1.今週のテーマ#FridaysForFuture
2019年度の3回目のテーマは #FridaysForFutureでした。
直訳すると“未来のための金曜日"ですが、これはスウェーデンの少女、グレタ・トゥーンベリが呼びかけた、地球温暖化対策を求める若者による大規模なデモ運動です。トゥーンベリは2018年8月から毎週金曜日に学校を休み、スウェーデンの国会議事堂の前に座り込んで温暖化対策を訴えてきました。自分の活動をツイッターやインスタグラムに投稿したことによって、世界中から注目が集まり、その後#FridaysForFutureはドイツやベルギー、英国などのヨーロッパの国だけでなく、アメリカやオーストラリアなどにおいて、高校生を中心に毎週金曜日にストライキが行われるようになりました。ここで注目すべきは、この運動がキリスト教の影響の強い西洋文化圏の国が中心であるということです。
アメリカでは、ドナルド・トランプ大統領が2017年6月に「パリ協定」から脱退を発表して以降、温暖化対策を訴える運動は勢いを増しています。2018年にカリフォルニア州で発生した過去最大規模の山火事や、フロリダを中心にアメリカ南東部を襲った大型のハリケーン・マイケルなど、度重なる自然災害の発生も、この問題に関心が集まっている大きな要因でしょう。様々な統計を見ても、多くのアメリカ人が地球温暖化を懸念しているようです。
今回 は、主にアメリカを中心とした、環境保護運動にまつわる言葉や人物を紹介し、時代の推移とともにそのニュアンスや使われ方がどのように変化したかについて見ていきたいと思います。
2.20世紀前半までの“ロマン主義者"と“ナチュラリスト"たち
アメリカにおける環境保護活動は、19世紀のアメリカの思想家にルーツがあります。18~19世紀のヨーロッパのロマン主義に強い影響を受け、感受性や主観に重きをおいた彼らは、 “自然"(nature)や“荒野"(wilderness)の美と神秘を1つのテーマとしていました。
例えば、思想家のラルフ・ワルド・エマーソンは、1836年に『自然について』というエッセイの中で、自然は神の象徴であると訴え、社会の中で生きる私たちは“自然"というものを当たり前な存在としてないがしろにしていると説います。人間は社会を離れ、独りで自然を経験する(=目で観ることではなく、体全体で感じ、一体となること)ことでしか、その美は知ることをできず、もっというとはそれは“神の存在"を感じるスピリチュアルな経験であるといっています。
『自然について』をハーバード大学在学時に読み、エマーソンとの親交も深かった思想家のヘンリー・デイヴィッド・ソローは、エマーソンの考えを更に深めました。エマーソンが勧めた孤独と自立性を有言実行すべく、ソローは、マサチューセッツ州にあるウォールデン池沿いの森に居住し、小屋で2年間の自給自足の生活を送りました。その体験を綴った回想録『ウォールデン 森の生活』で、大自然の素晴らしさを訴え、その後の環境保護運動に大きな影響を与えました。また、文明や社会から離れた未開の自然は自由の象徴とし、人間は野生(wildness)に触れることで自主性や社会の枠にとらわれない自由な思想を得ることができると訴えました。こうして市民的不服従を正当化したソローは、インドのマハトマ・ガンディーをはじめ20世紀の政治・社会の活動家にも大きな影響を与えました。
ソローの著作に感銘を受けたスコットランド出身のアメリカ人、ジョン・ミューアもアメリカの環境保護運動を語る上で忘れてはならない人物です。ミューアは、個人や自主性を中心とした超越主義に内在していた人間のうぬぼれに気づき、自然中心主義や生命中心主義的な思想から「自然と人間との共生」を訴えるようになりました。西部開拓やゴールドラッシュによって西海岸の人口が急上昇し、自然豊かな土地の開発が計画される中、彼はそれに反対し、生涯をかけてカリフォルニア州の東部を縦貫するシエラネバダ山脈をはじめ、アメリカ西部の大自然を守り続ける運動を行いました。そのため、アメリカの“国立公園の父"として知られます。
