資源からどうにか何かを作り出そうとしました。」
2.生粋のホラー映画好きであるアリー・アスター監督
アリー・アスター(1986年~)はニューヨーク生まれのアメリカの映画監督、脚本家です。子供の頃からホラー映画にはまり、近所のヴィデオ・レンタル店に置かれていたホラー映画を全て見尽くしたそうです。アメリカン・フィルム・インスティチュートで美術修士号を取得しました。何本かの短編の脚本と監督を手掛けた後、2018年に長編監督デビュー作『ヘレディタリー/継承』をサンダンス映画祭で上映し、映画評論家から絶賛されたことを受けて、一気に世界中から注目されるようになりました。
『ヘレディタリー/継承』
アリ・アスター監督の長編デビュー作であり、出世作ともなった本作は、「機能不全の家族」と「精神病の遺伝的継承」をテーマにしたホラー映画です。主人公のアニーは、長年疎遠であった母のエレンの死をきっかけにグループ・カウンセリングのセッションに参加するようになります。そこで、母は解離性同一性障害を発症していたことや、兄は被害妄想が原因で自殺したこと、そして自身も夢遊病に悩まされていることなど、家族が抱える様々な精神疾患について語ります。そんなアニーは過去を葬り去ろうとしますが、徐々に自分の子供にも精神疾患の症状が発症し始めると、不穏な出来事が次々と起こり出します。
『ミッドサマー』
アメリカに暮らす女子大生のダニーは、恋人のクリスチャンと破局寸前の状態にあります。ところがダニーが不慮の事故で両親と妹を失うと、放心状態となり、クリスチャンにしがみつくようになります。一方でクリスチャンはますます別れを告げ出しにくくなります。クリスチャンは、友達たちとスウェーデンの奥地にある村で、夏至の日に行われる祝祭に遊びに行く計画を立てています。このことがダニーにバレると、しょうがなく彼女も誘い、一同は旅に出発することとなります。1日のほとんどの間、太陽が沈まない“白夜"の地である、“ホルガ村"は、美しい花々が咲き乱れ、同じ白地の衣服に身を包んだ住民たちが穏やかに暮らしている楽園のような場所です。村人はダニーたちを笑顔で歓迎し、宿と食事を世話しますが、次第に不穏な空気が漂い始め、白日の悪夢が始まります。
3.アスター監督が影響を受けた日本の映画作品
とてつもない数のホラー映画を観てきたアスター監督は、インタヴューでとりわけ日本のホラー映画から最も大きな影響を受けていると語ってくれました。黒沢清の『CURE』(1997年)、小林正樹の『怪談』(1965年)、新藤兼人の『鬼婆』(1964年)などの名前を挙げ、時代を問わず日本のホラー映画を一通り観ているのではないかという印象を受けました。なぜ日本のホラーを好きなのかと監督に聞くと、「幽玄であり、かつ、重厚な雰囲気のある作品がたくさんあるからです」と言っていました。優美とも言えるほど幽玄なヴィジュアルと、とてつもなく怖い出来事が今にも起きそうな日本ホラーの雰囲気は、『ヘレディタリー/継承』と『ミッドサマー』にも共通しています。
インタヴュー前のリサーチとしてアスター監督のツイッターを見ていたら、作家・安部公房の作品を原作とした勅使河原宏監督の映画『他人の顔』についての投稿をリツイートしていたことが目に止まりました。
勅使河原監督と安部公房について、アスター監督に聞いてみると、彼は次のように答えました。「『砂の女』は僕のお気に入りの映画の1つで、安部公房の原作も僕のお気に入りの小説の一つです。勅使河原も大好きな映画監督です。彼は確か華道家でもありましたよね。そのセンスが彼の作風にも表れています。『砂の女』の寓意とリアリズムを組み合わせているところに特に影響を受けました。とてもシュールな作風でありながら、同時に地に足がついていて、その世界観の質感がすごく伝わってくるところが好きです。」
アスター監督は更に、『砂の女』と『他人の顔』の音楽も担当した武満徹の音楽にも強い影響を受けていて、「映画音楽に限って言えば僕の一番好きな作曲家」と言っていいほどであることを教えてくれました。『ヘレディタリー/継承』と『ミッドサマー』の2つの作品の製作において、とても参考にしたそうです。
4.日本の映画はなぜ世界でヒットしないのか
このインタヴューのちょうど10日間後くらいに第92回アカデミー賞が開催されました。韓国のポン・ジュノ監督の『パラサイト 半地下の家族』が、英語以外の映画として初めて作品賞を受賞し、他にも監督賞、脚本賞、国際長編映画賞を獲得するという快挙を挙げました。
それを受けて日本では「なぜ日本の作品は作品賞を取れないのか」「なぜ日本の映画作品は世界的にヒットしないのか」といった議論が巻き起こっています。その主な理由としては、韓国では国内市場が小さいため、コンテンツ制作者が最初から世界市場を視野に入れて制作を行っているのに対して、日本では国内市場がソコソコ大きいため、コンテンツ制作者は国内でのヒットで満足してしまっていることが挙げられています。日本では2000年代からいわゆる「クールジャパン政策」を掲げて、コンテンツ制作の強化に取り組んでいますが、一部のアニメ作品や漫画、Jポップが一部の海外のオタクにアピールしているだけで、これといった成果が表れていません。
今回のアリ・アスター監督へのインタヴューを振り返ってみると、あることに気づきました。インタヴュー時間の半分くらい、監督は日本のホラー映画や音楽について語ってくれていましたが、その中で一度も“cool"という言葉を発しませんでした。
日本人の多くは“cool"という英語を「カッコいい」「イケてる」という意味であると思っています。しかし、実際に英語圏の人が日常会話で“cool"を用いるのは、多くの場合、特に言うほどの意見や感想もないが、相手の気分を損いたくない時に使う言葉なのです。「いいんじゃない」「いいね、いいね」といったレヴェルの、言ってみれば相槌のようなものなのです。
つまり、“クール"と呼ばれるようなものは、そもそも表面的にしか扱われていないものであり、ファッション感覚で一時的に流行ることはあるとしても、人の心を打つ“アート"や“文化"として認められるようなものには用いない単語なのです。最近になってようやく「クールジャパン政策」も方向性を変えているようですが、僕に言わせれば、ネーミングの時点で日本は負けているのです。
5.この日の衣裳について
「ファットリ」のチャコール・グレイのネクタイ
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