1.今回のテーマ、#DadJokesについて
今回のテーマは、6月16日の父の日にちなんで、#DadJokesでした。“dad joke"とは日本語で言う“親父ギャグ"のことで、中高年層のお父さんが好む、ダジャレや語呂遊びの要素を用いた安直なギャグのことです。
番組では、いくつかの定番のダッド・ジョークを紹介しました。
例えば、同じ音だけど違う意味を持った同音異義語を使ったもの:
“What do you call someone with no body and just a nose? Nobody knows,” #dadjokes
— Elevation Books (@elevation_books) June 13, 2019
(体がないが鼻がある人のことをなんて呼ぶ?誰が知るもんか)。
“no body"(体がない)と“nobody" (誰も~ない)、“nose"(鼻)と“knows"(知る)をかけたギャグです。
あとは、2つの意味がある単語を使ったもの:
After 20 years working on it, I finally finished my physics book..
— Dad Jokes (@Dadsaysjokes) June 11, 2019
...it was about time.
(20年間に渡る執筆を経て、ようやく物理学についての本を完成させた・・・
・・・そろそろ終わらせてもいい頃だった。)
ここでは、 “it was about time" に2つの意味があります。慣用句 “it’s about time" は「そろそろ~してもいい頃」という待ちかねている様子を表しています。一方で、“it"は「本を書き終えたこと」ではなく、「本の内容」を指しているという捉え方もできます。その場合、“it’s about time"は「(その物理学書は)時間についての本だった」という意味になります。
このようにダッド・ジョークというものは、Q&Aや謎かけの形をとることが多いものです。
アメリカン・ジョークは、基本的に期待を高める“フリ"(“setup")と“オチ"(punchline)で構成されています。日本のお笑いでは、この2つの要素に加えて、オチをフォローしてどこが面白かったかを説明する“ツッコミ"の要素が加わります。アメリカのお笑いにはツッコミ役は通常いません。そもそもアメリカのダッド・ジョークにせよ日本の親父ギャグにせよ、どちらも突っ込むまでもないほど単純でくだらないネタといえます。
ただ、ネタそのものはつまらないものなのかもしれないですが、どこか相手を憎めない誠実さがこの類の冗談にはあります。その背景にある心理は、「子供や家族に好かれたい」という父親の切実な願いなのではないでしょうか。
父親というものは、どこの国においても、子供のために身を粉にして尽くし、ありったけの愛を注いで子供に喜んでもらうと努めるものです。しかし、子供が幼少期の間は「カッコいいパパ」と慕われていたのに、思春期を迎えると手のひらを返したように「ダサいパパ」や「キモいパパ」と煙たがれるものです。それでも、父親はあらゆる手を使って子供の心を引き戻そうとします。ダッド・ジョークは、中高年層と若者の世代間にある意識や価値観のズレの表れなのです。そして「父親という生き物の悲劇」の縮図であるとも言えるのです。
2.“father"と“dad"の違いについて
なぜFather’s Dayは“father"なのにdad jokesは“dad"なのか。
“father"と言う言葉には威厳のある、堅苦しいニュアンスがあります。例えばアメリカの“建国の父たち"は“founding fathers"ですし、キリスト教の神のことは“heavenly father"(父なる神)ともいいます。「母なる自然」(Mother Nature)や「母なる大地」(Mother Earth)に対して、時間を人格化した “Father Time"という表現も存在します。そして、父親代わりの人のことを“father figure"といい、理想的な「父親像」のような人を指す時にも使います。
また、“dad"に比べて“father"には生物学的なニュアンスがあり、「生物学上の父親」を意味することが多いです。そこから転じて、「生みの親」のような意味合いでも使われます。なので、“the father of modern literature"は「現代文学の父」という意味になります。
一方で“dad"という表現には、生物学的というよりも家庭的なニュアンスが含まれます。子供のために尽くし、子供の宿題を手伝ったり、一緒にキャッチボールをするなど、子供のために尽くす愛情深い父親が“dad"なのです。子供ができれば、「男は誰もが“father"にはなれるが、その子供に愛情を注ぐことで初めて“dad"になる」とも良く言われます。
その愛情深さと表裏するのが、前述の「子供や家族に好かれたい」という気持ちです。そのため、“dad"にはイタイほどフレンドリーで、少しダサいニュアンスが含まれます。例えば、アメリカ人は毎朝、自分専用のマグカップでまずいコーヒーを飲むのが習慣ですが、アメリカの父親は決まって“World’s Greatest Dad"(「世界一のパパ」)と書かれたマグカップを使いたがります。堂々と“dad"らしさを表に出す、そんな父親像を凝縮したのがダッド・ジョークにあるユーモアのセンスなのです。
ダッド・ジョーク以外にも、“dad"に関連した熟語はいろいろあります。例えば、父親が良く履いているようなジーンズを “dad jeans"といいます。サイズが少しぶかぶかで、色が淡いブルーで、そこにシャツをタックインするのがお決まりのスタイルです。そして“dad jeans"と必ずペアで履かれるのが“dad sneakers"です。矯正靴だとからかわれるくらい厚いソールが特徴で、その定番モデルが「ニューバランス」の『990』です。こういった“dad fashion"の1つの代表格が、故・スティーヴ・ジョブズでした。(ジョブズが愛用していた黒いタートルネックはイッセイ・ミヤケのものですが。)
また、仕事や子育てで忙しくなり、運動しなくなって中年太りした“親父体型"のことを“dad bod"といいます。(“bod"は“body"の砕けた言い方です。)これは中高年者を軽蔑しているわけではなく、愛情を込めて、からかい程度のニュアンスを含めた表現です。もっというと、“dad bod" を称賛し、魅力的だとする女性たちもいるくらいです。(アメリカの女性はクマのぬいぐるみのような体型をしているような男性を好む傾向があります。)最近では、子供がいてもいなくても、“おじさん"の年齢になって中年太りした体型のことも “dad bod" というようになりました。
そんな“dad bod”に関する定番のダッド・ジョークがあります。
This is not a dad bod. This is my father figure.
