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20世紀の“日本的"な日本人の映画監督 (前半)
  - 海外で評価されている日本人の映画監督 (3)
  - 溝口健二/成瀬巳喜男/勅使河原宏/鈴木清順 | CINEMA & THEATRE #035
Photo: ©RendezVous
2022/11/28 #035

20世紀の“日本的"な日本人の映画監督 (前半)
- 海外で評価されている日本人の映画監督 (3)
- 溝口健二/成瀬巳喜男/勅使河原宏/鈴木清順

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KAZOO
翻訳家 / 通訳 / TVコメンテイター

目次


1.プロローグ:ガラパゴス化する日本映画

近年では、アメリカ映画も“アメコミモノ"や“シリーズモノ"など子供向けの作品が多くなってきていますが、それでも、一方で大人向けの作品も数多く製作され、オスカーのノミネート作品は、毎年観るに値するものがラインナップされています。

しかし、日本では子供向けのアニメ、中高生向けの恋愛モノ、チープなアクションモノばかりで、映画館で高い入場料を(アメリカでは800円位)を払って観るほどの作品は、ほとんどありません。

シネコンのコーラやポップコーンなども驚くほど高いことも、劇場から足を遠のかせる原因です。

最近では、すっかり慣れましたが、初めて日本の映画館に行って驚いたのが、とても静かに映画を“鑑賞"していることでした。アメリカの映画館は、野球場と同じぐらいの大声で“参加"するのが普通で、アクション映画などでは、立ち上がって大暴れする人も出るぐらいです。

普段は、冷静な僕も『スターウォーズ』を観に行くと、東京のシネコンでも我を忘れてつい大声が出てしまいます。子供の頃の経験というのは、大人になっても影響するのですね。

さて今回は、20世紀を代表する日本人の映画監督とその作品を紹介します。僕が特に良い意味で“日本的"だと感じた監督、作品を中心に取り上げてみました。


2.溝口健二(1898-1956)

小津安二郎、黒澤明に次いで世界中の日本映画のファンの間で名高い監督です。セットや小道具など演出の面でも演技指導の面でも、一切妥協をしない完璧主義者として知られています。撮影スタイルとしては、1つのシーンを長回しで撮影する “ワンシーン・ワンカット"が特徴的であり、これらの技法を用いて徹底的にリアリズムを追求しました。また、溝口の作品には一貫して女性の情念や、虐げられた女性が描かれています。もともと、日露戦争後に、溝口の家族は経済的に苦しい状況に陥り、両親は姉を養女に出すことを余儀なくされたことが、溝口に大きな影響を与えたとされています。そのため、溝口は日本の“女性映画の巨匠"とも呼ばれています。

『祇園の姉妹』(1936年)

京都の花街・祇園で働く芸妓姉妹の生き様を描いた名作です。社会における男と女の地位とその関係性や、伝統と現代との対立をテーマとしています。それぞれ自分の信念に忠実に生きていこうとするにもかかわらず、結局は2人とも男性に翻弄されてしまうという展開は、今なお伝統と西欧文化の狭間(はざま)で生き続ける現代日本人にも、共感するところがあるのではないでしょうか。本作は1936年の『キネマ旬報ベスト・テン』の第1位にランクインしました。

『元禄忠臣蔵(げんろくちゅうしんぐら) 前編・後編』(1941年/1942年)

劇作家・真山青果が手掛けた新歌舞伎『元禄忠臣蔵』を原作とする本作は、太平洋戦争の開戦直前に、士気を高めることを目的に情報局の傘下で製作された“プロパガンダ映画"とされています。こうした背景があるにもかかわらず、引きの長回しを多用する溝口独特のスタイルであったり、実物大の松の廊下のセットを作るなど、完璧主義が随所に現れています。公開当時は興行的には大失敗をし、溝口はそれによって長いスランプ期を経験することとなりました。

『西鶴一代女』(1952年)

