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20世紀の“日本的"な日本人の映画監督 (後半)
  - 海外で評価されている日本人の映画監督 (3)
  - 大島渚/山田洋次/深作欣二/伊丹十三 | CINEMA & THEATRE #036
2022/12/19 #036

20世紀の“日本的"な日本人の映画監督 (後半)
- 海外で評価されている日本人の映画監督 (3)
- 大島渚/山田洋次/深作欣二/伊丹十三

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KAZOO
翻訳家 / 通訳 / TVコメンテイター

目次


CINEMA & THEATRE #035『20世紀の“日本的”な日本人の映画監督 (前半)』に引き続き、CINEMA & THEATRE #036『20世紀の“日本的”な日本人の映画監督 (後半)』を公開します。


6.大島渚

大島渚は、戦後の日本において「社会的制約」「日本人のアイデンティティ」「性」「政治」など、それまでタブーとされていたテーマを取り上げ、古典的な日本映画の作風に背を向けた“日本のヌーヴェル・ヴァーグ"の重鎮である監督です。京都大学卒のインテリである大島は、先鋭的なアーティストであると同時に、物議を醸すことを厭わない扇動者でもありました。世界的には性表現のタブーに切り込んだということで“悪名高い"のですが、キャリアを通して現代日本の様々な課題に焦点を当ててきたことも、徐々に海外からも評価されるようになってきました。

『青春残酷物語』 (1960年)
大島の2本目の監督作品です。映画の興行的ヒットによって注目が集まり、作風である反権威の姿勢が、フランスの映画運動“ヌーヴェル・ヴァーグ"と似ていたことから、大島を含む松竹出身の数人の映画監督たちは“松竹ヌーヴェル・ヴァーグ"と呼ばれるようになりました。大島は、この作品で第11回ブルーリボン賞の新人賞を受賞しました。

『愛のコリーダ』 (1976年)
阿部定事件を題材にした日本とフランスの合作映画です。男女の愛欲を描いた性描写には、実際に性交を行なったシーンも含まれており、当時日本で公開するに当たって大幅にカットと修正を行う必要がありました。海外でも様々な物議を醸したものの、その芸術性が高い評価を得ました。

『戦場のメリークリスマス』 (1983年)
世界的にもヒットした、大島唯一の英語で撮影された作品です。第二次世界大戦の日本軍俘虜収容所を舞台に、捕虜の虐待や武士道の精神、そして4人の男の奇妙な人間関係を描いたドラマです。本作で坂本龍一は俳優として出演するだけでなく、初めて映画のサントラも担当し、英国アカデミー賞において作曲賞も受賞しました。映画と同タイトルの曲は今やクリスマスの定番曲となりました。


7.山田洋次監督 (1931年~)

大島渚ら“松竹ヌーヴェル・ヴァーグ"と評された監督が注目されて独立していく中、比較的地味な存在だった山田洋次は、松竹に止まり(とどまり)、地に足をつけた日常や人間ドラマに焦点を当てた作品を次々と発表していきます。山田の作品には、落語の影響を受けたコメディの要素が散りばめられており、人情喜劇(にんじょうきげき)の第一人者と言われています。90歳近くなった現在も、日本の庶民の生活を描いた作品を世に送り出し続けています。

『男はつらいよ』
名優の渥美清が演じる主人公、「フーテンの寅」こと車寅次郎がテキ屋稼業で日本各地を旅する喜劇シリーズです。毎回、旅先で“マドンナ"に出会い、夢中になって世話を焼くものの、最後は失恋するか、自ら身を引くというお決まりのパターンで多くのファンを魅了しました。山田は69年から96年までの28年間に公開された『男はつらいよ』シリーズ48作の内46作品を監督しました(脚本は全作に関わっています)。人気が高かった時期には、毎年正月と夏休みの年2回、公開されていました。

『学校』(1993年)
東京の下町の“夜間中学校"を舞台に、様々な事情や悩みを抱えた生徒達が立ち上がろうとする姿を描いた人間ドラマです。第17回日本アカデミー賞において最優秀作品賞、最優秀監督賞、最優秀脚本賞などを受賞しました。その後、続編を3作品発表しています。