一方で、共和党の政治家であり、農務省の国有林管理部門の初代の長官を勤めたギフォード・ピンショーは、自然環境を人間のための資源としてみなし、それ“賢明な利用"(wise use)こそが自然の最良の用途であることを訴えました。極端にいうと、ミューアら環境保護主義者(preservationist)の視点からは「自然そのものの存在に価値がある」としたのに対して、ピンショーらの環境保全主義者(conservationist)の視点からは、それは「いかに持続可能な方法で人間に役立たせるかに存在価値がある」としました。西部開拓が進んだ19世紀後半と20世紀前半において、この思想の違いは大きな隔たりとなります。
そして、写真家のアンセル・アダムスもアメリカの自然保護運動の重要人物です。サン・フランシスコで生まれたアダムスは、17歳の時にミューアが立ち上げた自然保護団体「シエラクラブ」に加入し、登山家としてシエラ・ネバダ山脈の登山を行うと同時に写真家としての腕を磨いていきました。鋭いフォーカスと豊かなトーンによる秀逸な描写と暗室での技術で知られ、ミューアが守ろうとしたアメリカの大自然とその尊厳を記録したその風景写真の数々は、環境問題への注目を集める重要な役割を果たしました。
3.20世紀後半の “ヒッピー"と“ツリー・ハッガー"
1960年代頃には、“環境主義"(environmentalism)という言葉が一般的になりました。これは前述の環境保護主義も保全主義も含む包括的な表現ですが、“環境主義"の根本にあるのが、空気汚染や水質汚染などの環境問題に取り組もうとする姿勢です。産業化や森林破壊が進む中、それまでは大自然を守ることに専念していた環境保護運動は、環境汚染とそれに対する政治対策の必要性を訴え始めたのです。
この環境主義運動と並行して出現し、重なる部分もあったのが“ヒッピー・ムーヴメント"です。サン・フランシスコをひとつの中心地として成長したこのカウンターカルチャー運動は、前述のソローなどが勧めた自由な発想に感銘を受け、髪の毛を伸ばしたり、ジーンズとサンダル(あるいは裸足)というスタイルでそれまでの社会のあり方に疑問を投じます。男はヒゲを生やし、女性はノーメイクやノーブラ姿、服装をリサイクルショップで入手するなど、そのライフスタイルは、企業文化や消費者主義(consumerism)に真っ向から対抗した行為でした。そして、彼らは帰農運動、有機農業、代替エネルギー源の使用を謳い、また、ピースマークを掲げ、平和主義(pacifism)、戦争反対、人民権運動を呼びかけました。彼らが実行した座り込みや抗議デモには、今回取り上げた#FridaysForFutureと共通した活動家精神(activism)が根底にあります。
しかし、ヒッピーたちの行き過ぎた行動や環境保護運動に反感を覚えた人々も多くいました。彼らは“ツリー・ハッガー"(tree hugger)という言葉を使うようになります。この表現はもともと、インドにおいて森林伐採に対する抗議として、女性たちが木に抱きついた(hug)ことに由来します。つまり、本来は自分の命を張って森林を守ろうとする心構えを指しました。しかし、アンチ・ヒッピーの傾向が広まる中、アメリカにおいてこの言葉は軽蔑的な表現として用いられるようになりました。
例えば、ツリー・ハッガーは自然を愛するのだとしたら、それはすなわち人間を嫌っていることを意味する、というというニュアンスを含むようになります。自然と人間がまるで相容れないものであるかのように。彼らは人付き合いが苦手で、ある種、今でいう“オタク"であるというイメージが“ツリー・ハッガー"に植えつけられました。
また、そもそも男性優位のアメリカ社会においては、“hug"(抱擁)という行為には、母親が子供を甘やかすような、女々しい、感傷的なイメージがありました。言い換えると、女性を“ツリー・ハッガー"と呼ぶことには女性蔑視意識の現れであり、男性を“ツリー・ハッガー"と呼ぶことはその人が“男じゃない"、つまり同性愛者である、という意味を含めた表現として用いられました。
