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アメリカのプロパガンダ映画の文化と第二次世界大戦中のハリウッド (後編)
  – 世界の映画史 (3)
  – ハワード・ホークス/オーソン・ウェルズ/ジョン・フォード/ジョン・ヒューストン/ウィリアム・ワイラー | CINEMA & THEATRE #055
2024/04/15 #055

アメリカのプロパガンダ映画の文化と第二次世界大戦中のハリウッド (後編)
– 世界の映画史 (3)
– ハワード・ホークス/オーソン・ウェルズ/ジョン・フォード/ジョン・ヒューストン/ウィリアム・ワイラー

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Mickey K.
風景写真家(公益社団法人・日本写真家協会所属)

目次


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5.戦時中に製作されたハリウッドのオリジナル作品

『怒りの葡萄』 (1940年) / 監督:ジョン・フォード

本作は、1939年にジョン・スタインベックが執筆した小説を原作としたモノクロ映画です。アメリカ南部のオクラホマ州に暮らすジョード一族は、砂嵐(いわゆる“ダスト・ボウル")によって所有地が耕作不可能となります。大恐慌の影響で家も失い、生活に窮します。一族は仕事があると耳にしたカリフォルニア州へと向かいますが、目的地にはすでに多くの農民が流れ着いており、労働力過剰に陥っていることを知ります。出稼ぎ労働者や貧困者に寄り添うストーリーであることから、スタインベックは出版当初から社会主義者ではないかと疑われます。しかし第二次世界大戦の影が色濃くなる中、監督のフォードは政治的な内容を薄め、物語の後半の構成を変えることにしました。こうしてスタインベックが描いた「アメリカン・ドリームの虚しさ」ではなく「大恐慌時代を得て団結し、立ち上がろうとするアメリカの家族」を描きました。そこにはどんな困難に遭っても耐え抜き、戦い続けるのがアメリカ人である、というメッセージも込められていました。本作でフォード監督はアカデミー賞「監督賞」を受賞しています。

『フィラデルフィア物語』(1940年) / 監督:ジョージ・キューカー

本作は、キャサリン・ヘップバーン、ケーリー・グラント、ジェームズ・スチュワート主演の “再婚喜劇"です。当時はヘイズ・コードの導入によるハリウッドの自主規制で映画で浮気を描写することが禁止されていました。その規制に引っかからないようにするために、カップルが一度離婚し、他の人と出会ってイチャイチャした上で、結局よりを戻して元の相手と再婚するという展開にしました。このスタイルは1930年代~40年代のロマンティック・コメディの1つの定番のパターンとなります。ジェームズ・スチュワートは役柄としては助演に近い存在なのですが、それでも本作でアカデミー賞「主演男優賞」を受賞しました。スチュワートは本作を経て2本のコメディと1本のミュージカルに主演します。その後、1941年2月には軍隊に入隊した最初のハリウッド・スターとなりました。一方、ケーリー・グラントは出演料の13万7千ドルの全額を、アメリカを拠点に英国民に支援を送っていた英国戦争安心協会に寄付しました。

『マルタの鷹』 (1941) / 監督/脚本:ジョン・ヒューストン

それまで脚本家としてキャリアを積んでいたジョン・ヒューストンの監督デビュー作となった本作は、アメリカのハードボイルド作家のダシール・ハメットの探偵小説を原作とした「フィルム・ノワール」の代表作です。フィルム・ノワールとは、第二次世界大戦後に生まれた表現で、虚無的でシニカルな世界観が特徴で、そうした指向性を持った1940年代~50年代のハリウッドの犯罪映画を指します。光と影のコントラスト(いわゆる“キアロスクーロ")を強調したライティング、ロー・アングルやワイド・アングルを多用したり、あえてカメラを水平にしないことで、時代の不安感や恐怖を反映しているのも特徴です。第二次世界大戦中はフランスはナチスに占領され、ハリウッドの映画の輸入は滞っていました。戦後になって初めて戦時中の映画作品を観ることができたフランスの国民は、それまでのハリウッド映画特有の明るい指向性ではなく、途端に暗い印象になったことにびっくりしたそうです。フランスの映画評論家のニーノ・フランクが『マルタの鷹』のような作品を総称して「フィルム・ノワール」と呼んだと言われています。