井原西鶴の浮世草子『好色一代女』を原作とした本作は、溝口の最高傑作とされています。公開当時はまだスランプ期に陥っていた溝口が、黒澤明の『羅生門』が国際的に高い評価を受けたことに刺激を受けて、心機一転、製作に打ち込んだとされています。本作はヴェネツィア国際映画祭において、国際賞を受賞し、溝口はスランプを脱することに成功しました。また、ヨーロッパ映画界において“長回し"を流行させた作品とも言われています。

『雨月物語』(1953年)

上田秋成の伝奇小説を原作とした『雨月物語』は、安土桃山時代を舞台に、人間と幽霊の交流を通して、人間の欲望や執念を描いた怪異映画です。第13回ヴェネツィア国際映画祭において、銀獅子賞を受賞しました。本作は溝口の代表作のひとつであると同時に、世界の映画史に残る傑作とされています。

『山椒太夫』(1954年)

『雨月物語』で国際的に注目され始めた溝口は、『山椒大夫』でその評価を確固たるものにしました。森鴎外による小説を原作とした本作は、平安時代を舞台に、母親と引き離され、荘園の領主に奴隷として売られてしまう2人の姉弟が成長していく姿を描いた歴史映画です。ヴェネツィア国際映画祭で銀獅子賞を獲得し、“ヌーヴェル・ヴァーグ"のジャン=リュック・ゴダールなど世界の映画監督に影響を与えました。


3.成瀬巳喜男(1905-1969)

林芙美子による原作を数多く映画化したことで、“女性映画の名手"として知られる成瀬巳喜男は、小津安二郎も所属していた松竹・蒲田撮影所で長い下積み時代を過ごした後、1930年代ごろから短編映画を製作し、若手監督として注目されるようになりました。多くの作品で、庶民の生活を淡々と描いていることから、作風においても小津と比べられることが多いのですが、小津は大局的なメッセージを提示することを得意としていたのに対して、成瀬は自身が貧しい家庭に生まれたこともあり、大衆の懐事情のことや三種の神器(冷蔵庫、洗濯機、テレヴィ)についてなど日常の細かいディテイルを描くことを得意としていました。これは成瀬の“経済的な"製作スタイルにも現れており、それぞれの俳優のセリフを個別に撮影し、編集室で時系列に繋げるといった方法を取っていました。また、小津の作品は独特なユーモアが特徴的ですが、成瀬の作品は人間の暗部に話が及ぶ傾向があり、“もののあわれ"を感じさせる作品が多いのが特徴です。

『浮雲』(1955年)

終戦後の日本において、行き場所を求めて漂う雲のように彷徨う女性主人公の姿を描いた林芙美子(はやしふみこ)の小説を原作とした作品です。1955年度の『キネマ旬報ベストテン』で第1位に選ばれ、監督賞、主演女優賞、主演男優賞を受賞しました。その後、日本映画史上のベスト作品を選ぶ様々なランキングやアンケートにおいても大抵5位以内に選ばれています。主人公の“ふわふわ"生きる様は今の時代を生きる“ノマド"にとっても共感できるところがあるのではないでしょうか。

『流れる』(1956年)

幸田文の小説を原作としたこの作品は、時代の中で変わりゆく東京の花街を舞台に、傾きかけた芸者置屋に住み込む女中の日常を描いた人間ドラマです。豪華な女優キャストによる迫真の演技が話題となりました。

『晩菊』(1954年)

芸者上がりの金貸しの女と昔の芸者仲間が、戦後を生き抜こうとする姿を描いた作品です。林芙美子の3つの短編を原作にしています。女性の老い、女性の孤独、そして戦後における日本社会の卑屈さや不信、諦めをテーマとした名作です。

『あらくれ』(1957)

徳田秋声の小説を原作としたこの作品は、我が強く、気性の荒い女がダメ男に翻弄されながらも、自分の力でなんとかやっていこうとする姿を描いた物語です。当時の「映画倫理管理委員会」(現在の通称・映倫)が“成人映画"に指定し、18歳未満の鑑賞を制限しました。

『あにいもうと』(1953年)