(これは“親父体型”ではない。僕にとっての“父親像”だ。)
前述のように“father figure”は「父親代わり(の人)」「父親像」という意味ですが、“figure”には「体型」「容姿」という意味もあるのです。
3.“寒い"空気を生み出す日本人の親父ギャグ
アメリカの“ダッド・ジョーク"に対して、日本にもそれに相当する立派な“親父ギャグ"という文化があります。
日本人なら誰もが言ったことのある親父ギャグの定番といえばこちらでしょう:
布団が吹っ飛んだ。
(The futon flew away.)
他にも、
こんにゃくを今夜食う。
(I will eat devil’s tongue tonight.)
犬がいぬ。
(The dog is not there.)
猿がさる。
(The monkey left.)
など、ダッド・ジョークと同じように同じ、あるいは非常に似た音を持つ言葉をかけた“ダジャレ"(pun)を用いた親父ギャグが一般的です。
こうした親父ギャグに対する日本人の反応といえば、「くだらない」「つまらない」「リアクションに困る」などが一般的でしょう。こういった反応はアメリカにおいても普通のリアクションです。その中でも日本人特有で、特に興味深いのが、「寒い」というリアクションです。日本人からすると、つまらないネタやくだらないギャグは、その場の雰囲気をしらけさせ、(そこにいる人の気持ちを支配するとされる)“空気"を一気に壊す力があるようです。
一方で、アメリカ人はその場の“空気"を気にする傾向は少ないので、相手1人1人からどのような本能的反応(あるいは拒絶反応)を引き出せるかだけを重視します。つまり、相手にむせるくらい大笑いさせることを目的としたジョークもあれば、相手を呆れさせて唸り声(groan)を引き出そうとするジョークもあるのです。まさにダッド・ジョークは後者に部類されるものなのです。相手が笑ってくれなくても、唸り声を引き出すことができれば、それは成功と言えます。良いダッド・ジョークとは、“groan-worthy"(唸るに値するもの)なのです。
アメリカ的な“dad"と日本的な“親父"を掛け合わせたような存在なのが、外国人タレントのデーブ・スペクター氏です。
スペクター氏は、テレヴィではもちろんのこと、ツイッターでも日々親父ギャグを連発しています。
梅干しを投げるヒーロー→スッパイダーマン
— デーブ・スペクター (@dave_spector) June 13, 2019
梅干しを投げるヒーロー→スッパイダーマン
(What do you call a hero who throws umeboshi? Suppaida-man)
6月誕生日の人へ→ハッピーバースデー梅雨~~♪
— デーブ・スペクター (@dave_spector) June 10, 2019
6月誕生日の人へ→ハッピーバースデー梅雨~~♪
(To everyone with a June birthday: “Happy Birthday Tsuyu♪”)
因みに、スペクター氏は自身のジョークのことを“クール・ギャグ”と呼んでいるようです。これは親父ギャグを「寒い」とする一般認識と、スペクター氏本人が親父ギャグをとてつもなく「クール」だと思っていることをかけているのでしょう。
4.アメリカ人は、なぜダッド・ジョークが好きなのか
「純粋に笑うこと」を目的とした日本のお笑いと違って、アメリカにおけるコメディは、「権力者に都合の悪い真実を突きつけること」「ステレオタイプに疑問を投げかけること」など、エンタメ以外の社会的な役割を担うことが多いものです。そのため、アメリカでは政治ネタのコメディが多く、そこには多くの場合、痛烈な批判や怒りの意が込められています。政治ネタを扱わないことはむしろ不自然、もっというとそのコメディアンはガッツがないとさえ見られることがあります。
一方で日本の漫才やその他のお笑いは、政治ネタを扱うことはあまりありません。個人1人1人を笑わせることを目的とするアメリカのコメディとは違って、日本のお笑いはその場の“空気”が全てなので、意見の対立がありそうな話題や空気を気まずくするタブーなテーマを敢えて避けるのでしょう。みんなが笑えるネタを追求します。
とはいえ、近年はアメリカの政治・社会状況が混乱しているため、一般市民は政治ネタに疲れている傾向があります。リアリティ番組のホストを長年やってきたドナルド・トランプ氏が大統領になり、アメリカ政府そのものがある意味リアリティ番組化した現在、現実はあらゆるコメディを超えた喜劇(もしくは悲劇)になってしまったのです。
そういった背景があることから、近年ダッド・ジョークが再び注目されるようになってきています。くだらないネタは、政治的な見解に関係なく笑えるものであり、下ネタ(“dirty jokes”)は含まれないので老若男女問わず楽しむことができます。そもそも“dad joke”という言葉自体も、2000年代に定着したものだとする説が有力です。Amazonで検索しても、ここ数年だけで10冊以上のダッド・ジョークを集めた書籍が発売されています。
ポイントは、ダッド・ジョークには、“dad”と言う言葉と同じように、温厚で遊び心のあるニュアンスが含まれているということです。誰かを批判したり笑い者にすることが目的ではなく、みんなが「つまらないなあ」と唸り声(groan)をあげてもらうことを目的とした冗談なのです。今の時代、アメリカ人が必要としている鎮痛剤のようなものなのかもしれません。
最後に、定番のダッド・ジョークをもう1つ。
When does a joke become a dad joke?
When the punchline is apparent.
(ジョークはいかにしてダッド・ジョークになる?オチが明らかである時。)
これは“apparent”(「明らか」「明白」)と“a parent” (「親」)をかけたものです。