『市民ケーン』 (1941年) / 監督:オーソン・ウェルズ

世界映画史上の最高傑作の1つとして評価されている本作は、それまで主に演劇人として活躍していたオーソン・ウェルズの監督デビュー作です。「バラのつぼみ」という謎の言葉を残して亡くなった新聞王のケーンの生涯が回想形式で描かれています。主人公を実在の新聞王ウィリアム・ランドルフ・ハーストをモデルにしたとされていたことから、ハーストは映画館に本作を上映しないように働きかけました。そのため『市民ケーン』が広く観られるようになったのは50年代後半となりました。ハーストが本作の上映を妨害しようとした背景には、もう1つの別理由もあります。ハーストはモンロー主義者であったので、アメリカが欧州の戦争に介入することに反対していました。一方、ウェルズはフランス文化に強く憧れていたため、反ファシズム思考が強く、米国が軍事介入することに賛成していました。年老いた新聞王が、荒廃した大邸宅でヨーロッパからのオブジェに囲まれて孤独の最期を遂げるというストーリーは、ウェルズからの警告のメッセージだったのです。

『サリヴァンの旅』 (1942年) / 監督:プレストン・スタージェス

本作は大恐慌後に比較的真面目な映画へとシフトしたハリウッドを風刺している作品です。「現実逃避としての映画」の価値を訴えたコメディ映画の名作の1つです。中身のないコメディ映画を数々ヒットさせてきてお金持ちとなった主人公の監督は、次こそ社会派のテーマを取り上げた中身のある作品をどうしても製作したいと切願します。彼はそのリサーチとしてチャーリー・チャップリンが演じた浮浪者のようなキャラになりきって貧困の問題と向き合おうとする中で、様々なトラブルに巻き込まれるというストーリーです。最終的に監督が行き着く答えは、お笑いこそ、貧しい人々を元気付ける力があるということに気づきます。しかし、当時の映画評論家の中にはコメディという軽いエンタメのジャンルに社会的な意味を持たせようとしたスタージェス監督のスタンスを批判する声もありました。

『カサブランカ』 (1942年) / 監督:マイケル・カーティス

アメリカが第二次世界大戦に参戦した翌年に製作された本作は、ナチス・ドイツの支配下にあったフランス領モロッコのカサブランカを舞台にしたラヴ・ロマンス映画です。「カフェ・アメリカン」という酒場を経営するアメリカ人男性のリック(ハンフリー・ボガート)は、パリがナチスに陥落する前に、理由を告げずに去った恋人のイルザ(イングリッド・バーグマン)のことを今でも根に持っています。そのイルザがある日、チェコのレジスタンスの指導者である夫を連れてリックの酒場に現れると、何事に対しても中立だと言い張っていたリックは、愛する恋人と一緒になるか、2人がアメリカに亡命する手助けをするかという選択に迫られます。リックが“愛"より“大義"を選択するラスト・シーンは、アメリカの国民に向けたメッセージとして捉えることもできます。ただ、ヘイズ・コードの規制を考えると、リックとイルザが駆け落ちするというストーリー展開は事実上不可能であったことも事実です。