『幸福の黄色いハンカチ』 (1977年)
長い服役の末に出所した前科者が、自分の家と家族のところに戻るというアメリカの民話を題材に書かれた『ニューヨーク・ポスト』誌のコラム『Going Home』にインスパイアされて、製作された日本版“ロード・ムービー"です。第一回日本アカデミー賞において、最優秀作品賞、最優秀監督賞、最優秀脚本賞などに輝きました。

『たそがれ清兵衛』 (2002年)
藤沢周平の短編時代小説3編を原作にした、幕末の時代を生きる下級武士の物語です。山田は徹底したリアリズムでの下で製作し、夜間のシーンや最後の決闘シーンにおいて、環境の“暗さ"にこだわったことが高い評価を得ました。第26回日本アカデミー賞においては、助演女優賞を除く全ての部門で最優秀賞を受賞し、第76回アカデミー賞においても外国語映画賞にノミネイトされました。


8.深作欣二 (1930年~2003年)

深作欣二は、1960年代には千葉真一を度々主演に起用したアクション映画、1970年代には『仁義なき戦い』をはじめとするヤクザ映画、それ以降は時代劇、SFやホラー映画など、幅広いジャンルでヒット作を残しています。深作は暴力を描いた作品で知られていますが、その目的は暴力を肯定することではなく、平和ボケに陥りつつあった日本人に向けて警鐘を鳴らすことでした。世界的にも人気があり、クエンティン・タランティーノやジョン・ウーなど、海外の監督も深作の作品を崇拝していることを明言しています。

『仁義なき戦い』 (1973年)
原爆投下後の広島の街で実際に起こった暴力団同士の抗争を取り上げたノンフィクション作品を元にした、ドキュメンタリー・タッチのヤクザ映画です。ヤクザを美化することが多かったそれまでの“任侠映画"とは違って、生々しい暴力描写にこだわり、ヤクザの抗争をリアルに描いたことが話題を呼びました。『キネマ旬報』が2009年に発表した『オールタイム・ベスト映画遺産200 (日本映画編)』では、5位に選ばれました。

『蒲田行進曲』 (1982年)
日本の演劇界の重鎮・つかこうへいの戯曲を原作とした人情喜劇です。東映の京都の映画撮影所を舞台に、時代劇のスターと大部屋俳優、そして2人の間で揺れ動く落ち目を迎えた女優の奇妙な人間関係を描いています。その年の『キネマ旬報ベスト・テン』で1位を獲得し、日本アカデミー賞においては最優秀作品賞や最優秀監督賞など多数の賞を受賞しました。

『火宅の人』 (1986年)
仏教用語である“火宅"とは、煩悩に満ちたこの世を炎に包まれて焼けつつある家に例えた言葉です。本作は日本の小説家・檀一雄による自伝的長編小説を原作とし、自由奔放に生きる主人公と彼を取り巻く女性達を描いた人間ドラマです。第10回日本アカデミー賞最優秀作品賞を受賞しました。

『忠臣蔵外伝 四谷怪談』 (1994年)
深作は元禄時代に起こった赤穂事件を描いた『忠臣蔵』を『赤穂城断絶』として1978年に映画化していましたが、本作は同じく元禄時代に起きたとされる事件を基にした『四谷怪談』と融合させたホラー映画です。第18回日本アカデミー賞で最優秀作品賞、最優秀監督賞、最優秀脚本賞などを受賞した、深作の晩年を代表する作品です。


9.伊丹十三監督 (1933年~1997年)

