メイン・コンテンツ
検索フォーム
“自撮り文化"とSNS時代における子育てについて
  - Eテレ『世界へ発信!SNS英語術』#NationalSelfieDay (2018/06/28放送) | LANGUAGE & EDUCATION #006
Photo: ©Marika Rinno
2021/08/16 #006

“自撮り文化"とSNS時代における子育てについて
- Eテレ『世界へ発信!SNS英語術』#NationalSelfieDay (2018/06/28放送)

columnist image
KAZOO
翻訳家 / 通訳 / TVコメンテイター

目次


1.プロローグ:楽屋オチ

この日のテーマは、6月21日の#NationalSelfieDay、「国民自撮りの日」でした。

アメリカ人は「~の日」というものを作りたがります。(日本人もそうですが。)元々は、歴代大統領が指定したものが多かったのですが、最近は「本当にこんな記念日を作る必要があったのか?」と疑問に思うような記念日も増えてきました。こうした動きは、平凡な毎日の中でも「楽しまなきゃ損」というアメリカ人独特のお気楽さがあるからなのではないでしょうか。

今回番組のために、特別にヴィデオ・メッセージを送ったインスタグラム・スターの“セルフィー・ダッド"(自撮りパパ)も、正にそんな陽気なアメリカ人の話です。彼がそもそもインスタグラムに投稿を始めたきっかけは、自分の娘が露出度の高い“セクシー・セルフィー"をインスタグラムにアップロードしていたことでした。その投稿に品のないコメントを残すインターネットの男どもをびっくりさせようと、服装からポーズ、それにタトゥーやピアスまで娘の自撮りを“完璧"に再現して投稿しました。すると、それが一気に拡散し、今や娘のフォロワー数を超えてしまうくらいの人気者となりました。

因みに、そのヴィデオ・メッセージと、合わせて投稿してくださった加藤さんのポーズを真似たセルフィーは、加藤さん本人には完全に内緒にされていました。今回もリハーサルを解説者と講師のみで行いました。本番中の彼女のリアクションは、演技なしの純粋なものです。しかも“セルフィー・ダッド"は、加藤さんのポーズだけではなく、衣装までをなるべく忠実に真似したいと思ったようで、加藤さんが履いていた黄色いスカートの代わりに、黄色いシャツを逆さにして履いていました。アメリカ人というのは、ふざける時は、本気でふざけるものなのです。


2.セルフィー文化はどこから来たのか

最近では、自撮り写真を撮る人や、自撮り棒を持った観光客を街の至るところで見かけるようになりました。今や“セルフィー"は、どこかの目的地を訪れるついでに撮るものではなく、それ自体が目的化しており、“セルフィー"のためにある目的地を訪れるようにさえなったと言っても過言ではありません。

このような自撮り写真を撮りたいと思う心理は、どこから生まれてくるのでしょうか。

アメリカ社会で生き抜くためには、自分に対して強い自信を持つことが必須条件となっています。もっと言うと、自信過剰であることこそが、良くも悪くもアメリカ人らしいとさえ言えます。この世には自分と同じ人間は、誰一人いないわけで、そんな自分のユニークさを祝福し、世の中へ発信することが“自撮り"と言う行為として表されていると言ってもいいのかもしれません。

既存のアメリカの社会体制からの離脱を目指した“カウンター・カルチャー"であった“ヒッピー・ムーブメント"でさえ、彼らが謳った“ラヴ・アンド・ピース"も結局は“自分のありのままを愛する"ことに繋がるということを考えると、ヒッピー世代の子供達がこうして自撮りを投稿することは、驚くことではないのかもしれません。

このようにSNSでは、誰もが、“主人公"になれるわけですが、その度が過ぎると世界は自分を中心に回っているのではないかと言う錯覚に陥り、自分の思い通りに事が運ばないと不幸にさえ感じてしまうという事態が起きてしまいます。

セレブ達の豪華すぎる自撮り写真を見て、自分の日常が物足りなく感じてしまうということも安易に想像できます。

自分にしかない自分らしさを祝うことが、目的だったはずの自撮り写真が、いつしか他人をうらやましく思わせ、嫉妬心を芽生えさせるためのツールになって来ているところもあるのではないでしょうか。


3.この日の衣裳について

Image
Photo: ©︎Marika Rinno

自宅用の全身鏡のススメ

今年の春、番組が開始する頃に、Scarletに勧められて自宅にも全身が写る鏡を購入しました。

一般的にはどうなのかは分かりませんが、少なくともそれまで僕は、浴室の鏡でヒゲ周りや髪型だけを確認し、あとは下を向いてズボンのチャックが空いていないことを確認するくらいでした。

全身鏡があることで、上半身と下半身の組み合わせや全体的なバランスを見るだけでなく、正面に加えて横のシルエットも確認し、シャツが出ていないか、ズボンに埃などがついていないかなどのチェックをするようになりました。

全身鏡を使うようになって思ったのですが、鏡で自分の服装をチェックせずに出かけることは、言ってみれば、印刷した大事なプレゼンテイション資料の表紙しかチェックせず、中身のペイジがちゃんと印刷されていて、順番も間違っていないことを確認せずに、本番に臨んでしまうことと同じなのではないでしょうか。