6.戦時中に製作されたハリウッドの戦争映画

『ヨーク軍曹』 (1941年) / 監督:ハワード・ホークス

本作は、第一次世界大戦中に実在したアルヴィン・ヨーク軍曹を題材にした伝記映画です。テネシー州の田舎町で暮らす農家のヨークとその家族は、困窮に陥り、希望のない日々を送っています。ある出来事をきっかけに、ヨークはキリスト教の信仰に目覚めます。しかし、第一次世界大戦が勃発すると、人を殺すことを禁ずる聖書の教えに反して国のために戦うべきか、自由を守りたいという意志を打ち抜くべきかという問題に悩みます。最終的に彼はフランスの激戦地に送られ、多くの戦友をなくすこととなります。そんな中で「これ以上戦友を失わないためには戦うしかない」と意志を固め、最終的に3つの最高勲章に輝くような戦果を上げ、国民的英雄としてアメリカに戻ります。この作品で主演のゲイリー・クーパーはアカデミー賞「主演男優賞」を受賞しました。

『凸凹二等兵の巻』 (1941年) / 監督:アーサー・ルービン

アメリカの伝説的なお笑いコンビ「アボットとコステロ」の出世作とされる本作は、1940年に施行された徴兵選抜訓練徴兵法を題材にしたミュージカル・コメディです。2人は警察から逃れるために映画館に逃げ込みますが、そこは新兵募集センターとして使われており、2人は誤って軍隊に入隊してしまいます。しかし、軍隊の訓練場では案外楽しいことが色々あることに気づかされます。本作は、アメリカ人を無能として描いているという捉え方もできるため、当時の日本政府はそこに目をつけて反米のプロパガンダ映像として利用したそうです。

『ミニヴァー夫人』 (1942年) / 監督:ウィリアム・ワイラー

ウィリアム・ワイラーは、ドイツ帝国領であったミュールハウゼンという町において、小物屋を営むユダヤ系の家庭に生まれました。彼には家業を継ぐ意志がないことに母親が気づくと、当時のユニバーサル映画の社長を務めていた遠縁の親戚に連絡し、ワイラーはニューヨーク本社で雑用係として働くこととなります。その後ワイラーは下積み時代を経て、1925年に映画監督としてデビューしました。30年代にはユニバーサルの主要監督の一人になっていたワイラーは、早くからヒトラー率いるナチスの勢力に不安を抱き、メッセージ性のある映画を作りたいと思うようになります。その作品が、第二次世界大戦初期の英国の田舎町の家族の日常を描いた『ミニヴァー夫人』です。映画のラスト・シーンで、廃墟と化した教会で牧師が必勝を呼びかける熱いスピーチは、アメリカ国民に向けたワイラーからのメッセージなのです。

『ミッドウェイ海戦』 (1942年) / 監督:ジョン・フォード

フォードは『怒りの葡萄』を発表した後、戦争を映画の題材として婉曲的に取り上げるだけでは、その本質を伝えるには限界があると感じ、自らアメリカ海軍への入隊を志願し、野戦撮影班「フィールド・フォト」を作ります。1942年6月にフォードはミッドウェー島に送られ、ミッドウェー海戦を撮影することとなります。島の攻略を目指した、山本五十六率いる日本海軍を待ち受けていたのは真珠湾攻撃から逃れていたアメリカ海軍の主力艦隊でした。このミッドウェー海戦で日本海軍は大敗北を喫し、これを機にアメリカが太平洋の制海権を握ることとなります。フォードが発表した『ミッドウェイ海戦』は、第二次世界大戦の様子を初めてカラーで捉えただけでなく、アメリカ軍の勝利を捉えた初めて作品だということで、アメリカ軍とアメリカ国民を奮い立たせました。

『総統の顔』 (1943年) / 監督:ジャック・キニー

ウォルト・ディズニー・プロダクションが第二次世界大戦中に製作した、ドナルド・ダックを主人公とした短編アニメイション作品です。ナチス・ドイツを舞台にドナルド・ダックがヒトラー、昭和天皇、ムッソリーニの肖像に敬礼させられたり、兵器工場で労働をさせられたりするという“悪夢"を描いた本作は、枢軸国をアニメで風刺したプロパガンダ映画です。本作はアカデミー賞「短編アニメ賞」を受賞しました。