こうしてアンチ・ヒッピーたちや環境主義者の行動に反感を覚えた人々によって、環境保護運動に賛同する人々は“弱者"として軽蔑されるようになり、そのマイナス・イメージは、今でも払拭されない部分があります。ただ、近年では、環境主義者の中でも“ツリー・ハッガー"を敢えて使うような人が増え、その表現の本来の意味を取り戻そうとしている動きもあります。
4.“地球を救う"人間の自惚れ
70年代以降は、環境汚染によって引き起こされると考えられる問題が次々と注目されるようになり、アメリカ合州国環境保護庁が発足しました。また、太陽からの有害な紫外線の多くを吸収しているオゾン層の破壊が世界的問題となりました。洗浄剤として使用されていたフロンなどの化学物質によってオゾン層が破壊され、皮膚ガンや結膜炎などが増加すると考えるようになりました。
80年代には、酸性雨や地下水汚染などの問題が取り上げられました。また、79年のスリーマイル島原子力発電所事故に引き続き、86年のチェルノブイリ原子力発電所事故が起こり、原子力を巡る論議がひとつのピークを迎えました。そして80年代末には熱帯雨林を守る運動が頭角を現しました。
90年代に入ると、地球温暖化は国家を超えた問題として注目されるようになりました。アメリカでは、“温暖化"(global warming)と“気候変動"(climate change)という2つの表現の用法が注目されます。僕が学校の科学の授業で学んだのは“global warming"という言葉であり、一般的にも当時は“global warming"という言葉を聞く割合が非常に高かった覚えがあります。僕も含め、周りの子供たちは、このまま進めば地球上がサウナ状態と化す恐れを強く感じていました。
しかし、2000年代になると、“ climate change"という言葉も“global warming"と同じくらい使われるようになります。ここ数年では圧倒的に“climate change"という表現を聞く頻度が多くなってきた気がします。この表現が多用されるようになったのは、偶然ではありません。気温が一方的に上昇するイメージがする“温暖化"に対して、“気候変動"は環境汚染によって引き起こされる様々な異常気象をイメージさせるからです。
そんな中、注目すべきはアメリカ元副大統領のアル・ゴア主演の2006年のドキュメンタリー『不都合な真実』です。映画で取り上げられるデータの見せ方やプレゼンテイションは過激で、「人騒がせ」であるとも指摘されていますが、アメリカだけでなく世界各国において、環境問題に対する意識を高めたことは間違いありません。
こうした流れを受けて、今では個人のカーボン・フットプリントを最低限に抑えた、環境に優しいライフスタイル(いわゆる“ロハス")を送る人が増えてきました。こうしたライフスタイルにまつわる用語も増えてきました。例えば、地元産の食材を食べる人のことを“locavore"(localと “~食動物"を意味する接尾語 -voreを合わせた造語)と言い、環境に優しい生活スタイルを送るパートナーを求めるような人を“ecosexual"と言います。それだけ環境問題が日常の中に溶け込んできた証しです。
ただ、うがった見方をすると、人間が自然や環境そのものを尊んでいる訳ではなく、自然や環境をあくまで自分のアイデンティティとして利用しているともいえるでしょう。“Save the planet" (地球を救え)を始めとする環境運動のスローガンにも、自然が人間の支配下にあるかのような勘違いさえ感じ取ることができます。
このように、言葉は自己を表現するための手段であり、同時に他人にレッテルを貼るための武器でもあるのです。また、身の回りの環境とこの惑星を自分の支配下におくためのツールでもあることに注視しなくてはなりません。
5.日本で生活するようになって
アメリカで生活していたティーンエイジャーの頃は、“自然"と“人間"というものは、そもそも対立しているということが大前提であり、その対立を克服する手段として環境問題があるように感じていました。
“自然を大切にする"という概念自体が、“自然"と“人間"を区別していることに気がつきませんでした。
しかし、大学を卒業し、日本での生活が長くなるにつれて、そもそも“人間も自然の一部である"という感じ方になって来ました。