商業デザイナーや俳優として活躍した後、51歳の時に『お葬式』で監督としてデビューして国内で高い評価を得て、翌年に公開された“ラーメン・ウェスタン"の『タンポポ』で世界的な評価を得ました(『タンポポ』は現在も米映画レヴュー・サイト『ロッテン・トマト』では100%という評価を維持続けています。)1997年に、自身の事務所が入っていたビルの下で遺体として発見されました。事務所には遺書らしきものがあり、警察は結局死因を「自殺」と断定しますが、事件当初から様々な憶測が飛び交いました。ヤクザの民事介入暴力をテーマにした『ミンボーの女』(1992年)の公開後に何者かに襲撃されたこともあり、遺体で見つかった当時も暴力団を題材にした映画の企画を進めていたことから、飛び降り自殺に見せかけるようにされたという説もあります。因みに、伊丹十三の父は風刺的な作風で知られた映画監督の伊丹万作、妻は女優の宮本信子、そしてノーベル賞作家の大江健三郎は義弟に当たります。

『お葬式』 (1984年)
“お葬式"という厳粛な儀式を行う家族の姿をコミカルに描いた、伊丹の初監督作品です。大ヒットを記録し、第8回日本アカデミー賞において最優秀作品賞、最優秀監督賞、最優秀脚本賞などを受賞し、「1984年度キネマ旬報ベストテン」では1位を獲得しました。

『マルサの女』 (1987年)
国税局査察部に勤務する女性査察官が脱税者を追い詰め、摘発していく姿を描いた作品です。『お葬式』の大ヒットによって得た収益を税金として沢山持って行かれたことが、脱税に興味を持ち始めた動機だと伊丹は語っています。第11回日本アカデミー賞において最優秀作品賞、主演女優賞、主演男優賞など6賞を受賞しました。


10.エピローグ:ガラパコス化する“子供の国・ニッポン"

携帯電話が流行した時に“ガラパゴス化"という日本のマーケティングの特徴が指摘されました。

日本の人口は、少子化が叫ばれているものの、2018年現在、1.27億人を誇っています。イギリスは、6500万人、フランスは6700万人、ドイツでも8000万人ほどであり、先進国の中でも日本の人口は、かなり多いといえるのです。(因みにアメリカは3.2億人。ロシアが1.4億人)

この中途半端な人口故に、多くの日本の企業は、日本人だけを対象にした “オタク的商品"に特化することとなってしまいました。

人口比で言えば、高齢者が多くなってきているものの、消費という面で言えば、若年層がメインターゲットとなっています。そのため、“子供向け"の商品開発が中心となっています。

その代表がゲームであり、アニメであり、アイドルであります。

こうした分野は、本体だけではなくキャラクターなどの周辺、関連商品がとても高い値段で売れるのです。こうしたコンテンツ関連の商品化の傾向がより加速され、“大人向け"の商品開発が止まってしまったのです。

日本政府(経産省)でさえ、こうした子供っぽさを売り物にした“オタク文化"を“クールジャパン"と称し、海外へアピールしました。

こうした日本政府の方針を日本の伝統的な“大人の文化"を評価していた欧米の文化人は、訝しく(いぶかしく)思っていました。日本には、優れた文学や映画、技術、美味しい料理や歴史的施設が山程あるのに、どうして、“オタク文化"をアピールするのかと。

さすがに近年は、政府もそのことに気づき、“オタク文化"をクールジャパンの中心とはしなくなりましたが、政治家や官僚にいかに変態なオタクが多いのかがわかる現象でもありました。

TVでは、今でも海外の“オタク"に日本文化がウケているかのような脚色がなされていますが、欧米においては、“オタク"の人々は、社会の“鼻つまみ者"であることを知るべきです。

欧米では、キャラクターのTシャツを着たり、青や緑に髪を染めている“大人"は、ビョーキとみなされます。

今後、日本は人口減少を迎え、いろいろな分野で海外からの人材を集めなくてはならないでしょう。

日本により多くの外国人に来てもらうためには、1日も早く“大人の国"になることが望まれます。

権力者の些細なミスを1年以上にわたり、国会で取り扱っている国を海外の人は、“子供の国"としかみなさないでしょう。これは、大きく国益を損なっていることをサヨク系の議員は、認識すべきです。

“人は失敗をするもの"という前提に立ち、カソリックは“懺悔"(さんげ)という、人を責めすぎないというシステムを作り出したことを知って下さい。


CINEMA & THEATRE #036

20世紀の“日本的"な日本人の映画監督 (後半) - 海外で評価されている日本人の映画監督 (3)


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