『メンフィス・ベル』 (1944年) / 監督:ウィリアム・ワイラー

本作は、ドイツ領出身のユダヤ系ウィリアム・ワイラーによるフライングフォートレス爆撃機「メンフィス・ベル」の最後のミッションを捉えたドキュメンタリー映画です。ドイツに対する昼間爆撃を行なっていたアメリカ第8空軍では、25回の出撃を達成した爆撃機の搭乗員は帰国できる、ということをモチーフとした作品です。ワイラーは自ら爆撃機に乗り込み、爆撃や空中戦のシーンを撮影しました。撮影中にワイラーのチームのカメラマンが乗っていた別の爆撃機がドイツ空軍に撃墜されるという悲劇が起きました。ワイラーはこの作品を撮影した頃に、生まれ故郷のミュールハウゼンに戻る機会を得ています。そこでは、実家の小物屋のビルは残されていたものの、家族を含め近所のユダヤ系の住人はドイツ軍に連れ去られてしまっていました。きっとワイラーも死ぬ覚悟で爆撃機に乗り込んだのでしょう。

The Negro Soldier (1944年) / 監督:スチュワート・ハイズラー

アメリカへの移民としての根性を示したかったフランク・キャプラは、アメリカの第二次世界大戦参戦直後、アメリカ陸軍参謀総長からの依頼を受け、軍用教育映画シリーズの製作に取り掛かりました。1934年にレニ・リーフェンシュタールが製作したナチスのプロパガンダ映画『意志の勝利』に対抗するような作品を作る必要があると感じたキャプラは、最終的に7本の作品からなる『なぜ我々は戦うのか』という大規模なシリーズを製作しました。アフリカ系アメリカ人の士気を高め、“戦う意味"を訴えかけるために製作したのが『The Negro Soldier』という作品です。それまでハリウッド映画の定番となっていたような黒人のステレオタイプを一切用いらずに製作された本作は、人種間の融和を呼びかけたという点でも重要な作品とされています。

『コレヒドール戦記』 (1945年) / 監督:ジョン・フォード

フォードの第二次世界大戦後の復帰の第一作となった本作は、フィリピン周辺をパトロールするPTボート(高速魚雷艇)の部隊の苦戦を描いた作品です。この作品を通して、第二次世界大戦によってアメリカが犠牲にしたものにスポットライトを当てています。本作の原題“They Were Expendable"とは「兵士は消耗品でしかない」という意味です。主役の一人は“男の中の男"のジョン・ウェインですが、フォードは兵役に服しなかったウェインに対して、特に厳しい姿勢を示したといわれています。(戦争が勃発した時にはウェインは30代後半で、二等兵として参戦したくなかったからだといわれています。)

『我等の生涯の最良の年』 (1946年) / 監督:ウィリアム・ワイラー

ワイラーは『メンフィス・ベル』の続編として製作していたドキュメンタリー映画の撮影中に、乗り込んでいた飛行機の風圧と爆音で聴覚神経を痛めてしまい、右耳の聴力を完全に失いました。このことでワイラーは一時は途方に暮れますが、第二次世界大戦後には、市民生活に復帰した復員兵が直面する様々な社会問題をテーマにした『我等の生涯の最良の年』を発表し、アカデミー賞「作品賞」「監督賞」を始め、7部門で受賞する快挙をあげました。いわゆる現在で言うところの「PTSD」(心的外傷後ストレス障害)が障害として一般的に認知されるようになったのはヴェトナム戦争後ですが、本作はそのテーマにいち早く着目した重要な作品です。 MGMの経営者の一人であったサミュエル・ゴールドウィンは、「タイム誌」で復員兵についての記事を読んだ後に、このことを映画で表現したいと思い至ったといわれています。