東京の奉公先で学生と関係を持ち、身籠って田舎の実家に戻ってきた長女とその家族の物語です。妊娠を知った兄は悪態をつき、妹は姉の不始末で自らの恋愛がうまくいかなくなります。田舎社会の人間関係や家族の絆をリアルに描いています。その後もこの作品はなんども映像化されていますが、1972年にテレビ・ドラマ化された際には、山田洋次が脚本を手掛けました。

『おかあさん』(1952年)

終戦後にようやく家族経営のクリーニング屋を再開できたものの、夫の死によって女手ひとつで店を切り盛りし、子供を育てていく母親の姿を、娘の視点から描いた人間ドラマです。戦後の混沌とした時代の中で強く生き抜いていく姿は感動ものです。


4.勅使河原宏(1927-2001)

草月流3代目家元であった勅使河原宏は、いけばなや映画以外にも、陶芸、舞台美術、オペラなど、様々な分野で活躍した総合芸術家です。東京美術学校(現在の「東京芸術大学」)の日本画学科に入学するものの、後に洋画科(ようがか)に移り、在学中からパブロ・ピカソや岡本太郎などの前衛芸術に夢中になり、作家・安部公房を中心に発足した前衛芸術の会「世紀」に参加するようになりました。その関係から1964年には安部公房と組んで「砂の女」を映画化し、その後も『他人の顔』(1966年)や『燃えつきた地図』(1968年)など、安部原作の作品を発表します。1980年に草月流2代目家元であった妹が死去したため、3代目家元を継ぐこととなります。

『砂の女』(1964年)

近代日本文学を代表し、海外でも高い評価を持つ安部公房の長編小説『砂の女』を原作とし、安部が自ら脚本を手がけた作品です。砂丘や砂穴がまるで生き物のように感じられる前衛的な映像は、国際的にも高い評価を得ました。日本国内で様々な映画賞を受賞し、第17回カンヌ国際映画祭でも審査員特別賞を受賞、第37回アカデミー賞においては外国語映画賞にノミネイトされ、翌年には監督賞にもノミネイトされました。


5.鈴木清順(1923-2017)

鈴木清順は、映画製作・配給会社の日活の専属監督として、短期間・低予算で撮影される娯楽作品(いわゆる"B級映画")を多く製作しました。独特な映像美と、幻想的で難解な物語で知られ、代表作には大正時代を舞台にした“浪漫三部作"と呼ばれる『ツィゴイネルワイゼン』『陽炎座』『夢二』があります。

『殺しの烙印』 (1967年)

鈴木の最高傑作とされるヤクザ映画です。当時の日活の社長が、鈴木の作品の難解さに激怒し、発表の翌年に鈴木は同社を解雇されました。ファンや映画関係者はこれに抗議して「鈴木清順問題共闘会議」を結成して、鈴木を支援し、数年後に鈴木と日活は和解しますが、鈴木は事実上ブラックリストに載せられ、10年間映画製作ができなくなりました。皮肉なことに、この事件を通して、カルト映画の名手としての評価は確定的なものとなりました。

『ツィゴイネルワイゼン』(1980年)

スペイン生まれのヴァイオリニスト、サラサーテが作曲・演奏する『ツィゴイネルワイゼン』のレコードを取り巻く男女4人の複雑な関係を描いた幻想的な作品です。ベルリン国際映画祭においては特別賞、第4回日本アカデミー賞においては最優秀作品賞などを受賞しました。

『陽炎座』(1981年)

偶然知り合った謎の美女に惑わされ、この世でもあの世でもない世界へと迷い込んで翻弄される劇作家の物語です。1981年の『キネマ旬報ベストテン』では第3位に選ばれ、日本アカデミー賞においては最優秀助演男優賞などいくつかの賞を受賞しました。

『夢二』(1991)

大正時代に活躍した画家で詩人の竹久夢二を題材にした作品です。金沢にやってきた夢二と彼を取り巻く女たちを描いた物語が、鈴木独特の映像美で表現されています。第44回カンヌ国際映画祭において“ある視点"部門に出品されました。


CINEMA & THEATRE #035

20世紀の“日本的”な日本人の映画監督 (前半) - 海外で評価されている日本人の映画監督 (3)


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