因みに、理想的にはクローゼットの横に1枚と、靴を履いた姿を確認するために玄関にもう1枚欲しいものですが、僕の自宅の玄関は狭いので、鏡を置くスペースが残念ながらありません。

「麻布テーラー」の緑のシャツ

「麻布テーラー」の緑のシャツ
以前「麻布テーラー」でオーダーしたシャツがとても気に入ったので、今年の夏シーズンに着るための、少しカラフルなシャツを新たにオーダーすることにしました。

夏仕様ということで、フロントを少し開けて着るために、カラーには“ドゥエ・ボットーニ"と呼ばれる、少し高い衿に第一ボタンの位置に2つのボタンが施されている形で注文しました。イタリアン・スタイルです。

シャツの前ボタン部分に付けられる帯状の“前立て"も、今回は無し(裏前立て)で注文してみました。英国や米国のドレスシャツは、前立てがあることが主流ですが、イタリアやフランスのオシャレな人々は、前立てをなくすことでスッキリとした印象を演出するのです。

「タビオ」の緑のソックス

「タビオ」の緑のソックス
『タビオ』の「メンズ パワーフィット2×2リブソックス」(1,080円)シリーズの、今回はグリーンを履きました。

「ユニバーサル・ランゲージ」のダブルスーツのジャケット

「ユニバーサル・ランゲージ」のダブルスーツのジャケット
ダブル・スーツは英語では「ダブル・ブレステッド・スーツ」と言い、左右の部分を大きく重ね合わせ、前のボタンが2列配備されているものを指します。ボタンが1列あるシングルに比べ、よりフォーマルな印象を与えます。

6つボタンと4つボタンのものがあり(8つボタン、2ボタンのものも存在するそうです)、近年は6つボタンが主流になっているようです。基本的に真ん中のボタンしか留めないシングルに比べて、ダブルの場合、様々なボタンの配列や留め方があります。

『ユニバーサル・ランゲージ渋谷店』で作ったこのジャケットは「6×2」というタイプで、基本的な着方としては真ん中のボタンを留め、下のボタンは留めません。また、形が崩れないように、内側に締める機能的なボタンが1つあるのですが、このボタンを閉めるのが僕に難しく、閉めようとする度に自分の不器用さを思い知らされます。(ちなみにこのボタンは英語では「ジガー・ボタン」や「アンカー・ボタン」と言うそうです。)

ダブル・スーツのもう一つの特徴は、ラペルの先端が尖っている「ピークド・ラペル」であることです。この形によってより胸幅が広く見え、全身のシルエットがいわゆる「逆三角形」になります。(ちなみにこれに該当する英語はhourglass shape、つまり「砂時計型」と言います。)ただ、ある程度身体付きがしっかりしていないと、ペナっと見えてしまうというハードルがあることも事実です。そういう意味では、野球選手など、スポーツ選手にはとても良く似合います。

「グローバル・スタイル」の黒いスーツのズボン

「グローバル・スタイル」の黒いスーツのズボン
・この商品は、以前紹介したのでFASHION & SHOPPING #005を参照してください。

「パラブーツ」のアヴィニョン

「パラブーツ」のアヴィニョン
この商品は、以前紹介したのでFASHION & SHOPPING #006を参照してください。

「ゾフ」の黒いメガネ

「ゾフ」の黒いメガネ
この商品は、以前紹介したのでFASHION & SHOPPING #006を参照してください。

4.エピローグ:SNS時代における子育てのあり方

Image
Photo: ©︎Marika Rinno

SNSが普及したこの時代において、「子供のSNSとの付き合い方」とは、とても重大なテーマとなっています。子供に一生ついて回ることになる“デジタル・フットプリント"を自らの手で守ろうと、赤ん坊や幼い子供のSNSアカウントを事前に登録する親も出て来ているほどです。

幼少期には、ある程度デジタル端末やインターネットへのアクセスについては親が注意することで、制限することができます。しかし思春期になると、利便性にせよ、社交的な理由にせよ、スマホを使わざるを得ない世の中になりつつあることは否めないでしょう。何しろ、彼らは“デジタル・ネイティヴ"世代として、デジタルやSNSに関するリテラシーがあることが大前提とされているのです。

そんな時代においては、ティーネイジャーは、自分のした投稿のひとつの反応で自らが傷ついたり、誤って押してしまった“いいね"によって、この世が終わってしまったと思うようなひどいことに巻き込まれたりすることを忘れてはいけません。“セルフィー・ダッド"のような行為は、そういう苦しい議論に対して、バカバカしい方法によって、その危険性を気付かせる役割があったのかもしれません。

SNSに自分の日常を投稿することが当たり前すぎて、なんとも思わないようになってしまったティーネイジャーの場合でも、自分の父親がこのようなことをしたら、恥ずかしさのあまり「本当にSNSってクールなのだろうか?」と思うような“リバース・サイコロジー"が働くかもしれません。

この“セルフィー・ダッド"がやっていることは、ある意味SNS時代における「ティーネイジャーの育て方」の1つの新しいあり方なのかもしれません。

因みに、その後も“セルフィー・ダッド"のアカウントを見る限り、そのユーモアのセンスは今も健全のようです。


LANGUAGE & EDUCATION #006

“自撮り文化”とSNS時代における子育てについて - Eテレ『世界へ発信!SNS英語術』#NationalSelfieDay (2018/06/28放送)


Page Top