『伝説の映画監督 -ハリウッドと第二次世界大戦-』 (2017年) / 監督:ローラン・ブーズロー

アメリカのジャーナリストのマーク・ハリスの著作を映画化した本作は、第二次世界大戦中のハリウッドに迫ったネットフリックス製作のドキュメンタリーです。スティーヴン・スピルバーグ、フランシス・フォード・コッポラ、ギエルモ・デル・トロ、ローレンス・カスダン、ポール・グリーングラスという現代のハリウッドを代表する5人の監督がインタヴューに答えています。戦時中にアメリカ政府のために映画製作を行ったことに対する5人の監督の葛藤を描いています。スピルバーグはウィリアム・ワイラー、コッポラはジョン・ヒューストン、デル・トロはフランク・キャプラ、カスダンはジョージ・スティーヴェンズ、グリーングラスはジョン・フォードについて語っています。


7.エピローグ

一般的に「ハリウッド映画=娯楽映画」というイメージがありますが、今回のコラムで見てきたように、ハリウッドの映画作品というものは国民感情を反映しているだけでなく、時に国民感情を操作してきた歴史があります。ハリウッドは映画産業の中心地となった1910年代の頃から、戦争を題材にした作品やメッセージ性のある作品を多く製作してきました。ハリウッドが発信してきた様々な“メッセージ"の中でも特に注目すべき点は、アメリカ人の団結を呼びかけているということです。

アメリカ人の愛国心を掻き立てる映画ジャンルといえば、何よりアメリカを象徴しているのが“ブロックバスター映画"(大作映画)といえるでしょう。アクション、戦争、災害などを描くことの多い大作映画のプロットを考えてみると、大概が「いかにもアメリカ人っぽいヒーローが外敵を倒す」「アメリカという国が世界を救う」という設定の作品ばかりです。アメリカという国に対する愛国心は作品の細かい描写にもよく表れています。例えば、プロローグで取り上げたマイケル・ベイ監督の映画作品には、必ずといっていいほど星条旗がたなびくカットが登場します。アメリカという国は歴史が短いからこそ、ハリウッドはこうしてアメリカをヒーローとして描き、アメリカの伝説を創り出そうとしているのでしょう。

現在でも、アメリカの映画館では予告編と一緒に新兵募集(“リクルート")の動画が流れることが多くあります。大きなスクリーンでハリウッド映画に負けない迫力を持った広告を見せられると、圧倒されるような感動さえ覚えます。特に移民の場合は、その感動とアメリカに対する“ありがたみ"が更に増幅されることでしょう。また、映画は様々なメディアの中でもターゲットをピンポイントに狙えるという媒体特性があります。例えば、アクション映画を観に行くような若い男性は特にそういった“メッセージ"に強く反応する可能性が高いのです。

現在、トランプ大統領が新型コロナウイルス感染症との戦いを“戦争"と呼びたがるのも、こういった歴史的背景があるからなのでしょう。外敵があってこそ、戦争があってこそ、アメリカ人という“眠れる巨人"は目覚め、団結して全力を発揮することができるのです。なので第二次世界大戦中にはフランク・キャプラのような映画製作者が『The Negro Soldier』のような作品を作り、人種間の融和を呼びかけました。しかし、コロナ禍にあってもトランプ大統領はむしろ社会の分断と対立を助長するような振る舞いをやめません。

現在(2020年7月)、アメリカ国民は外出を自粛し(一応、形ばかりです)、密接空間となる映画館も閉鎖され、ハリウッドの映画産業は事実上停止したままです。ネットフリックスなどの映画配信サーヴィスで発表される一部の作品を除いて、アメリカ社会の士気をこれまで支えてきた映画というエンタメはその役割を果たせていません。そういう事態においては、この新しいウィルスとの戦いにおいて、アメリカには勝算はないといえるのではないでしょうか。


CINEMA & THEATRE #055

アメリカのプロパガンダ映画の文化と第二次世界大戦中のハリウッド (後編) – 世界の映画史 (3)


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