一神教である欧米のキリスト教の文化圏においては、人間と自然は、完全に対立した概念であります。しかし、日本の神道をはじめ、インドのヒンドゥー教や仏教などの多神教の文化圏においては、人間と自然が一体化することを“善"としています。
日本で生活しているこの10数年の間に、東日本大震災をはじめ、多くの自然災害も経験しましたが、日本では、多くの“自然の恵み"も経験しています。四季折々の気候の変化、それに伴う“旬"の食材などです。
アメリカでの弱者へのサポート、いわゆる“ヴォランティア"の多くは、キリスト教の教えに基づいているものがほとんどなのですが、日本における災害者などへのサポートは、“自然に発生する絆"によるもののように感じられます。
いつまでも若さを不自然なまでに保とうとするアメリカの金持ちに対して、自然に年を重ね、即位なさる天皇陛下の存在がその象徴のように思われます。
6.今週の衣裳について
「ブルックスブラザーズ」のイエローのチノパン
「タビオ」のベイジュのソックス
「ゼルビーノ」の赤いジャケット
このジャケットも、今の流行りを参考にして、丈をし少し短めにしてもらいました。また、“マニカ・カミーチャ"という、ナポリ仕立てに用いられる伝統技法の仕立てにしてもらいました。一般的なスーツでは肩と袖の生地が平らにつながっているのに対して、“マニカ・カミーチャ"はワイシャツの袖のように、肩の方の生地が袖の方に覆いかぶさるようにして形成される技法のことです。それによって軽くて着心地も良く、動きやすい仕上がりになっています。
また、すっかり僕のお気に入りのスタイルとなった段返りの三つボタンで、アウターのポケットというスタイルでオーダーしました。平織りの赤いウールの生地もとても柔らかく、出来上がったジャケットは生地の質感が素晴らしい仕上がりになりました。
「西武渋谷」の赤いボタンダウン・シャツ
生地はフランスのパリで設立された老舗生地メイカー「ランバン」のものです。世界中のセレブにも愛されているブランドで、今までの生地にはなかったエレガントな雰囲気が漂うものになっています。カジュアルなパーティーなど華やかなお祝いの場にも着ていきたい仕上がりになっています。
生地を選んだ時点では分かりませんでしたが、出来上がったシャツをよく見ると少し光沢があり、ワンランク上の生地ならではのしなりもあります。やはり生地を選ぶ段階で魅力的なものは、シャツとして出来上がるとより一層上質さが引き出されることに気付きました。
「MFYS」の正方形ウッド・カフス
「レッド・ウィング」のチャッカ・ブーツ
「ゾフ」の茶色いメガネ
7.エピローグ:スタイリスト・Scarlet によるコウディニットのポイント
これまでも何度もご説明しているように、この番組のスタジオ収録は、ブルーバック+CGによる撮影なので、青色系の衣裳を使用できません。
また、この番組に限らず、テレヴィではストライプやチェックなども“モワレ"が出やすいので、基本的にNGとなります。
『世界へ発信!SNS英語術』のCGによる背景は原色を多用したとてもポップなカラーリングのため、それにどう合わせるのか、もしくは、対比させるのかがとても難しいのです。
2018年度は、こうした中、様々なスタイリングに挑戦し、この現場に合うコウディニットのノウハウを蓄積したつもりです。
今回は、前回の「ブルックス・ブラザーズ」のピンクのチノパンツと同時に入手した、キレイなイエローのチノパンツを中心にコーディニットを組み立てました。
基本としては、アッパーは淡い色にするべきなのでしょうが、CGによる背景のことを考慮し、敢えてコントラストが出るように、赤色のボタンダウンのシャツと、深い赤のジャケットを合わせてみました。
街中で着ると、このスタイルは、あまりにもインパクトがある配色なのですが、この番組の背景には、ちょうど良い感じになりました。
MCのはるひさんとゴリさんはこの日、2人ともベイジュ色の落ち着いた衣裳だったので、KAZOOのこのカラフルなスタイルで、バランスが取れたことも良かったと思います。
コントのシーンで、ゴリさんのピカピカの靴とKAZOOのピカピカのチャッカが競い合っているようで、スタイリストとしては、少し面白い感じがしました。